2006-09-20 Wed
これからの飯能市の行政が目指す方向の一つは「市民の永住度を高めていくこと」でしょう。
「永住度」とは、いま飯能市内に住んでいる住民の全体の中で、「これからも飯能市に住み続けていたい」という人が、どれほど居るか、という度合いです。
前に〈地域の評価基準〉という項目タイトルのNo.1(1/6)で、
「飯能市民の永住度アンケート」 を実施したい、と書いたことがあります。
その「永住度アンケート」には下記のような選択肢を設けます。
a.死ぬまで飯能に住み続けたいと思っている
b.たぶん死ぬまで飯能に住んでいると思う
c.いつかは別の市町村に移転することも考えている
d.近い将来は、別の市町村に移転したいと考えている
e.できるだけ早く別の市町村に移転したいと思っている
このアンケートを実施したら、飯能市では、(a)や(b)に○を付ける人はかなり多いでしょう。私自身も迷わずに(a)に○を付けます。
しかし、「住民の永住度が高い」ということと、「住民の満足度が高い」ということは、必ずしもイコールではありません。
私自身を例にすれば、飯能市の公共施設や、行政の姿勢には、かなり不満がありますが、だからといって「飯能から出て行こう」とは思っていません。
「行政への満足度が低い」のに「永住度が高い」理由は、我が家の満足度や、いままでの生活の積み重ね、飯能市の自然環境と都心からの距離の近さ、などです。
飯能市の自然環境も、けっして満足度が高いものではありませんが、これから「もっと良くしたいという意欲度」や、「良くなるのではないかという期待度」は高いものがあります。
例えば、「森林文化都市宣言」を事例にしてみましょう。
飯能市は「森林文化都市を目指します」と宣言しただけで、
「何が森林文化都市なのか?」
「森林文化都市を目指すために何をするのか?」
ということまで、具体的に説明してあるわけではありません。
そういう意味では、森林文化都市を宣言しただけでは「満足度は高くならない」のですが、しかし、森林文化都市を目指すことで「これからへの期待度は高く」なります。
最近になって、飯能市は、ようやく、
「森林文化都市宣言推進事業」を市民から募集していますが、このことは「期待度をますます高める」ことになっています。
そして、 「飯能市に住み続けて森林文化都市を推進したい」という人が増えれば、それが「住民の永住度を高める」ことになっていきます。
「永住度」とは、いま飯能市内に住んでいる住民の全体の中で、「これからも飯能市に住み続けていたい」という人が、どれほど居るか、という度合いです。
前に〈地域の評価基準〉という項目タイトルのNo.1(1/6)で、
「飯能市民の永住度アンケート」 を実施したい、と書いたことがあります。
その「永住度アンケート」には下記のような選択肢を設けます。
a.死ぬまで飯能に住み続けたいと思っている
b.たぶん死ぬまで飯能に住んでいると思う
c.いつかは別の市町村に移転することも考えている
d.近い将来は、別の市町村に移転したいと考えている
e.できるだけ早く別の市町村に移転したいと思っている
このアンケートを実施したら、飯能市では、(a)や(b)に○を付ける人はかなり多いでしょう。私自身も迷わずに(a)に○を付けます。
しかし、「住民の永住度が高い」ということと、「住民の満足度が高い」ということは、必ずしもイコールではありません。
私自身を例にすれば、飯能市の公共施設や、行政の姿勢には、かなり不満がありますが、だからといって「飯能から出て行こう」とは思っていません。
「行政への満足度が低い」のに「永住度が高い」理由は、我が家の満足度や、いままでの生活の積み重ね、飯能市の自然環境と都心からの距離の近さ、などです。
飯能市の自然環境も、けっして満足度が高いものではありませんが、これから「もっと良くしたいという意欲度」や、「良くなるのではないかという期待度」は高いものがあります。
