2006-01-06 Fri
大項目 ★飯能を面白くするコト
飯能が面白い街、楽しい街になることを書いていきます。
「飯能でもやりたいこと」「飯能から始めたいこと」「飯能だけでもやってみたいこと」など
中項目 には、下記の4つがあります。
⇒ 飯能を舞台にした映画
⇒ 都民のための避難先確保
⇒ アートで地域を変える
⇒ 飯能の水を売る
飯能が面白い街、楽しい街になることを書いていきます。
「飯能でもやりたいこと」「飯能から始めたいこと」「飯能だけでもやってみたいこと」など
中項目 には、下記の4つがあります。
⇒ 飯能を舞台にした映画
⇒ 都民のための避難先確保
⇒ アートで地域を変える
⇒ 飯能の水を売る
2006-01-08 Sun
飯能を舞台にした映画が作られないだろうか? それも、マイナーな自主映画なんかではなく、全国の映画館で一般公開される映画が製作されたらいいなぁ・・・
そんなことを願っているのは私だけではないでしょう。
面白かった映画、感動した映画を観ると「撮影された場所にいつかは行ってみたい」と思うものです。行けないとしても、その撮影場所の地名はいつまでも自分の記憶に好印象を残してくれます。
私が映画館で観た邦画の中で、映画の舞台となった地域がいまも印象に残っている作品は幾つもあります。ここ数年で観た映画では『黄泉がえり』『下妻物語』『母のいる場所』『茶の味』『スウィングガールズ』『機関車先生』『半落ち』『リンダ・リンダ・リンダ』『NANA』『星になった少年』『バッチギ』などです。『蕨野行』や『草の乱』『北の零年』などは、作品も写されていた風景も良かったのですが、残念ながら時代設定が現代ではありません。
過去にも飯能が撮影場所になった映画は幾つかあります。『ISOLA多重人格少女』(2000年)では駿河台大学が、『ドラッグストアガール』(2004年)では加治東小学校と岩沢グランドが出てきましたが、あくまでも「撮影された場所」であって「ドラマの舞台」ではないので地名は残念ながら出てきませんでした。北野武が監督した『Dools』(2002年)では名栗湖が出てくるそうですが、私はまだ観ていません。
昔、高校を舞台にした単発のテレビドラマを「どこかで見たことがある校舎だなぁ・・」と思いながら観ていたら、「あれっ、聖望学園だ!」ということもありました。キャットフードのTVコマーシャルで銀座通り商店街周辺の路地がたっぷり出てくるものもありましたね。
私は『男はつらいよ』は全48作すべてを映画館で観ていますが、心残りは「飯能が舞台」にならないうちにシリーズが終わってしまったことです。だから、いまでは『釣りバカ日誌』シリーズで、宮沢湖や名栗湖や市内の渓流が舞台になることを夢想しています。
このシリーズはいままでほとんど「海のある地域」が舞台ですが、湖や渓流が舞台になる可能性は大いにあります。ましてや、主人公の浜チャンは建設会社の社員なのですから「砂防ダムや林道建設の現場が出張地になった」という設定になれば「飯能で撮影」の可能性が無いわけではありません。
できるなら、現代の飯能が「実在の飯能市」として舞台になり、市内が何カ所も出てくる映画が制作されて欲しいですね。
例えば、飯能駅や市内に点在する蔵、旧家、飯能河原、天覧山、多峯主山、顔振峠、宮沢湖、名栗湖、こどもの森公園、アトム像、能仁寺、竹寺、子の権現、東郷公園、自由の森学園、聖望学園、駿河台大学、飯能幼稚園・・・撮影場所にしたらいいと思う場所は無数にあります。
自然環境も、カタクリの群生や里山に点在しているミツバツツジ、蛍の季節も撮影にはお薦めです。鹿や猪が生息する森林もあります。除夜の鐘から初日の出の「時間帯」も他の地域ではあまり確保できない「時間と空間」ではないかと思います。
飯能を舞台にした映画を実現させる方法には下記の3つがあります。
(1)飯能市が市の予算で製作してしまう
(2)飯能フィルムコネクションを設立して種々の撮影を誘致する
(3)映画制作者や映画監督に企画を提案する
(1)には、「行政が先頭になって製作する映画に面白い作品は期待できない」という過去の経験値の懸念があります。
(2)は、他の地域との競合になりますし、選ばれたとしても必ずしも「地元の意向」通りに撮影されるわけではないし、映画の中で地名が出ないこともあります。
(3)では、まず、その企画(原作・脚本)自体が、制作者や映画監督が食指を動かすだけの内容でなければなりません。仮に企画が採用されたとしても、実際の撮影では地元もある程度の費用負担は避けられません。
一番確実で、費用をかけずに「飯能を舞台にした映画」を実現する方法は、遠回りのようですが、
(4)「飯能を舞台にした面白い小説」が創作される ということでしょう。
その小説が人気になれば、黙っていてもTVドラマ化や映画化のされることになっていきます。そして、その人気小説の原作者が「映画の舞台も飯能にすること」を条件にすれば確実に飯能で撮影されることになります。
ただ、この方法の最大の問題点は、誰が? いつ? どのような内容の? 小説を書くのか、ということです。個人的には、私の知っている「呉服屋の長さん」をモデルにした永倉万治の『人蕩し(ひとたらし)』(集英社『これでおしまい』収録)という短編小説が好きなのですが、単発のテレビドラマは可能でも映画化には少し地味かもしれません。
誰か書きませんか? 現代の飯能を舞台にした小説を!
