2006-01-01 Sun
飯能の「地域サイト」を紹介したり、「地域サイト」について考えたコトを書いていきます。
中項目 には、下記の9があります。
⇒ 「地域サイト」を考える
⇒ 地域活性化サイトとは?
⇒ 飯能に欲しいサイト
⇒ 地域でのGoogle活用
⇒ 新たに見つけた情報サイト
⇒ 「いつどこ」を考える
⇒ 「飯能いつどこBlog版」
⇒ 次期「いつどこ」を考える
⇒ 「飯能これから大事典」(終了)
中項目 には、下記の9があります。
⇒ 「地域サイト」を考える
⇒ 地域活性化サイトとは?
⇒ 飯能に欲しいサイト
⇒ 地域でのGoogle活用
⇒ 新たに見つけた情報サイト
⇒ 「いつどこ」を考える
⇒ 「飯能いつどこBlog版」
⇒ 次期「いつどこ」を考える
⇒ 「飯能これから大事典」(終了)
2006-01-02 Mon
この〈地域サイトを考える〉という項目タイトルでは、地域情報サイトに関することを総合的に書いていきます。きょうは第01回なので、もし、『地域サイトを考える』というタイトルの単行本を書くという前提で、本の目次スタイルで全体の項目を列挙してみました。
1.「地域情報サイト」の「内容による分類」
2.「地域情報サイト」の誕生から現在までの歩み
3.地域活性化における「地域情報サイト」の役割
4.「地域情報サイトを開設したい」という人たちの動機と目的
5.「地域情報サイト」に求められる掲載情報と活用できる機能
6.「地域情報サイト」の成功事例研究
7.「地域情報サイト」の失敗事例研究
8.「個人運営」と「グループ運営」の限界と可能性
9「地域情報サイト」のこれからの可能性と課題
2006-01-03 Tue
この〈「いつどこ」を考える〉という項目タイトルでは、『飯能いつどこ情報源』をその原点から多面的に考えていきます。『飯能いつどこ情報源』を運営して6年目に入りますが、いままで「いつどこ」に関して多くの質問が寄せられてきました。なので、いつかは「いつどこFAQ」を設けなければならないでしょう。
きょうは第01回目なので、まずFAQの項目として、とりあえず下記を考えてみたのですがどうでしょうか? 他に必要な項目があるようでしたら、どなたでもOKですのでリクエストして下さい。
01.[開設の経緯に関して] いつ? どうして? どのようにしてできたの?
02.[日常の運営に関して] 何人で? 分担は? かけている時間は?
03.[経費の財源に関して] 幾らかかっているの? 誰が負担しているの?
04.[広告掲載に関して] 最近になって広告を付けるようになったのは?
05.[掲載内容に関して]「いつどこ」の独自内容は? リンクは?
06.[イベント情報に関して] 掲載の基準は? 無料の理由は?
07.[画面構成に関して]「見難い人」も居るのでは? 変更の予定は?
08.[河原カメラに関して] 設置の目的は? 苦情は? トラブルは?
09.[左列の内容に関して]「飯能を面白くする」の基準は?
10.[中列の内容に関して]「目立つ掲載にする」基準は?
11.[右列の内容に関して] 掲載の基準は?
12.[掲示板に関して] なぜ外したの? 他に設置する予定は?
13.[アクセス解析に関して]「アクセス数値」を重視している理由は?
14.[他サイトとのタイアップに関して] 飯能市役所サイトとは?
15.[他媒体とのタイアップに関して] 文化新聞とは? テレビ飯能とは?
16.[他者とのタイアップに関して] ASA飯能中央とは?
17.[現在の課題に関して] 困っていることは? 取り組んでいることは?
18.[当面の目標に関して] 認知度は? アクセス数は?
19.[これからの計画に関して] いつまで続けるの? 最終的な目標は?
20.[理想的な地域サイトに関して] 何を目指しているの?
