2006-12-13 Wed
安部首相は、「美しい国、日本」と言っていますが、飯能市が目指す方向は「住んでいることを誇りに思える街」ではないでしょうか。
私は、飯能が大好きです。飯能市に転居してきて良かったと思っています。
でも、「飯能に住んでいることに誇りに思えるか?」と問われれば、
「はい」とは言えないところがあります。
なぜなら、この飯能には「歯がゆく思っていること」「納得できないこと」「恥ずかしいと思うこと」「不満なこと」もたくさん有るからです。
しかし、だからと言って、飯能市から他へ移ろうとは思いません。ここに住み続けて、この飯能市にはもっと、もっと「誇れる街」になって欲しいと思っています。
では、どのような街が「誇れる街」なのでしょうか?
その「良い街」の定義やイメージは、人によって異なるでしょう。
しかし、どんな「街」であっても、「住んでいることを誇りに思える街」ということに集約されると、私は思っています。
例えば、
「汚い街」よりは「美しい街」のほうが誇りを持てます。
「不便な街」よりは「便利な街」のほうが誇りを持てます。
「つまらない街」よりは「面白い街」のほうが誇りを持てます。
「活気のない街」よりは「活気に溢れている街」のほうが誇りを持てます。
さらに、
「特徴の無い街」よりは「特徴の有る街」のほうが誇りを持てます。
「自然が少ない街」よりは「自然が豊富な街」のほうが誇りを持てます。
「川が汚い街」よりは「清流が流れている街」のほうが誇りを持てます。
この他にも、
「知名度が低い街」よりは「知名度の高い街」のほうが誇りを持てます。
「神社仏閣や史跡が少ない街」よりは「神社仏閣や史跡が豊富に点在している街」のほうが誇りを持てます。
「有名な観光地が無い街」よりは「有名な観光地が有る街」のほうが誇りを持てます。
「有名人を一人も生んでいない街」よりは「有名人をたくさん輩出している街」のほうが誇りを持てます。
もっと言わせてもらえば、
「投票率が低い街」よりは「投票率が高い街」のほうが誇りを持てます。
「住民参加が少ない街」よりは「住民参加が活発な街」のほうが誇りを持てます。
「福祉が置き去りにされている街」よりは「福祉優先の街」のほうが誇りを持てます。
「市役所がやる気の無い街」よりは「市役所がやる気満々の街」のほうが誇りを持てます。
「財政的に県や国に依存している自治体でいる」よりは「自立している自治体になる」のほうが誇りを持てます。
「転入者を無視する街」よりは「転入者を歓迎する街」のほうが誇りを持てます。
「著名な企業がいない街」よりは「著名な企業が存在している街」のほうが誇りを持てます。
「歴史の無い街」よりは「歴史の有る街」のほうが誇りを持てます。
「夢の無い街」よりは「夢の有る街」のほうが誇りを持てます。
・・・・・きりがないですから、この辺で止めておきましょう。
私は、これから、私たちが目指す「まちづくり」の方向は、
「住んでいることを誇りに思える街」
にしていくことだと思っています。
私は、飯能が大好きです。飯能市に転居してきて良かったと思っています。
でも、「飯能に住んでいることに誇りに思えるか?」と問われれば、
「はい」とは言えないところがあります。
なぜなら、この飯能には「歯がゆく思っていること」「納得できないこと」「恥ずかしいと思うこと」「不満なこと」もたくさん有るからです。
しかし、だからと言って、飯能市から他へ移ろうとは思いません。ここに住み続けて、この飯能市にはもっと、もっと「誇れる街」になって欲しいと思っています。
では、どのような街が「誇れる街」なのでしょうか?