例えば、「森林文化都市宣言」を事例にしてみましょう。
飯能市は「森林文化都市を目指します」と宣言しただけで、
「何が森林文化都市なのか?」
「森林文化都市を目指すために何をするのか?」
ということまで、具体的に説明してあるわけではありません。
そういう意味では、森林文化都市を宣言しただけでは「満足度は高くならない」のですが、しかし、森林文化都市を目指すことで「これからへの期待度は高く」なります。
最近になって、飯能市は、ようやく、
「森林文化都市宣言推進事業」を市民から募集していますが、このことは「期待度をますます高める」ことになっています。
そして、 「飯能市に住み続けて森林文化都市を推進したい」という人が増えれば、それが「住民の永住度を高める」ことになっていきます。
2006-09-21 Thu
飯能市役所が、これから目指す行政サービスの方向の一つは「市民の永住度を高める」ことです。
なぜなら、
「こんな街からは早く出て行きたい」と思っている人よりも、
「いつまでもこの街に住み続けたい」と思っている人のほうが多い
という街が間違いなく「良い街」だからです。
さらに
「この街に住み続けたい」と思っている人の割合が年々増えていく
ことが「良い街」だからです。
そして、その割合を増やしていくことが
「街づくり」の基本的な目的 であり、その数値が「評価の基準」だからです。
たとえば、税金が安くて、道路が整備され、豪華な公共施設があっても、「もうこんな街には住んでいたくない」という人が多ければ、そこは「良い街」とは言えないでしょう。
その逆に、税金が高くて、道路事情が悪くて、公共施設が貧弱であっても「いつまでもこの街に住み続けていたい」という人が多ければ、そこは「良い街」なのではないでしょうか。
できるだけ多くの市民に「いつまでも飯能に住み続けたい」と思ってもらう街にするために、飯能市役所はこれから何をすればいいのでしょうか?
それには、まず
(1)「この街から早く出て行きたい」と思わせている マイナス要因 を、出来るだけ多く、できるだけ早く、取り除いていくことです。
そして、
(2)「この街に住み続けたい」と思わせている プラス要因 を、さらに増やし、深め、高め、強化していくことです。
それらの「マイナス要因」と「プラス要因」を、できるだけ多く、できるだけ具体的に、できるだけ早く把握するためには、<永住度市民アンケート>を実施することです。そのアンケート項目については、後日書くことにします。
しかし、<永住度>は、個人の気持ちの中でも年々変化していくものです。
そのため、「追跡調査」を定期的に続けていくことも重要です。そのため、この<永住度市民アンケート>は、最低でも5年ごとに実施することが必要でしょう。
そうすれば、<市民の永住度>が、飯能市では「上昇傾向」にあるのか、「下降傾向」にあるのかも判ります。
なぜなら、
「こんな街からは早く出て行きたい」と思っている人よりも、
「いつまでもこの街に住み続けたい」と思っている人のほうが多い
という街が間違いなく「良い街」だからです。
さらに
「この街に住み続けたい」と思っている人の割合が年々増えていく
ことが「良い街」だからです。
そして、その割合を増やしていくことが
「街づくり」の基本的な目的 であり、その数値が「評価の基準」だからです。
たとえば、税金が安くて、道路が整備され、豪華な公共施設があっても、「もうこんな街には住んでいたくない」という人が多ければ、そこは「良い街」とは言えないでしょう。
その逆に、税金が高くて、道路事情が悪くて、公共施設が貧弱であっても「いつまでもこの街に住み続けていたい」という人が多ければ、そこは「良い街」なのではないでしょうか。
できるだけ多くの市民に「いつまでも飯能に住み続けたい」と思ってもらう街にするために、飯能市役所はこれから何をすればいいのでしょうか?