以上の20項目に関してのFAQ(よくある質問への回答)をこれから徐々に「いつどこ」掲載していきますのでお待ち下さい。
2006-01-12 Thu
私が飯能に来て嬉しかったことはたくさん有りますが、その一つは「美味しいうどん屋が多い」ということです。しかも、味ばかりではなく、店構えも店内も素敵な趣を持ったうどん屋が実に多いのです。入間市もうどん屋が多いですが、「味と店舗の趣」は飯能のほうが優っていると思います。
私がいつも食べに行く店は飯高通りの「こくや」です。ここの肉汁は絶品だと思っていますが、意外なことに飯能市民でも知らない人が多いのです。最近越してきたばかりの人ならともかく、飯能に5年10年住んでいる人でも「こくや」を知らない人が居るのには驚かされます。
埼玉県内には「うどん」でお客を呼んでいる地域がありますが、私は飯能でも「うどん」で市外から大勢の人を呼び込めると思っています。「街おこし」の一環として市役所や商工会議所などが先頭になって「うどんの飯能」をPRするようになればいいのでしょうが、それを提案しても、「なぜうどんなんだ?」「うどん屋だけPRするのは不公平だ!」という声が出てきて上手くいかないものです。
「飯能うどん」「ウドンの飯能」を西武線沿線や関東一円にPRするには「お薦めのうどん屋が多い街・飯能」というwebサイトを開設するのが一番早くて安上がりの方法です。
このサイトのTOP頁はもちろん「うどん屋MAP」でしょう。飯能市の地図にうどん屋の★印が100軒も記載されていたら、一目で飯能にうどん屋が多いことを分からせることができます。市街地だけでなく、国道、県道沿い、吾野や名栗の山の中にお薦めしたいうどん屋が点在しているのも分かります。それだけで飯能を「うどんの街」として売り出せるでしょう。
すでに「ラーメンMAP」「ラーメン屋紹介」のwebサイトは無数にありますから、それらを参考にすれば面白いサイトにする方法は選択にこまるほどたくさんあります。店構えや店内、メニューの写真を撮って掲載するだけでもかなりの手間がかかりますが、一人の人間で取り組んでも決して不可能ではありません。「趣味のホームページ」として楽しく作成できるでしょう。そのサイトへのアクセスが増えて来店者が増えれば多くのお店や市民の人たちから感謝されるでしょう。
時間があれば私がこの「うどん屋MAP」サイトを開設したいのですが、残念なことに、「いつどこ」を日々更新するだけで手一杯です。どなたか「飯能うどん屋MAP」というHPを開設してくれないでしょうか?
開設したら、もちろん『飯能いつどこ情報源』で一番目立つところにリンクさせて頂きます。
私がいつも食べに行く店は飯高通りの「こくや」です。ここの肉汁は絶品だと思っていますが、意外なことに飯能市民でも知らない人が多いのです。最近越してきたばかりの人ならともかく、飯能に5年10年住んでいる人でも「こくや」を知らない人が居るのには驚かされます。
埼玉県内には「うどん」でお客を呼んでいる地域がありますが、私は飯能でも「うどん」で市外から大勢の人を呼び込めると思っています。「街おこし」の一環として市役所や商工会議所などが先頭になって「うどんの飯能」をPRするようになればいいのでしょうが、それを提案しても、「なぜうどんなんだ?」「うどん屋だけPRするのは不公平だ!」という声が出てきて上手くいかないものです。
「飯能うどん」「ウドンの飯能」を西武線沿線や関東一円にPRするには「お薦めのうどん屋が多い街・飯能」というwebサイトを開設するのが一番早くて安上がりの方法です。
このサイトのTOP頁はもちろん「うどん屋MAP」でしょう。飯能市の地図にうどん屋の★印が100軒も記載されていたら、一目で飯能にうどん屋が多いことを分からせることができます。市街地だけでなく、国道、県道沿い、吾野や名栗の山の中にお薦めしたいうどん屋が点在しているのも分かります。それだけで飯能を「うどんの街」として売り出せるでしょう。
すでに「ラーメンMAP」「ラーメン屋紹介」のwebサイトは無数にありますから、それらを参考にすれば面白いサイトにする方法は選択にこまるほどたくさんあります。店構えや店内、メニューの写真を撮って掲載するだけでもかなりの手間がかかりますが、一人の人間で取り組んでも決して不可能ではありません。「趣味のホームページ」として楽しく作成できるでしょう。そのサイトへのアクセスが増えて来店者が増えれば多くのお店や市民の人たちから感謝されるでしょう。
時間があれば私がこの「うどん屋MAP」サイトを開設したいのですが、残念なことに、「いつどこ」を日々更新するだけで手一杯です。どなたか「飯能うどん屋MAP」というHPを開設してくれないでしょうか?