その「良い街」の定義やイメージは、人によって異なるでしょう。
しかし、どんな「街」であっても、「住んでいることを誇りに思える街」ということに集約されると、私は思っています。
例えば、
「汚い街」よりは「美しい街」のほうが誇りを持てます。
「不便な街」よりは「便利な街」のほうが誇りを持てます。
「つまらない街」よりは「面白い街」のほうが誇りを持てます。
「活気のない街」よりは「活気に溢れている街」のほうが誇りを持てます。
さらに、
「特徴の無い街」よりは「特徴の有る街」のほうが誇りを持てます。
「自然が少ない街」よりは「自然が豊富な街」のほうが誇りを持てます。
「川が汚い街」よりは「清流が流れている街」のほうが誇りを持てます。
この他にも、
「知名度が低い街」よりは「知名度の高い街」のほうが誇りを持てます。
「神社仏閣や史跡が少ない街」よりは「神社仏閣や史跡が豊富に点在している街」のほうが誇りを持てます。
「有名な観光地が無い街」よりは「有名な観光地が有る街」のほうが誇りを持てます。
「有名人を一人も生んでいない街」よりは「有名人をたくさん輩出している街」のほうが誇りを持てます。
もっと言わせてもらえば、
「投票率が低い街」よりは「投票率が高い街」のほうが誇りを持てます。
「住民参加が少ない街」よりは「住民参加が活発な街」のほうが誇りを持てます。
「福祉が置き去りにされている街」よりは「福祉優先の街」のほうが誇りを持てます。
「市役所がやる気の無い街」よりは「市役所がやる気満々の街」のほうが誇りを持てます。
「財政的に県や国に依存している自治体でいる」よりは「自立している自治体になる」のほうが誇りを持てます。
「転入者を無視する街」よりは「転入者を歓迎する街」のほうが誇りを持てます。
「著名な企業がいない街」よりは「著名な企業が存在している街」のほうが誇りを持てます。
「歴史の無い街」よりは「歴史の有る街」のほうが誇りを持てます。
「夢の無い街」よりは「夢の有る街」のほうが誇りを持てます。
・・・・・きりがないですから、この辺で止めておきましょう。
私は、これから、私たちが目指す「まちづくり」の方向は、
「住んでいることを誇りに思える街」
にしていくことだと思っています。
2006-12-15 Fri
当Blogのタイトルでは「飯能を誇れる街に」ではなく、あえて「飯能を誇れる自治体に!」と書いています。
自治体とは「市役所」とか「市長・市議・市職員」という限定された一部の人たちの組織ではなく、その「市」に住民登録しているすべての人を含んだ組織だと私は解釈しています。
念のために『朝日現代用語・知恵蔵2007』で「自治体」という項目を読んだら下記のように書かれていました。
地方公共団体とは、国家の領土の一部を範囲として、その地域における住民を構成員として、その地域内の地方自治を行うために、憲法や法律が定めた自治権を行使する事を目的とする団体をいう。一般に、地方自治体や地方政府とも呼ばれる。
この記述は、フリー百科事典『ウィキペディア』の記述とほぼ同じでした。たぶん、どちらかが、どちらかを写したのでしょうね。
私たちが、飯能を「住んでいることを誇りに思える街にする」ためには、市役所や市議会も含まれています。
そのことを明確にしておくために、当Blogのタイトルを
「飯能を誇れる街に!」ではなく「飯能を誇れる自治体に!」にしています。
もちろん、これには
「誇れる市長であって欲しい」(誇れる市長を目指して欲しい)
「誇れる市役所であって欲しい」(誇れる職員を目指して欲しい)
「誇れる市議会であって欲しい」(誇れる市議を目指して欲しい)
という意味も込められていることは言うまでもありません。
それが、飯能市という自治体の構成員である市民の願いだからです。