それには、まず
(1)「この街から早く出て行きたい」と思わせている マイナス要因 を、出来るだけ多く、できるだけ早く、取り除いていくことです。
そして、
(2)「この街に住み続けたい」と思わせている プラス要因 を、さらに増やし、深め、高め、強化していくことです。
それらの「マイナス要因」と「プラス要因」を、できるだけ多く、できるだけ具体的に、できるだけ早く把握するためには、<永住度市民アンケート>を実施することです。そのアンケート項目については、後日書くことにします。
しかし、<永住度>は、個人の気持ちの中でも年々変化していくものです。
そのため、「追跡調査」を定期的に続けていくことも重要です。そのため、この<永住度市民アンケート>は、最低でも5年ごとに実施することが必要でしょう。
そうすれば、<市民の永住度>が、飯能市では「上昇傾向」にあるのか、「下降傾向」にあるのかも判ります。
2006-09-22 Fri
飯能市民で「いつまでもこの街に住み続けたい」と思わせているプラス要因には、どのようなものが考えられるでしょうか? 思いつくままに列挙してみました。
1.ここで生まれ、育った所だから
これを「飯能に住み続けたい理由」の一番に挙げる人は多いでしょう。
しかし、自分が生まれた育った所に住み続けたいと思うのは、飯能に限らず、日本全国どこの地域でもそうでしょう。
だから、そのことだけで「住民の永住度が高くなった」としても、それが自治体の努力の成果だった、ということにはなりません。
しかし、「飯能で生まれる子供を多くする」ということは、自治体の努力目標にはなるでしょう。そのための施策としては下記のようなことが考えられます。
(a)子供を産みやすい環境や施設、制度を整える
飯能市の「出生率」を全国平均と比較して、ずば抜けて高ければ、それは「良い街である」ことの利点の一つでしょう。
飯能市の出生率が周辺の市町村と比較して、突出して高ければ、そのことだけでも「飯能市には何かが有る!」と注目されるでしょう。
(b)若い夫婦が飯能市に転入したくなる仕組みを創る
安くて快適な市営住宅、良質な民間住宅の増加、若い人の雇用をもたらす企業の誘致、魅力的な大型商業施設の充実なども、自治体行政の課題です。
(c)飯能市民同士の結婚が増える仕組みを創る
飯能市民以外の人と結婚した女性は、その結婚と共に殆どの人が飯能から転出することになりますが、結婚する男女が共に飯能市民であれば、そのまま市内に住み続けることになります。
私の身近な範囲だけをみても、この事例は多いと思っています。
(d)市外の男性と結婚しても飯能に住み続ける女性を増やす
私の知人にも、「市外の人と結婚して一度は飯能から転出したが、数年して、夫や子供を引き連れて飯能市にUターンしてきた」という飯能生まれの女性がけっこういます。
これは、飯能市を特徴づけることの一つだと私は思っています。これも「良い街」であることの特徴の一つでしょう。最近も、「結婚で県外に行く」ことになった若い女性に「いずれ旦那を引っ張って飯能に帰って来なよ」と言ってしまいました。
(e)子育てのために飯能市に転入してくる家族を増やす
「自然が豊富なところで子育てしたいから」「自由の森学園に子供を通わせたいから」という理由で飯能市に転入してきた家族は極めて多いでしょう。
これからも、そういう、「市外からの転入家族」を呼び込む学校を誘致していくことも自治体の努力目標の一つになるでしょう。
次回は、
2.自分の意志で飯能に転入してきたから
という「プラス要因」と「住民の永住度」の関係については書いてみます・・・・・
1.ここで生まれ、育った所だから
これを「飯能に住み続けたい理由」の一番に挙げる人は多いでしょう。
しかし、自分が生まれた育った所に住み続けたいと思うのは、飯能に限らず、日本全国どこの地域でもそうでしょう。
だから、そのことだけで「住民の永住度が高くなった」としても、それが自治体の努力の成果だった、ということにはなりません。
しかし、「飯能で生まれる子供を多くする」ということは、自治体の努力目標にはなるでしょう。そのための施策としては下記のようなことが考えられます。
(a)子供を産みやすい環境や施設、制度を整える
飯能市の「出生率」を全国平均と比較して、ずば抜けて高ければ、それは「良い街である」ことの利点の一つでしょう。
飯能市の出生率が周辺の市町村と比較して、突出して高ければ、そのことだけでも「飯能市には何かが有る!」と注目されるでしょう。