開設したら、もちろん『飯能いつどこ情報源』で一番目立つところにリンクさせて頂きます。
2006-02-24 Fri
この〈飯能に欲しいサイト〉という項目タイトルでの第01回では「飯能市内のうどん屋をMAPにしたサイトが欲しい」ということを書きましたが、第02回で書きたいことは「あえて開設したい蛍MAPサイト」です。
私が飯能に越してきて嬉しかったことの一つが「蛍」でした。当時住んでいた飯能高校グランド裏の田圃にはまだ蛍が発生していたのです。我が家の庭先も田圃でしたから、時には庭の中にも蛍が数匹ほど飛んでくることありました。(残念ながら、いまではもうそこではホタルが見られなくなりました)
都内で育った私は、蛍はテレビや映画でしか見たことがなく、「本物の蛍」を見たのは飯能に越して来てからなのです。しかも、我が家の前。想像もしていなかったことなので、初めて蛍を見た夜は興奮しました。しかも、その蛍が、誰か心ない者たちによって捕獲されて一匹もいなくなるのを怖れたのです。数日は、そのことが心配になって蛍から目が離せないほどだったのを覚えています。
飯能市に越してきたときは、まだサラリーマンをしていたのですが、当時の会社の人たちの間では、私の「飯能自慢」は有名でした。「飯能河原で泳げる」「自宅に居てもお寺の鐘が聞こえる」「歩いていて山が見える」・・・・・・などでしたが、その極め付きが「蛍が出る」ことでした。
その後、市内での知り合いが増えるにつれて、ホタルが発生する場所は他にもたくさん有ることを知るようになりました。そこで欲しくなったのが「ホタルMAP」です。「自分が見に行きたいために欲しい」のと同時に「市外の人にホタルが出る清流の地であることを自慢したい」からでした。「ホタルが出る地域に住んでいる」のは大いに自慢できることです。
実は、『飯能いつどこ情報源』を始めた年に、ホタルが発生する場所を1ヶ所だけ地図とともに紹介したことがあったのです。すぐに見知らぬ人からでしたが「なんてコトをするんですか! すぐに削除して下さい」というメールが届いたのです。
「インターネットで紹介したら心ない人たちが集まって来て荒らされるから」という理由でした。その指摘は理解できます。
しかし、では、「ホタルの発生場所」をインターネットで紹介しないでいたら、その場所のホタルはいつまでも生息できるのでしょうか? 私にはそんな疑問が湧いてきたのです。
ホタル生息地が減少するという事態は、インターネット出現前から進行していたことではないでしょうか?
むしろ、人里に近いホタル生息地が荒れるようになったのは、そこが「ホタル生息地であることを知られていなかったから」ということも大きな原因の一つなのではないでしょうか?
なぜなら、ホタルが飛び交う期間は1ヶ月もありません。つまり1年間のうちの11ヶ月はホタルは見えないのです。その期間に、その地域を通る人の大部分は「そこがホタル生息地だとは知らない」のです。
私は、「ここはホタルの生息地です」ということを常に明記しておくほうが「ホタルを守る」ことになるのではないか、と思っています。
そこが「貴重なホタル生息地」であることを、住民にも通行人にも、行楽客にも洩れなく伝えて、その地域の「ホタルを守る」ために「そこでしてはいけないこと」「しておくべきこと」を理解してもらったほうが、最終的には「ホタル生息地を守り続けること」になるのではないでしょうか?