自治体とは「市役所」とか「市長・市議・市職員」という限定された一部の人たちの組織ではなく、その「市」に住民登録しているすべての人を含んだ組織だと私は解釈しています。
念のために『朝日現代用語・知恵蔵2007』で「自治体」という項目を読んだら下記のように書かれていました。
地方公共団体とは、国家の領土の一部を範囲として、その地域における住民を構成員として、その地域内の地方自治を行うために、憲法や法律が定めた自治権を行使する事を目的とする団体をいう。一般に、地方自治体や地方政府とも呼ばれる。
この記述は、フリー百科事典『ウィキペディア』の記述とほぼ同じでした。たぶん、どちらかが、どちらかを写したのでしょうね。
私たちが、飯能を「住んでいることを誇りに思える街にする」ためには、市役所や市議会も含まれています。
そのことを明確にしておくために、当Blogのタイトルを
「飯能を誇れる街に!」ではなく「飯能を誇れる自治体に!」にしています。
もちろん、これには
「誇れる市長であって欲しい」(誇れる市長を目指して欲しい)
「誇れる市役所であって欲しい」(誇れる職員を目指して欲しい)
「誇れる市議会であって欲しい」(誇れる市議を目指して欲しい)
という意味も込められていることは言うまでもありません。
それが、飯能市という自治体の構成員である市民の願いだからです。
2007-04-17 Tue
長崎市長銃撃のニュースを聴いて、「いつも過激的な団体から監視される脅される自治体の首長は大変だなぁ」ということを思いました。
言うまでもなく、現在、最も話題にされている自治体の首長は、東国春英夫宮崎県知事でしょう。
その点、我が飯能市は、市長も、市役所も、街も、「やや地味」ですね。
「誇れる」ということの内容の一つに「知名度」があります。
だから飯能の市長には、全国的に知名度の高い人になって欲しいと私は思っています。
東国原知事のように、地元出身者で、全国的に知名度の高い人がいるのでしょうか?
もちろん、市長になってから知名度が高くなる場合も大歓迎です。
現在、無名で、地味で、知名度の低い人でも、例えば、下記のような人であれば、全国的にも目立つかもしれません。
1.初当選の時に、全国の首長の中で最年少の人
2.その逆に、初当選の時に、全国の首長の中で最高齢の人
3.現在、子育て真っ最中の子供の数が多い人(10人以上かな・・・・)
4.肉体的な障害や、養育上のハンデを克服した人
当選前は平凡な市長でも、当選後にユニークな行動、例えば下記のようなことで目立つことも可能です。
5.市長としての報酬を全額辞退する
6.市役所の中に「市長官舎スペース」を設置して住み込んでしまう
7.選挙の時のライバル候補に副市長への就任を要請する
もちろん、市長としての「高い志」と「深い見識」「独創的な発想と斬新な政策」「強烈な指導力と行動力」で、他の自治体の先駆けになることを推進していくことで、全国的に目立つような人の出現にも期待したいですね。
例えば、「市議会改革」「市役所改革」では、下記のような「実験」に「挑戦」し、反対を押し切っても実現させていくような人です。
8.市議会議員の歳費をゼロにしたうえで議員定数を100人に増やす
9.「議員内閣制」に倣って市議を市役所の「部長級」に登用する
10.市議会の開催を「平日の夜間」「土日」に限定する
11.市役所職員の採用を「市民」に限定、年齢制限の上下を撤廃する
12.市役所職員の定数を定め、新規採用者と退職者の数を同数に保つ
13.市役所職員の配属先と勤続年数を「志願制」「公募制」で決める
上記のような「革命的な改革プラン」は、実現する前の「公表」し「討議」している段階から、全国の自治体から注目されて、飯能市の知名度、期待度、注目度が一気に向上するのではないでしょうか?