2006-03-17 Fri
飯能を舞台にした映画を製作するなら、やはり時代設定は「現代」にしてもらいたいですね。いまの風景、建物、地名がそのまま登場して欲しいものです。そうすれば、その映画を20年後、40年後になって観た時も「当時の懐かしさ」を感じさせてくれます。
映画『男はつらいよ』シリーズは、制作が年1作になってから映画は、柴又の正月風景から始まり、寅さんが柴又に帰ってきて、途中で色々あって、翌年の寅さんの旅先の正月風景で終わる、というのが定番になっていました。飯能を舞台にした映画も、「春夏秋冬それぞれの飯能」を全国の人たちに紹介したいので、1年365日を通して撮影して欲しいと思っています。
実在の地方都市で、実際の地名を登場させて、映画(ドラマ)を製作する場合、難しいのは「主人公」の設定です。
男か? 女か? 子どもか? 若い人か? 中高年か? 飯能生まれで飯能育ちの地元の人か? それとも、他所から飯能に転入してきた人か? それによってターゲットとする対象も、ドラマの傾向も決まってしまいます。
飯能市が市民も行政も一丸となって映画製作に関わっていくとしたら、特定のグループ、特定の地域、特定の個人だけにスポットが当たるのは避けなければなりません。そうなると、当然、多くの人々が対等の立場で登場して、お互いに絡み合っていく「群像劇」が最適ということになるでしょう。
様々な立場の人が、様々なキャラクターで、様々な設定で登場すれば、それだけ多くの場所を、春夏秋冬の姿を無理なく撮影することができます。
例えば、こんな登場人物たちではどうでしょうか?
主人公Aは、飯能生まれで、飯能育ちです。家業を継ぐのが嫌で飯能を飛び出して東京で働いていましたが、夢破れて飯能に帰ってきました。しかし、将来性の無い家業を継ぐ気になれません。
主人公Bは、サラリーマン時代に飯能市に転入してきた定年退職者です。現役のときは飯能は寝に帰ってくるだけの場所だったので市内に友人知人が一人もいません。これから、飯能で何をして過ごそうか悩んでいます。
主人公Cは、市内の大学に通うために飯能に越してきました。飯能が気に入ってなんとか卒業後も飯能に住み続けたいと思って、市内の企業への就職を希望しています。
主人公Dは、公民館の職員ですが、平凡でマンネリの生活にウンザリしている毎日です。刺激を求めて「改革」に一人で乗り出すのですが、共感が得られず周囲から浮いています。
その他に、主人公E、F、G、H・・・・といくらでも増やしていけます。
映画は大晦日から始まります。主人公A、B、C、D、E・・・は、それぞれ、市内の能仁寺や心応寺で除夜の鐘を衝き、地域の神社に初詣をして、天覧山や多峯主山や蕨山などで初日の出を拝みます。それぞれの願いは様々です。
その後、AやB、C、D、E・・・は、春の「雛飾りイベント」、鉄腕アトムの誕生日、里山のミツバツツジ、ツーデーマーチ、蛍の里、飯能河原の金魚すくい大会、飯能まつりなどを通して、多くの体験を重ねて、再び、大晦日と初日の出を迎えるところまでで映画は終わります。
この「一年の春夏秋冬」で、主人公たちが、「何を目指して」「何を起こすか」そして「どうなっていくか」なんてことまでは、いまはまだ何も考えついていません。
2006-03-29 Wed
きょう(3/29)、カーリングを題材にした『シムソンズ』という映画を観てきました。冬季オリンピックのカーリング女子日本代表チームの実話を元にした女子高校生の青春スポーツドラマです。
実話に基づいているそうなので、映画の舞台も、彼女らの出身地である北海道の常呂町です。映画の内容と評判については下記の映画サイトで確認して下さい。どちらのサイトでもかなり評価は高いようです。私としては(5点満点の4点)★★★★でした。
上映館と上映時刻は「MovieWalker東京」
観た人の評判掲示板は「映画のススメ」
この映画を観ながら、「飯能を舞台にするなら、当然、題材にするスポーツはホッケーだなぁ・・・・」ということを考えていました。「二番煎じ」と言われるでしょうが、「友人達やクラスメイトで試合やコンテストに挑戦していく青春ドラマは、昔から一つのジャンルとして確立されています。