だから、インターネットで「飯能のホタル生息地」を広くPRするサイトが欲しいのです。もちろん、そのサイトには「ホタル鑑賞のルール」も明記しておくべきでしょう。
上記のような主旨を、『飯能いつどこ情報源』の掲示板にも書き込まれましたが、あまりにも、ある一人の人が執拗に激しい文面で非難を続けるので怖くなったのと、面倒臭くなったので『飯能いつどこ情報源』から「ホタル関係の頁」を削除したことを覚えています。
毎年、ホタルの季節になると文化新聞には、名栗川沿いのA材木店の敷地内の「ホタル」のことが記事になりますが、実は、私は3年前までこの場所を知らなかったのです。飯能市で生まれて育った人でも、知らない人は私の周囲でも結構いました。
飯能市のホタルを守るためにも、まず飯能市に住んでいる人全員が、「自分たちの住まいのすぐ近くにホタルが生息している場所がたくさん有る」ことを知ったほうがいいのではないでしょうか。
飯能市内の「ホタル生息地」を保護するためにも、「飯能ホタル保護区」という名称のサイトは効果的なのではないでしょうか? もちろん、「保護区」としての「ルール」も明記しましょう。
そのサイトに載せる「ホタルMAP」は、入間川と高麗川沿い、そこに合流する支流沿いでホタルが発生する場所を「点」ではなく「面」で表すのです。正確な場所をピンポイントの「点」ではなく、「だいたいの場所」としての「面」で表記しておけば、ホタル見物人は、地元の人に尋ねなければ、正確な場所が分からないでしょう。地元の人も、場所を尋ねられたら、その時に「鑑賞ルールを守る」ことをお願いできます。
そうすると、ホタル生息地の近くに住む人の中には「見物人に何度も場所を尋ねられるのは煩わしい」と言う人も居るかもしれませんね。でも、そういうことも「楽しい交流」の一つなのではないでしょうか。
季節になって、西武鉄道が車内ポスターで「飯能ホタルツアー」を呼びかければ、多くの人が飯能にホタルを見にやって来るでしょう。飯能駅から西武バスが「ホタル巡回バス」を運行するようになるかもしれません。その代わり、ポスターには「鑑賞ルール」は目立つように記載してもらいましょう。
私が飯能に越してきて嬉しかったことの一つが「蛍」でした。当時住んでいた飯能高校グランド裏の田圃にはまだ蛍が発生していたのです。我が家の庭先も田圃でしたから、時には庭の中にも蛍が数匹ほど飛んでくることありました。(残念ながら、いまではもうそこではホタルが見られなくなりました)
都内で育った私は、蛍はテレビや映画でしか見たことがなく、「本物の蛍」を見たのは飯能に越して来てからなのです。しかも、我が家の前。想像もしていなかったことなので、初めて蛍を見た夜は興奮しました。しかも、その蛍が、誰か心ない者たちによって捕獲されて一匹もいなくなるのを怖れたのです。数日は、そのことが心配になって蛍から目が離せないほどだったのを覚えています。
飯能市に越してきたときは、まだサラリーマンをしていたのですが、当時の会社の人たちの間では、私の「飯能自慢」は有名でした。「飯能河原で泳げる」「自宅に居てもお寺の鐘が聞こえる」「歩いていて山が見える」・・・・・・などでしたが、その極め付きが「蛍が出る」ことでした。
その後、市内での知り合いが増えるにつれて、ホタルが発生する場所は他にもたくさん有ることを知るようになりました。そこで欲しくなったのが「ホタルMAP」です。「自分が見に行きたいために欲しい」のと同時に「市外の人にホタルが出る清流の地であることを自慢したい」からでした。「ホタルが出る地域に住んでいる」のは大いに自慢できることです。
実は、『飯能いつどこ情報源』を始めた年に、ホタルが発生する場所を1ヶ所だけ地図とともに紹介したことがあったのです。すぐに見知らぬ人からでしたが「なんてコトをするんですか! すぐに削除して下さい」というメールが届いたのです。
「インターネットで紹介したら心ない人たちが集まって来て荒らされるから」という理由でした。その指摘は理解できます。
しかし、では、「ホタルの発生場所」をインターネットで紹介しないでいたら、その場所のホタルはいつまでも生息できるのでしょうか? 私にはそんな疑問が湧いてきたのです。
ホタル生息地が減少するという事態は、インターネット出現前から進行していたことではないでしょうか?