上記の8,9,10は、大多数の市議は反対するでしょうが、
11,12,13は、市役所職員で反対する人は少ないのではないでしょうか。
だから、市長としても「推進しやすい」ことだと思っているのですが・・・・・・
ぜひ、「次の市長」に期待しています。
(もちろん、いまの市長が挑戦してくれなら、応援しますけど・・・)
2007-04-18 Wed
いまから35年も前、仕事で同僚と一緒に全国の地方都市の市役所や町役場を何十ヵ所も廻ったことがありました。
一口に「地方都市」と言っても、日本には「田舎のような地域」と「都会のような地域」があります。
何カ所かの地方都市を廻ってみて「田舎 or 田舎じゃない」の判断基準として二つのことに気づいたのです。
1.市役所や町役場の庁舎が、その地域で一番高い建物である
(つまり、その地域には大きな事業所が他には無いということ)
2.市役所や町役場の女性職員に美人が多い
(つまり、魅力的な職場が他には無いということ)
その後、同僚と新たな地方都市地の市役所や町役場を訪ねる度に、
「ここは田舎だ!」
「ここは田舎じゃないんだなぁ」
と、その「発見」を再確認して、妙に納得したのをいまだに覚えています。
私が、飯能市に転居してきた24年前は、すでに丸広飯能店が市役所より高い建物だったので「飯能市は田舎じゃない!」と感じたものです。
市役所の女性職員に美人が多かったかどうかは・・・・・・・(記憶にありません)
日本では庁舎の規模と高さを誇る時代はもう終わったのです。
飯能市が森林文化都市を全国にアッピールするのであれば、これから新たに建設する公共施設や保育園、小中学校の校舎は木造にすべきではないでしょうか?
飯能、精明、加治地区はともかく、山が迫っている原市場、名栗、南高麗、東吾野、吾野地域では、100%木造にしたほうが面白いのではないでしょうか?
公共建造物における各種の規制や制約、制限も、構造改革による「変化」で可能になってきているのですから・・・・・・
2007-05-15 Tue
テレビ番組の『ぶらり途中下車の旅』で、またまた飯能が紹介されます。
(5/19放送予定)
このようにテレビで頻繁に紹介されることも「誇れる街」であることの要素の一つですね。
2006/12/13の【飯能を誇れる自治体に!】No.1で
「どのような街が誇れる街か?」ということで、20例ほど列挙しましたが、
きょうは、それに13例ほど追加することにしました。
テレビ番組でまったく紹介されないような街よりは、頻繁に紹介される街のほうが誇りを持てます。
よくテレビドラマや映画の撮影場所になる街は誇りを持てます。
さらには、テレビドラマや劇映画の「舞台」になったことで全国に知られている街には誇りが持てます。
だから撮影に協力するフィルム・コネクション(コミッション)組織が有る街も誇りを持てます。
そればかりか、長く読まれている小説に描かれている街も誇りが持てます。
有名な人を一人も輩出していない街よりは、多くの分野で著名人を生み出している街のほうが誇れます。
ユニークな活動をしている人がまったく居ない街よりも、そういう人たちが大勢住んでいる街のほうが誇りを持てます。
市外からも大勢のお客さんを惹きつけているお店が多いと、それも街としては誇れることです。
行列ができるようなお店が1軒も無い街よりは、行列のできる店がたくさん有る街のほうが誇りを持てます。
「日本ではここにしか無い」という珍しいお店が一つでもあれば、それも街として誇れることです。
「○○発祥の地」とか「○○生誕の地」とか「○○創業の地」というような歴史的な場所が多い街も住んでいることを誇れる街です。
「他所の真似ばかりしている街」よりも、
「新しいこと」「独創的なこと」を始める街は誇りを持てる街です。
目標を設定することを避ける街、ちょっとでも難しいことからは逃げようとする街であるよりは、
「高い目標」や「困難なこと」でも、積極的に挑戦していく街は、誇れる街です。
以上のようなことの中に、飯能に当てはまることは、どれだけ有るでしょうか?
無ければ、これから、そういう街に作り上げていけばいいのです。
2007-05-16 Wed
昨日、どのような街が<住んでいることを誇れる街>なのか、を書いていたら、止まらなくなってしまったので、きょうはその第3弾です。
いま飯能市に限らず、殆どの自治体は<企業誘致>に力を入れています。「税収」と「市民の雇用」の確実な増加につながるからです。
確かに、「有名な企業」や「将来有望な企業」が進出してくる街も誇りが持てる街でしょう。
そういう企業を、市役所の担当職員が探してくることも重要ですが、飯能に住んでいる人が、自分の勤めている会社の本社や工場、物流拠点などを引っ張ってくる、というのも誇れる街だと思います。
もちろん、大企業やブランド企業ではなくても、<飯能市にしかない企業>で、その企業で働きたくて市外から通勤してくる人が多い街というのも誇れる街ではないでしょうか?