最近ヒットした邦画だけでも、『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』『リンダ・リンダ・リンダ』などのようにたくさんあります。
女子高校生たちの音楽バンドを題材にした『スウィングガールズ』や『リンダ・リンダ・リンダ』は創作ですが、この『シムソンズ』や男子シンクロナイズドスイミングを題材にした『ウォーターボーイズ』は実話が基になりました。
常呂町の場合、「カーリングが盛んだから町営のカーリング場が出来た」のか、逆に「町営のカーリング場が出来たからカーリングが盛んになった」のか知りませんが、飯能市の場合は「せっかく市営のホッケー場があるのだから、もっとホッケーが盛んになってもいいのではないか」というところでしょうか?
ホッケーの場合は、オリンピック日本代表選手が飯能市出身者で占められるようにならないと、映画化はされないのでしょうか? もし、そんなことが実現したとしても、とてもそれまでは待っていられません。「創作もの」でいきたいですね。
飯能市営ホッケー場を舞台にした映画を制作するとしたら、主人公たちは、すぐ近くの飯能南高か駿河台大学の学生たちになるのでしょうか? 中学生でもいいのですが、そうすると「恋愛」を絡めさせられないので、ドラマとしての面白さがやや弱くなってしまいます。
おじさんたちが「まちおこし」や「不純な動機」で「マイナーなスポーツに取り組む」という設定で、は既に『ドラッグストアー・ガールズ』(これも飯能で撮影されました)があります。
どなたか、原案か原作を考えませんか?
2006-07-08 Sat
先日( 6/27)日本テレビで放送された『ウィルス・パニック2006』はDVDに録画していましたが、やっと全巻を見終わりました。
飯能市内でロケをしたドラマとして、かなり期待していましたが、正直言うと、ドラマとしてはかなりお粗末だと感じました。途中で何度も視るのを止めようと思ったくらい。
それでも、なんとか我慢して最後まで視たのは「市内のどこが写っているか?」「エキストラで誰か知っている人が写っているか?」という興味だけでした。
いくら「飯能で撮影されたTVドラマ」だとしても、肝心の作品としての中味が面白くなければ、飯能への知名度や好意度を高めることにはなりませんね。
原作がどんなに良くても、脚本や演出などに新鮮みが無ければ、ドラマは面白くはありません。そんな基本的なことを改めて実感させてくれたTVドラマでした。
これから「飯能を舞台にした映画」を制作するには、まず「面白い脚本」が不可欠です。
2006-09-08 Fri
きょう(9/8)の日経流通新聞(日経MJ)に、
「シネコンのユナイテッド・シネマが自社シネコンの所在地を舞台にしたご当地映画の製作に乗り出す」という記事が載っていました。
ユナイテッド・シネマのHOME頁の最下段に
「みんなの映画プロジェクト」 というコーナーがありますので、そこを読んでみて下さい。
要するに
「ユナイテッドシネマ入間がある入間市(商圏である飯能市も含む)を舞台にした映画の原案を書いてコンペティションに応募しませんか?」
「最優秀賞になったら、その映画化をユナイテッドシネマが支援します」
「その作品を地元の映画館(ユナイテッドシネマ入間)で先行公開し、評判が良ければ、全国のユナイテッドシネマのスクリーンで上映します」
というプロジェクトのようです。
その第1回目の「シネマプロットコンペティション2006」は、8月21日に締め切られ、応募総数は373作品。最終選考結果(グランプリ1作品・準グランプリ)は10月3日に発表される予定だそうです。
その受賞作品発表会へはwebサイトから誰でもメールで応募できるようになっています。(なので私も申し込んでみました)
ユナイテッドシネマでは、この「シネマプロットコンペティション」はこれから、2007、2008・・・と続けて、「ご当地映画事業」に力を注いでいくそうです。
な~んかすっごく嬉しくなってしまいました。
誰か、入間市や飯能市、日高市を舞台にした映画の原案を書いて、来年の「シネマプロットコンペティション2007」に応募してみませんか?