むしろ、人里に近いホタル生息地が荒れるようになったのは、そこが「ホタル生息地であることを知られていなかったから」ということも大きな原因の一つなのではないでしょうか?
なぜなら、ホタルが飛び交う期間は1ヶ月もありません。つまり1年間のうちの11ヶ月はホタルは見えないのです。その期間に、その地域を通る人の大部分は「そこがホタル生息地だとは知らない」のです。
私は、「ここはホタルの生息地です」ということを常に明記しておくほうが「ホタルを守る」ことになるのではないか、と思っています。
そこが「貴重なホタル生息地」であることを、住民にも通行人にも、行楽客にも洩れなく伝えて、その地域の「ホタルを守る」ために「そこでしてはいけないこと」「しておくべきこと」を理解してもらったほうが、最終的には「ホタル生息地を守り続けること」になるのではないでしょうか?
だから、インターネットで「飯能のホタル生息地」を広くPRするサイトが欲しいのです。もちろん、そのサイトには「ホタル鑑賞のルール」も明記しておくべきでしょう。
上記のような主旨を、『飯能いつどこ情報源』の掲示板にも書き込まれましたが、あまりにも、ある一人の人が執拗に激しい文面で非難を続けるので怖くなったのと、面倒臭くなったので『飯能いつどこ情報源』から「ホタル関係の頁」を削除したことを覚えています。
毎年、ホタルの季節になると文化新聞には、名栗川沿いのA材木店の敷地内の「ホタル」のことが記事になりますが、実は、私は3年前までこの場所を知らなかったのです。飯能市で生まれて育った人でも、知らない人は私の周囲でも結構いました。
飯能市のホタルを守るためにも、まず飯能市に住んでいる人全員が、「自分たちの住まいのすぐ近くにホタルが生息している場所がたくさん有る」ことを知ったほうがいいのではないでしょうか。
飯能市内の「ホタル生息地」を保護するためにも、「飯能ホタル保護区」という名称のサイトは効果的なのではないでしょうか? もちろん、「保護区」としての「ルール」も明記しましょう。
そのサイトに載せる「ホタルMAP」は、入間川と高麗川沿い、そこに合流する支流沿いでホタルが発生する場所を「点」ではなく「面」で表すのです。正確な場所をピンポイントの「点」ではなく、「だいたいの場所」としての「面」で表記しておけば、ホタル見物人は、地元の人に尋ねなければ、正確な場所が分からないでしょう。地元の人も、場所を尋ねられたら、その時に「鑑賞ルールを守る」ことをお願いできます。
そうすると、ホタル生息地の近くに住む人の中には「見物人に何度も場所を尋ねられるのは煩わしい」と言う人も居るかもしれませんね。でも、そういうことも「楽しい交流」の一つなのではないでしょうか。
季節になって、西武鉄道が車内ポスターで「飯能ホタルツアー」を呼びかければ、多くの人が飯能にホタルを見にやって来るでしょう。飯能駅から西武バスが「ホタル巡回バス」を運行するようになるかもしれません。その代わり、ポスターには「鑑賞ルール」は目立つように記載してもらいましょう。
2006-02-28 Tue
この〈地域サイトを考える〉という項目タイトルの第01回では「全体の項目」を列挙したので、第02回以降は、その項目に沿って書いていきます。
私が2001年3月から運営している『飯能いつどこ情報源』は言うまでもなく地域サイトです。正確には「地域情報ポータルサイト」と言うのだそうですが「地域サイト」とか「地域情報サイト」とも言われています。
ちなみにamazonなどの書籍DBを「地域情報サイト」で検索すると、『誰でも簡単にできる学校Webサイト活用法―学校の情報公開、地域・保護者との連携のために』(高陵社1680円)1冊しか表示されません。つまり「地域情報サイト」について書かれた書籍はまだ1冊も出版されていないということです。
もし、どこかの出版社が「地域情報サイト」に関する単行本を出すとしたら、「地域サイトを利用する人の視点で書いた活用本」でしょうか? それとも「地域サイトを開設したい人・運営している人の視点で書いた指南書」になるのでしょうか?