(b)若い夫婦が飯能市に転入したくなる仕組みを創る
安くて快適な市営住宅、良質な民間住宅の増加、若い人の雇用をもたらす企業の誘致、魅力的な大型商業施設の充実なども、自治体行政の課題です。
(c)飯能市民同士の結婚が増える仕組みを創る
飯能市民以外の人と結婚した女性は、その結婚と共に殆どの人が飯能から転出することになりますが、結婚する男女が共に飯能市民であれば、そのまま市内に住み続けることになります。
私の身近な範囲だけをみても、この事例は多いと思っています。
(d)市外の男性と結婚しても飯能に住み続ける女性を増やす
私の知人にも、「市外の人と結婚して一度は飯能から転出したが、数年して、夫や子供を引き連れて飯能市にUターンしてきた」という飯能生まれの女性がけっこういます。
これは、飯能市を特徴づけることの一つだと私は思っています。これも「良い街」であることの特徴の一つでしょう。最近も、「結婚で県外に行く」ことになった若い女性に「いずれ旦那を引っ張って飯能に帰って来なよ」と言ってしまいました。
(e)子育てのために飯能市に転入してくる家族を増やす
「自然が豊富なところで子育てしたいから」「自由の森学園に子供を通わせたいから」という理由で飯能市に転入してきた家族は極めて多いでしょう。
これからも、そういう、「市外からの転入家族」を呼び込む学校を誘致していくことも自治体の努力目標の一つになるでしょう。
次回は、
2.自分の意志で飯能に転入してきたから
という「プラス要因」と「住民の永住度」の関係については書いてみます・・・・・
2006-09-23 Sat
2.自分の意志で飯能に転入して来たから
これを、「飯能に住み続けたい理由」に挙げる人も多いでしょう。
人間には、誰しも「自分が決定したことは正しい」と思い込みたい、という傾向があります。
だから「多くの転居先候補地の中から、飯能を選んだのは自分なのだか、当然、これからも飯能に住み続ける」とアンケートに回答する人たちも多いでしょう。
実は、私もその一人です。
「飯能市で生まれた」とか「飯能で育った」というのは、当人の意志ではありませんが、大人になってから、自分の意志で余所から飯能市に転入してきた人には、私も含めて「・・・だからは飯能に決めた」という理由があります。
「転勤で飯能に住むことになったから」とか「親の引越で一緒に来ざるを得なかったから」というのは、当人に意志で飯能を選んだことではありません。
自分の意志で「飯能に住む」こと選択した、その代表的な理由は下記の2つでしょう。
・都心から遠くない場所にしては緑が多い
・里山や清流が身近にある
たとえ自分の意志で飯能に転居してきた人でも、その最大の理由が「通勤に便利」とか「○さんが住んでいるから」という人は、退職や転職、その○さんがいなくなった時は、飯能から出ていくことにもなるのですから、それらの理由は「いつまでも住み続けたい」という理由にはなりません。
上記の「都心から遠くない場所にしては緑が多い」「里山や清流が身近にある」という「理由」の中にこそ、自治体が行政の努力目標にすべきことがあります。例えば下記のようなことです。
(a)都心からの交通の便の良さをさらに向上させる
飯能市をこの位置から動かすことは不可能ですが、「交通手段の整備」によって「都心からさらに近く」することは、行政なら可能なことです。
西武池袋線と地下鉄有楽町線の乗り入れによって都心が近くなりましたが、運行本数が増えれば、その便はさらに向上します。だから、西武鉄道にそれを要請するのも行政のこれからの課題です。
JRの東飯能駅から新宿駅、東京駅、新横浜駅への直通電車の乗り入れも、物理的には可能なのですから、本数と所要時間の短縮が実現すれば、さらに都心も、新幹線も「いまより近く」なります。
もちろん、これは、JR東日本が実行することですが、その実現を自治体が強く働きかけることは不可欠です。
飯能における「自然の豊かさ」の価値は、「都心から近い」ということに有ることを忘れてはなりません。
(b)横田基地と入間基地の民間機利用を実現させる
横田基地と入間基地が民間機の離発着する国際空港になれば、「交通の便利度」は飛躍的に向上します。
確かにこれらの空港に民間機が離発着するようになれば、「騒音問題」から「飯能から転出したい」という人は増えるでしょう。しかし、それ以上に「だから飯能に住みたい」「飯能に住み続けたいと思うようになった」という人が増えるのではないでしょうか?