私は、サラリーマン経験の大部分を「社員研修の会社」で過ごしましたが、飯能市は企業の研修所の場所としてもなかなか魅力的な場所だと思っていました。(美杉台に大塚製薬グループの研修所がありますね・・・・)
飯能信用金庫は本店が飯能なのですから研修所が市内に有るのは当然ですが、発祥の時に飯能に縁が深かった西武鉄道や丸広百貨店も、研修所が市内にあればいいのになぁと思っています。
飯能市内の事業所に<通勤>してくる人とは別に、飯能市内の学校に、市外や県外から<通学>してくる人が多い、というのも誇りの持てることだと思っています。
市外、県外から通学者が集まってくる学校としては、聖望学園、自由の森学園、駿河台大学の3校がありますが、こういう私立校が増えていくのも誇りの持てる街でしょう。
海外から大勢の学生が集まってくる学校が出来れば、それも誇りが持てることになります。
もちろん、<誘致>だけではなく、飯能市民が新たに創設する学校の出現も待ち望んでいます。
その点では、<森林文化都市大学>とか、<木造建築専門学校>とか、<森林ビジネス専修学校>などが創設されることにも期待していいのではないでしょうか?
飯能市内には、全寮制の中学高校や、新しい大学が誕生できるだけの「土地的な余裕」だけは充分に有るのですから・・・・・・・
2007-05-21 Mon
私は、当Blogの【森林文化都市宣言】や【森林文化都市への道】という大項目でも書いていますが、この〈森林文化都市〉という概念をとても気に入っています。
飯能だけでなく、日本という国それ自体が〈森林文化都市国家〉を目指せばいいのに、とすら思っているくらいです。
そこで、〈森林文化都市宣言〉をした飯能市としては、市全域を〈森林文化都市というテーマパーク〉にしていくことを目指すのも面白いのではないか、と考えています。
全域が無理だとしても、せめて南高麗、原市場、名栗、吾野、東吾野の5つの地区だけでも、全域を〈テーマパーク・森林文化都市〉にしていくのはどうでしょうか?
市の面積の半分以上が「市営のテーマパーク」というのは、誇れることではないでしょうか?
下記は、私の〈空想〉〈夢想〉〈妄想〉として冷笑して下さい。
★テーマパークというからには、エリアを明確にするために〈囲い〉が必要です。板塀か木の柵で公園全域をグルリと囲んでみるのはどうでしょうか? 延長数十キロの長さの〈板の塀〉は圧巻でしょうね。
★テーマパークというからには〈遊ぶエリア〉以外に〈学ぶエリア〉や〈体験エリア〉〈働くエリア〉なども必要です。
★テーマパークというからには、入園希望者からは入園料を徴収したいですね。もちろん、入園料に見合うだけの内容が必要です。それには、それだけの内容を築き上げるのが最大の課題になります。お得な年間パスや回数券の発行でリピーターも増やしていきたいですね。
★そのリピーターがやがて住民になっていくかもしれません。
★森林文化都市というテーマパークなら、当然、園内に木造のお泊まり施設も必要です。城郭のような豪華なホテルから、バンガローやテント、野宿まで様々なグレードの宿泊施設が求められます。
バブルの時代には、全国に自治体がからんだ第三セクターによるテーマパークの開設が急増しましたが、いまでは、その殆どが無惨な失敗に終わっています。
この〈テーマパーク・森林文化都市〉は、自治体が一つの公共施設や外郭団体としてテーマパークを開設するというのではなく、自治体自体がテーマパークの運営者になるのです。
つまり、テーマパークというプロジェクトを自立する自治体を確立するための一つの手段にしていくのです。