参考のために「地域サイトを考える」でGoogle検索したら、最上位に表示されたのは、私の「飯能どうする研究所」の当の項目でした。まだ「地域サイトを考える」というサイトは誰も開設していないようです。
第01回で書いた項目は「開設したい人」のためのものでしょう。そこで今回は「利用したい人のための項目」の大分類を書いてみました。
1.どこまでの「地域」を対象にしたいのか?
2.まず「地域名」で検索してみよう!
3.自治体・公益団体のサイトを総点検してみる
4.「地域」の何を知りたいのか?
5.知りたいのは過去か?現在か?未来か?
6.「場所」を知りたいのか?
7.「人」を知りたいのか?
8.「いつ?どこで?何が?」を知りたいのか?
9.「いま」「ここで」起きていることを知る
第03回以降は各項目毎に詳細を考えていく予定です。
2006-03-02 Thu
この〈「いつどこ」を考える〉という項目タイトルの第01回では、「FAQの項目」を列挙してみました。そこで第02回以降は、その項目に沿って書いていきます。
しかし単なる「過去の経緯」だけでは、読んでいる人には面白くないと思います。そこで、ここでは「現在の状況」と「将来の展望」も合わせて書いていくようにします。なぜなら、私は、インターネットの面白さは「過去の記録」ではなく「現在の最新情報」と「未来の先取り」だと思っているからです。
私がインターネットを利用するようになって地域情報サイトの存在を知ったとき、最初に思ったのは「飯能にもイベント情報を網羅した地域サイトが有ったらなぁ」ということでした。
なぜなら、それまで私は「飯能で開催されるイベント情報」を「広報はんのう」や文化新聞、新聞折込チラシなどで知ると、それを自分のパソコンに時系列で入力していたからです。その「自分だけのいつ?どこで?どんなイベントが?予定されているか情報源」に基づいて「市内での遊び」の予定を立てていたからです。
当時の文化新聞のイベント記事は「これからのイベントのお知らせ」よりも「開催されたイベントの報告記事」の方が多かったのです。「こんなイベントが開催されました」という記事を読むたびに「あっー、これを事前に知ってれば見に行きたかったのになぁ・・・・・」と思わされたことが何十回もありました。その悔しさが、「これからのイベント情報を時系列でたくさん把握しておく」ことにつながったのです。
そこで頼りにしていたのが、「広報はんのう」や「文化新聞」などに載っているイベント情報、公民館に置かれているチラシだったのですが、それでも、それだけで市内で開催されるイベントの全てを把握できるわけではありません。
だからこそ「地域のイベント情報を網羅したサイト」が欲しかったのです。「早く、誰か、そんなサイトを開設してくれないかなぁ」「少しくらいならお手伝いしてもいいのになぁ」と思っていたのです。
しかし、いつまでたっても、そんな地域情報サイトは開設されませんでした。もちろん「お店」や「観光スポット」を紹介したサイトは、当時から幾つもありましたが、私が求めていたのは「イベント情報」です。さらに絞り込めば「講演会」と「落語会」と「芝居」と「ダンス公演」です。
もちろん当時も「イベント情報が載っているサイト」はありましたが、どのサイトも「イベント情報も載せている」という程度であって、サイト運営の主旨によってジャンルは偏っていましたし、なによりも掲載されている情報の件数が少なすぎました。
そんな充たされない思いが、やがて「誰も開設してくれないのなら、自分で始めるしかないか・・・」とまで考えるようになったのです。
しかし、そんな地域情報サイトを自分が開設したら、情報収集や入力作業、サイト管理に膨大な時間をとられてしまうことは分かっていました。だから「自分はやりたくない」としばらくは思っていたのです。
それなのに、自分で始める気になったのは「ある事情」と「あるきっかけ」があったのですが、それは第03回に書いてみようと思います。