(c)入間川と高麗川の清流を取り戻す
飯能市内を流れる入間川も高麗川も、場所によっては「清流」とは呼べない所もあります。生活排水での汚染も止まりません。
飯能市の清流は、観光客のためのものではなく、何よりも飯能に住んでいる人たちのためのものです。この清流を取り戻すことが、「永住度を高める」ことに直結しています。
(d)里山も森林も「市民のためのもの」にする
飯能市の面積の75%を占める山林も、希望する市民がその中に入り込んで触れることができなければ、市民といえども、里山や森林に関しては「観光客」と変わらないでしょう。
「都心から最も近い森林」なのですから、その特徴を活かさなければなりません。「森林文化都市宣言」は、いまはスローガンだけで、まだその中味が定まっていませんが、「市民の永住度を高める」ことにつながらなければ意味がありません。
公有林と私有林を融合した「公営林」という概念で、いままでにない発想による 「環境経営」 が求められています。
これを、「飯能に住み続けたい理由」に挙げる人も多いでしょう。
人間には、誰しも「自分が決定したことは正しい」と思い込みたい、という傾向があります。
だから「多くの転居先候補地の中から、飯能を選んだのは自分なのだか、当然、これからも飯能に住み続ける」とアンケートに回答する人たちも多いでしょう。
実は、私もその一人です。
「飯能市で生まれた」とか「飯能で育った」というのは、当人の意志ではありませんが、大人になってから、自分の意志で余所から飯能市に転入してきた人には、私も含めて「・・・だからは飯能に決めた」という理由があります。
「転勤で飯能に住むことになったから」とか「親の引越で一緒に来ざるを得なかったから」というのは、当人に意志で飯能を選んだことではありません。
自分の意志で「飯能に住む」こと選択した、その代表的な理由は下記の2つでしょう。
・都心から遠くない場所にしては緑が多い
・里山や清流が身近にある
たとえ自分の意志で飯能に転居してきた人でも、その最大の理由が「通勤に便利」とか「○さんが住んでいるから」という人は、退職や転職、その○さんがいなくなった時は、飯能から出ていくことにもなるのですから、それらの理由は「いつまでも住み続けたい」という理由にはなりません。
上記の「都心から遠くない場所にしては緑が多い」「里山や清流が身近にある」という「理由」の中にこそ、自治体が行政の努力目標にすべきことがあります。例えば下記のようなことです。
(a)都心からの交通の便の良さをさらに向上させる
飯能市をこの位置から動かすことは不可能ですが、「交通手段の整備」によって「都心からさらに近く」することは、行政なら可能なことです。
西武池袋線と地下鉄有楽町線の乗り入れによって都心が近くなりましたが、運行本数が増えれば、その便はさらに向上します。だから、西武鉄道にそれを要請するのも行政のこれからの課題です。
JRの東飯能駅から新宿駅、東京駅、新横浜駅への直通電車の乗り入れも、物理的には可能なのですから、本数と所要時間の短縮が実現すれば、さらに都心も、新幹線も「いまより近く」なります。
もちろん、これは、JR東日本が実行することですが、その実現を自治体が強く働きかけることは不可欠です。
飯能における「自然の豊かさ」の価値は、「都心から近い」ということに有ることを忘れてはなりません。
(b)横田基地と入間基地の民間機利用を実現させる
横田基地と入間基地が民間機の離発着する国際空港になれば、「交通の便利度」は飛躍的に向上します。
確かにこれらの空港に民間機が離発着するようになれば、「騒音問題」から「飯能から転出したい」という人は増えるでしょう。しかし、それ以上に「だから飯能に住みたい」「飯能に住み続けたいと思うようになった」という人が増えるのではないでしょうか?
