2006-12-01 Fri
ここ数日は、〈帰宅困難者徒歩体験訓練〉に参加したのをキッカケに、〈都民飯能避難センター〉について書いてきました。
もしも、東京都の石原都知事がこの〈都民飯能避難センター構想〉に興味を示さない場合、次に打ち出す方法として私が考えているのは、「飯能市内に避難先の確保をしよう」という名目で、都市部の人たちを市内の山間部に誘い込むことができるかどうか、という<実験>です。
これは都民や埼玉県内の都市部に住む人たちに呼びかけて始める<実験>なので、PRのための経費が必要になります。
名付けて
「飯能にあなたの避難先をいまから確保しておこう!キャンペーン」
です。(キャンペーンという言葉自体は恥ずかしいくらい月並みですが・・・)
この<実験>は下記のようなプロセスで進めていくことになります。
↓
続き▽
2006-12-02 Sat
昨日(12/1)付けの【都民のための避難先確保】No.1では、都市部に住んでいる人たちに対して、
「いざという時は飯能市に避難(疎開)してきませんか?」
「そのための避難先をいまから個人的に確保しておきませんか?」
という呼びかけを行う方法について書いてみました。
きょう(12/2)は、この<都心から避難してきた人たちのための避難先>のことを避難する人の立場から書いてみます。
厳密に言うと<避難>と<疎開>は違います。個人的な解釈ですが、
<避難>とは、災害に遭遇し、それから逃れて安全な場所に移動することです。団体で行動することが主になります。
これに対して<疎開>とは、災害が起きる前に事前に避難しておくことです。団体行動ではなく、個人もしくは家族単位で行動することもあります。
戦争中に<学童疎開>という言葉がありましたが、<学童避難>とは言いませんでした。<避難所>という言葉はあっても<疎開所>という言葉はありません。<避難先><疎開先>という言葉はありますが・・・・
東京が壊滅状態になって、首都圏に住む人たちが数百万人も避難しなければならないような事態が絶対に起きないとは言えません。いずれ、そのような事態を想定した大規模な避難訓練が実施されるかもしれません。
私は都内で生まれて28才まで板橋区と練馬区に住んでいました。28才から35才までは川口市でしたが、住まいは京浜東北線の蕨駅近くの大団地でした。
そのとき、大災害で周辺が壊滅したら、どこに避難すればいいのだろうか?と考えたことがあります。
公設の避難所は、学校や体育館、公園、空き地になります。学校や体育館の場合は屋根がありますが、公園や空き地ではテント暮らしになります。避難民の数によっては、仮設住宅に入居できる幸運な人は極めて少数ということになります。
私は、本音を言うと、避難してきた当初の2,3日ならともかく、避難生活が数週間、数ヶ月になるのであれば、そういう避難所では耐えられないと思います。
だから、どこか、個人的なツテで避難できる場所があるならば、絶対にそちらを希望する人間です。
その避難先が個人の屋敷の離れのような別宅であれば最高ですが、庭先を借りてのテント暮らしでも、トイレと風呂が使用できるのであれば、そのほうが屋敷の中の一室に宿泊するよりは気楽でいいかもしれません。
しかし、非常事態になって大勢でどこかに避難してから、上記のような「個人的に避難できる場所」はすぐに探せるものではありません。有ったとしても、自分が確実にそこに避難できるとは限りません。
そこで私は、狡いと言われるかもしれませんが
「あ、そうだ! 災害が起きる前から、そういう理想的な避難場所を個人的に確保しておけばいいんだ」ということを考えたのです。
遠い親戚に川島町の農家がありますが、そこは真っ平らな水田地帯なので「津波や海面上昇の時はダメかもしれない」と考えたりもしていました。
「避難するなら山のほうだな」と単純に考えました。そこで、休日にはバイクで山間部を好んで走っていたのです。そうして飯能にも来ていたのです。
バイクで山間部を走りながら、「もし、こういう地域の人たちと知り合って親しくなれば、いざというときには避難させてもらえるかもしれない」などと空想していたのです。
そのうち、「あ、なんだ!ここに自分が越してくればいいんだ!」と思うようになって、飯能市に越してきたのです。(半分ウソですが・・・半分はホントです)
私のように、「いざという時の避難先に引っ越してしまう」ような人は少数ですが、「お金さえ払えば長期に避難生活をさせてくれるような大きな民家を個人的に確保しておきたいな」と思っている人は、都会で暮らしている人の中には少なくないでしょう。
しかし、そういう「親切な住民」と知り合う機会はありませんし、「避難できる大きな民家」がどこにあるか、都会に住んでいてはわかりません。
地方の市町村で、そういう避難先候補地を斡旋してくれるようになったら、真っ先に応募したいと、私自身が考えていたのです。
もし、個人的な避難先を確保できたとしても、災害が起きて避難したときが初対面というよりは、普段から定期的にそこを訪れて、その周辺の人たちと親しくなっておくほうがいいな、と思っていたのです。
なんのことはない。この<都民のための避難先確保>とは、私自身が東京に住んでいたときに求めていたことなのです。