2006-03-26 Sun
前回(3/2)にも書きましたが、私は最初『飯能いつどこ情報源』のような地域情報サイトを自分で運営する気はありませんでした。そんなことを始めてしまったら、自分の貴重な時間を膨大に取られてしまうことが判っていたからでした。
それなのに地域情報サイトを自分で始める気になった「ある事情」というのは、自分が「幾つかのイベントを主催したい」と思うようになったからでした。
当時の私は、講演会や勉強会、それに「お笑いイベント」等を計画していました。これらのイベントで最大の課題は「集客」です。特に入場料を徴収するイベントはある一定のお客に来て貰えなければ赤字を抱えるだけです。
できるだけの多くの人に来場して貰うためには、できるだけ多くの人たちにそのイベントを認知して貰わなければなりません。そのための告知方法として、地元のイベント情報を掲載するサイトに興味があったのです。
チラシには印刷代がかかりますし、新聞に折り込もうと思ったらこれにも費用がかかります。ところが、インターネットなら無料ですし、内容の変更も素早く臨機応変に対応できます。それにメールで予約を受けることもできます。
もちろん、そういう地域情報サイトを誰かが始めてくれることを待っていました。しかし、仮にそんなサイトが有ったところで、自分が主催するイベントの告知を、自分が望むスタイルやスペースで掲載して貰わなければ効果はあまり期待できません。それには、その地域情報サイトを自分で運営する以外には無い、という結論を出し、無理矢理、自分を納得させることにしました。
そうして「いつどこ」を始めて、もう5年になりました。当初予想していた以上に「時間が取られた」ことに驚いています。もちろん、自分の収入を生み出すべき本来の仕事にもかなり支障がありました。「とんでもない荷物を背負ってしまったなぁ」という後悔もあります。
それでも「いつどこ」を止めないのは、まだ自分が「有望若手応援寄席」と「飯能五行歌会」に関わっているからでしょう。しかし、正直言って、「いつどこ」に掲載したことによる集客効果は、期待したことの1/10にもなっていません。
だから、私が『飯能いつどこ情報源』の運営を今やめても、それらの集客には大きな影響は生じないでしょう。それどころか、これらのイベントから私が手を引けば、もう「いつどこ」そのものを私が運営する必要がなくなります。
それでも、私が「いつどこ」の運営を止めないのは「せっかく、ここまで続けてきたのだから、今更止めるのも勿体ない」という一種の意地かもしれません。
2006-04-17 Mon
すでに知っている人も多いと思いますが、検索のGoogleサイトに地図機能があります。他の地図サイトとの大きな違いは「航空写真」が見られることです。世界中すべての地域の航空写真を、自分が空を飛んでいるかのように自由に見ることができます。
試しに飯能河原の地図を表示してみました。(普通の地図が表示されている場合はその画面右上のサテライトの文字をクリックして下さい)
このGoogleの航空写真の凄さは「カメラの視点」を自由に動かせることです。飯能市全域 → 関東一円 → 日本全土 → アジア全域と拡大されていきます。
この「航空写真」が現時点のものだと素晴らしいのですが、残念ながらやや昔のもののようです。飯能河原に乗り入れている車が写っていることから、撮影日は少なくとも2005年1月1日以前のものと思われます。
しかし、飯能河原のすぐ北側にある観音寺を見ると、まだ飯能幼稚園の旧園舎が残っていますので、撮影日はさらに遡ると思われます。旧園舎はいつ頃まだ在ったのでしょうか?
みなさんも飯能市内での環境変化に記憶があれば、Googleの「航空写真」の撮影日が絞り込まれるのではないかと思います。興味の有る方は、自宅周辺の建物、道路の変化で撮影日時を推測してみたら面白いのではないでしょうか?