(c)入間川と高麗川の清流を取り戻す
飯能市内を流れる入間川も高麗川も、場所によっては「清流」とは呼べない所もあります。生活排水での汚染も止まりません。
飯能市の清流は、観光客のためのものではなく、何よりも飯能に住んでいる人たちのためのものです。この清流を取り戻すことが、「永住度を高める」ことに直結しています。
(d)里山も森林も「市民のためのもの」にする
飯能市の面積の75%を占める山林も、希望する市民がその中に入り込んで触れることができなければ、市民といえども、里山や森林に関しては「観光客」と変わらないでしょう。
「都心から最も近い森林」なのですから、その特徴を活かさなければなりません。「森林文化都市宣言」は、いまはスローガンだけで、まだその中味が定まっていませんが、「市民の永住度を高める」ことにつながらなければ意味がありません。
公有林と私有林を融合した「公営林」という概念で、いままでにない発想による 「環境経営」 が求められています。
2006-09-25 Mon
先日、私と同年代の人と「飯能市について」話していて、面白いことを指摘されました。その人は、仕事の関係で余所から転入して来た人で、いま地元の人たちを相手にした商売をしています。
その人が「飯能は好きだが、飯能に住んでいることに誇りが持てるか?と訊かれたらイエスとは答えられない」と言ったのです。
確かに、私も「飯能は好き」で「いつまでも住みたい」とは思っていますが、だからと言って「飯能の全てに満足している」という訳ではありません。「恥ずかしいと思うこと」「不満なこと」「怒りを覚えること」も幾つかあります。
飯能市は「好きな街」「いつまでも住み続けたい街」と思っている市民が多いことは、住民アンケートを実施すればすぐに判ることでしょう。
だから、飯能市がこれから目指す方向としては、下記のようなことが挙げられると思いました。
「誇りが持てる街」 (飯能市民であることが)
「満足できる街」 (生活環境が、行政サービスが、便利さが)
「期待が持てる街」 (これからの発展が、変化が、環境整備が)
「羨ましがられる街」 (近隣に住む人から)
「知名度が高い街」 (日本中知らない人はいない)
「住んでみたいと思われる街」 (転入者が増える)
これらは、それぞれが原因であり結果であるという因果関係になっています。たとえば「満足できる街」で「期待が持てる街」であれば「誇りが持てる街」にもなります。
上記のようなことが充たされていけば、その結果として「だからいつまでも飯能市に住み続けたい」と思う市民が増えていくことになるのでしょう。
その人が「飯能は好きだが、飯能に住んでいることに誇りが持てるか?と訊かれたらイエスとは答えられない」と言ったのです。
確かに、私も「飯能は好き」で「いつまでも住みたい」とは思っていますが、だからと言って「飯能の全てに満足している」という訳ではありません。「恥ずかしいと思うこと」「不満なこと」「怒りを覚えること」も幾つかあります。
飯能市は「好きな街」「いつまでも住み続けたい街」と思っている市民が多いことは、住民アンケートを実施すればすぐに判ることでしょう。
だから、飯能市がこれから目指す方向としては、下記のようなことが挙げられると思いました。
「誇りが持てる街」 (飯能市民であることが)
「満足できる街」 (生活環境が、行政サービスが、便利さが)
「期待が持てる街」 (これからの発展が、変化が、環境整備が)
「羨ましがられる街」 (近隣に住む人から)
「知名度が高い街」 (日本中知らない人はいない)
「住んでみたいと思われる街」 (転入者が増える)
これらは、それぞれが原因であり結果であるという因果関係になっています。たとえば「満足できる街」で「期待が持てる街」であれば「誇りが持てる街」にもなります。
上記のようなことが充たされていけば、その結果として「だからいつまでも飯能市に住み続けたい」と思う市民が増えていくことになるのでしょう。
2006-09-26 Tue
「日本は誇りが持てる国か?」
「日本人でいることにあなたは誇りを持てるか?」
昔から、この命題は「いまの日本」「いまの日本人」を論じるときに、よく問われてきたことです。
「誇りが持てる」と答える人も、「誇りなんか持てない」と答える人も、それぞれの根拠を挙げます。
「・・・・だから日本には誇りが持てる」
「・・・・だから日本には誇りが持てない」
では、この命題を、飯能市に限定したら、どうなるでしょうか?