実は、私は、明治大学文学部に入学したときは演劇学専攻クラスだったんです。でも、学園紛争で大学封鎖になってそのまま中退。20代の頃は、六本木にあったシナリオ教室に通ったこともあったのですが・・・・結局は挫折しました。
それ以来今日まで、芝居小屋や映画館には年間100回以上は行っていますが、ただ観客として観るだけです。私に才能は無いので、シナリオは創作できませんが、なんとか、飯能を舞台にした映画製作には、ポスター貼りやチラシ配布、入場券販売などで関わっていきたいと願っています。
あっ! 「ご当地映画」には、地域の住民が「エキストラで出演」という最大の楽しみがありますね!(20代前半の頃は、アルバイトで映画やテレビのエキストラもやってたんです・・・・)
2006-12-01 Fri
ここ数日は、〈帰宅困難者徒歩体験訓練〉に参加したのをキッカケに、〈都民飯能避難センター〉について書いてきました。
もしも、東京都の石原都知事がこの〈都民飯能避難センター構想〉に興味を示さない場合、次に打ち出す方法として私が考えているのは、「飯能市内に避難先の確保をしよう」という名目で、都市部の人たちを市内の山間部に誘い込むことができるかどうか、という<実験>です。
これは都民や埼玉県内の都市部に住む人たちに呼びかけて始める<実験>なので、PRのための経費が必要になります。
名付けて
「飯能にあなたの避難先をいまから確保しておこう!キャンペーン」
です。(キャンペーンという言葉自体は恥ずかしいくらい月並みですが・・・)
この<実験>は下記のようなプロセスで進めていくことになります。
↓
続き▽
2006-12-02 Sat
昨日(12/1)付けの【都民のための避難先確保】No.1では、都市部に住んでいる人たちに対して、
「いざという時は飯能市に避難(疎開)してきませんか?」
「そのための避難先をいまから個人的に確保しておきませんか?」
という呼びかけを行う方法について書いてみました。
きょう(12/2)は、この<都心から避難してきた人たちのための避難先>のことを避難する人の立場から書いてみます。
厳密に言うと<避難>と<疎開>は違います。個人的な解釈ですが、
<避難>とは、災害に遭遇し、それから逃れて安全な場所に移動することです。団体で行動することが主になります。
これに対して<疎開>とは、災害が起きる前に事前に避難しておくことです。団体行動ではなく、個人もしくは家族単位で行動することもあります。
戦争中に<学童疎開>という言葉がありましたが、<学童避難>とは言いませんでした。<避難所>という言葉はあっても<疎開所>という言葉はありません。<避難先><疎開先>という言葉はありますが・・・・
東京が壊滅状態になって、首都圏に住む人たちが数百万人も避難しなければならないような事態が絶対に起きないとは言えません。いずれ、そのような事態を想定した大規模な避難訓練が実施されるかもしれません。
私は都内で生まれて28才まで板橋区と練馬区に住んでいました。28才から35才までは川口市でしたが、住まいは京浜東北線の蕨駅近くの大団地でした。
そのとき、大災害で周辺が壊滅したら、どこに避難すればいいのだろうか?と考えたことがあります。
公設の避難所は、学校や体育館、公園、空き地になります。学校や体育館の場合は屋根がありますが、公園や空き地ではテント暮らしになります。避難民の数によっては、仮設住宅に入居できる幸運な人は極めて少数ということになります。
私は、本音を言うと、避難してきた当初の2,3日ならともかく、避難生活が数週間、数ヶ月になるのであれば、そういう避難所では耐えられないと思います。
だから、どこか、個人的なツテで避難できる場所があるならば、絶対にそちらを希望する人間です。
その避難先が個人の屋敷の離れのような別宅であれば最高ですが、庭先を借りてのテント暮らしでも、トイレと風呂が使用できるのであれば、そのほうが屋敷の中の一室に宿泊するよりは気楽でいいかもしれません。
しかし、非常事態になって大勢でどこかに避難してから、上記のような「個人的に避難できる場所」はすぐに探せるものではありません。有ったとしても、自分が確実にそこに避難できるとは限りません。
そこで私は、狡いと言われるかもしれませんが