この〈Googleマップと飯能〉という項目タイトルでは、このGoogle地図機能を飯能に活かすことについて書いていきます。まず、『飯能いつどこ情報源』TOP頁中列のイベント情報に載せる地図はすべてこのGoogleマップとリンクするようにしていきます。
試しに飯能河原の地図を表示してみました。(普通の地図が表示されている場合はその画面右上のサテライトの文字をクリックして下さい)
このGoogleの航空写真の凄さは「カメラの視点」を自由に動かせることです。飯能市全域 → 関東一円 → 日本全土 → アジア全域と拡大されていきます。
この「航空写真」が現時点のものだと素晴らしいのですが、残念ながらやや昔のもののようです。飯能河原に乗り入れている車が写っていることから、撮影日は少なくとも2005年1月1日以前のものと思われます。
しかし、飯能河原のすぐ北側にある観音寺を見ると、まだ飯能幼稚園の旧園舎が残っていますので、撮影日はさらに遡ると思われます。旧園舎はいつ頃まだ在ったのでしょうか?
みなさんも飯能市内での環境変化に記憶があれば、Googleの「航空写真」の撮影日が絞り込まれるのではないかと思います。興味の有る方は、自宅周辺の建物、道路の変化で撮影日時を推測してみたら面白いのではないでしょうか?
この〈Googleマップと飯能〉という項目タイトルでは、このGoogle地図機能を飯能に活かすことについて書いていきます。まず、『飯能いつどこ情報源』TOP頁中列のイベント情報に載せる地図はすべてこのGoogleマップとリンクするようにしていきます。
2006-04-26 Wed
当Blog「飯能どうする研究所」は、いわゆる<地域サイト>ではありません。管理人が自分の意見を書き込んでいるだけの単なる個人のサイトです。
タイトルに「飯能」という地名を入れているのは、書き込む話題を<これからの飯能をどうするか?><自分としては飯能で何をしたいのか?>ということに限定しているからです。
それに対して、もう一つ私が運営している『飯能いつどこ情報源』は、サイトとしては<地域情報サイト>に分類されますが、<地域情報の全て>を網羅して掲載しているわけではありません。
地域サイトに求められる情報は、よくwho、what、when、where、whyの5Wに分類されますが、『飯能いつどこ情報源』はその中でも<when・いつ>と<where・どこ>に絞り込んでいます。だから、スタートした当初のロゴは「いつ?どこ?」というように「?」を強調していました。
サイト名を「どこいつ」にしなかったのは、whereよりもwhenを優先したからです。それは、私自身が地域サイトに求めていたのは「地元で開催されるイベント情報」だったからです。
イベント情報で最も重要な情報は「いつ開催されるのか?」です。だから、イベント情報を月日順で掲載し、年月日で検索できる機能を付けているのです。
イベント情報で最も求められるのは「これからのイベント予定(未来)」であって、「いままでのイベント結果(過去)」ではありません。だから、イベント情報の検索データから2005/12/31以前の過去情報を削除しました。『飯能いつどこ情報源』は、あくまでも「これからのイベント情報」を重視していきたいからです。
もし、whenよりもwhereを優先されるのであれば、開催日時よりも開催会場を重視して開催場所を中心にレイアウトしたでしょう。
イベント情報自体はwhat(何を?)に含まれるコトですが、what(何を?)という括りで求められるコトは必ずしもイベント情報が最優先事項ではありません。
「まちづくり」や「行政への住民参加」などは、そのための会合情報はイベント情報に括られることですが、「何をどうする?」「そうするのはなぜ?」というコトに関する情報は「いつどこ」には馴染めません。
だから、私は『飯能いつどこ情報源』とは別のサイトとして「飯能どうする研究所」というBlogを始めたのです。もし、サイト名に「いつどこ」が無くて「、例えば「飯能何でも情報源」というような名称であれば、「飯能どうする研究所」を別サイトにはしなかったでしょう。
『飯能いつどこ情報源』では、「いつ?」「誰が?」「何を?」という情報も、あくまでも「飯能(周辺)でのこと」に限定していますが、「どこに?」「どんなものが?」というスポットの場所情報(名所・旧跡・お店・お薦めの所)はまだまだ不十分です。「掲載方法」(レイアウト・見せ方)に自信が持てないのです。