「あ、そうだ! 災害が起きる前から、そういう理想的な避難場所を個人的に確保しておけばいいんだ」ということを考えたのです。
遠い親戚に川島町の農家がありますが、そこは真っ平らな水田地帯なので「津波や海面上昇の時はダメかもしれない」と考えたりもしていました。
「避難するなら山のほうだな」と単純に考えました。そこで、休日にはバイクで山間部を好んで走っていたのです。そうして飯能にも来ていたのです。
バイクで山間部を走りながら、「もし、こういう地域の人たちと知り合って親しくなれば、いざというときには避難させてもらえるかもしれない」などと空想していたのです。
そのうち、「あ、なんだ!ここに自分が越してくればいいんだ!」と思うようになって、飯能市に越してきたのです。(半分ウソですが・・・半分はホントです)
私のように、「いざという時の避難先に引っ越してしまう」ような人は少数ですが、「お金さえ払えば長期に避難生活をさせてくれるような大きな民家を個人的に確保しておきたいな」と思っている人は、都会で暮らしている人の中には少なくないでしょう。
しかし、そういう「親切な住民」と知り合う機会はありませんし、「避難できる大きな民家」がどこにあるか、都会に住んでいてはわかりません。
地方の市町村で、そういう避難先候補地を斡旋してくれるようになったら、真っ先に応募したいと、私自身が考えていたのです。
もし、個人的な避難先を確保できたとしても、災害が起きて避難したときが初対面というよりは、普段から定期的にそこを訪れて、その周辺の人たちと親しくなっておくほうがいいな、と思っていたのです。
なんのことはない。この<都民のための避難先確保>とは、私自身が東京に住んでいたときに求めていたことなのです。
2006-12-09 Sat
いつも土曜日は、駿河台大学で開催される公開講座「ふるさと喜楽学」を聴きに行っています。きょう(12/09)のタイトルは『アートが変わる、アートが変える』でした。
アートが街を変える事例として講師が話してくれた下記の2例はとても参考になりました。
COWPARADE TOKYO IN MARUNOUCHI
越後妻有アートリエンナーレ
ただ、名栗村で1990年から通算11回も開催されていた「名栗湖国際野外美術展」のことは知っていて欲しかったですね。
きょうの講義で残念なことは「他所での事例紹介だけに終わっていた」ことです。
事例紹介をするからには
「では、飯能市ではどうすればいいのか?」
「こんなことに取り組んでもいいのではないか?」
というところまで踏み込んで話してくれることを期待していました。
そこで、次回からは、「飯能市で実行できるアートプラン」を考えつく限りを提示してみます。
2006-12-10 Sun
「アートで地域を変える」場合、その「アート作品」を市内に展示するには、その作品を買い上げる経費が必要になります。さらには、発注して納入されるまでの時間もかかります。
「できるだけ早く」「できるだけ少ない予算」で、「飯能への注目度を高め」、「アートで地域を変えることへの関心を高める」には、
「作品コンテスト」を広報し、「作品を公募する」ことから始めることでしょう。
「アートで地域を変える」という考え方は、既に前例が有るのですから、飯能市がその方法を採用したとしても「オリジナル企画」ではありません。
そこに 「飯能らしさ」を打ち出すとしたら、森林文化都市宣言をしている以上、
「森林に関するものに絞り込んだほうがいい」と考えるのは私一人ではないと思います。
それには、現時点では下記のようなことが考えられます。
↓
続き▽
「できるだけ早く」「できるだけ少ない予算」で、「飯能への注目度を高め」、「アートで地域を変えることへの関心を高める」には、
「作品コンテスト」を広報し、「作品を公募する」ことから始めることでしょう。
「アートで地域を変える」という考え方は、既に前例が有るのですから、飯能市がその方法を採用したとしても「オリジナル企画」ではありません。
そこに 「飯能らしさ」を打ち出すとしたら、森林文化都市宣言をしている以上、
「森林に関するものに絞り込んだほうがいい」と考えるのは私一人ではないと思います。
それには、現時点では下記のようなことが考えられます。
↓
続き▽