私たちは「飯能市に住んでいる」ことに誇りを持っているでしょうか?
「飯能市に住んでいることに誇りが持てる」からこそ「飯能市にいつまでも住み続けたい」と思う人もいるでしょう。
その意味からも、 「飯能市を誇りの持てる街」にしていくことが、そのまま「市民の永住度を高める」ことになっていくでしょう。
しかし、そもそも、「住んでいることに誇りが持てる街」とは、いったいどういう街のことを指すのでしょうか?
私なりに思いつくままを列挙してみました。
<知名度が高いこと>
たしかに初対面の人に、「イイノウシって読むの?」とか「飯能って何県にあるの?」と訊かれるよりは、「ああ、飯能市ね」「知ってる、知ってる」と言われるほう嬉しいものです。
そういう意味からも「知名度が低い街」であるよりは、「知名度が高い街」であるほうが「飯能市に住んでいる」ことを誇りに思います。
しかし、自治体名や地域名の知名度は、事件や事故、恥ずかしい出来事など、マイナスのイメージでも高くなることがあります。
飯能市の知名度が高くても、それが「誇れる」ことで高くなければ、嬉しくありません。
<羨ましがられる>
ただ「飯能って知ってるよ」と言われるより、「飯能に住んでいるなんて羨ましいね」と言われるほうが嬉しいでしょう。
しかし、「買い物や遊ぶ所に困らない所だから」とか「生活に必要なものは何でもあって便利なところだから」という理由で、飯能を羨む都市部の人はあまりいないでしょう。
それよりは「都内から近い割には緑が多いよね」とか「蛍が市内のあちこちで見られるんだよね」と「広大な森林が有るよね」という「自然に恵まれた」ことが、都市部の人にとっては羨む対象になっています。
都市部に住む人からは「都内から遠くないところにあるのに自然が豊富なこと」を羨ましがられ、
過疎地に住む人からは「自然が豊富なところにあるのに生活に便利な施設がたくさんあること」を羨ましがられることも「誇りを持てること」なのかもしれません。
何よりも、余所の地域の人から「飯能に住んでみたい」と言われるのはとても嬉しいものです。(私はとくにそうです)
結論のようなことを言わせてもらえば、
「飯能市に住みたい」と多くの人から思われることが「誇りの持てる街」であり、だからこそ「いつまでも住み続けたい」と思わせて、市民の永住度を高める要因なのかもしれません。
最後に、私の五行歌集サイト『五行の字感』から3首
歩いていて
山が見える街に住む
身近な自然が
人間の暮らしを
豊かにしてくれている
日の出も
日の入りも
窓から見える
そんな家に
住んでいる幸せ
意外な所に
「蔵」がある
数の多さに
期待を込めて
飯能の街を歩く
いずれも『日常の五行歌』―飯能を愉しむ― より
「日本人でいることにあなたは誇りを持てるか?」
昔から、この命題は「いまの日本」「いまの日本人」を論じるときに、よく問われてきたことです。
「誇りが持てる」と答える人も、「誇りなんか持てない」と答える人も、それぞれの根拠を挙げます。
「・・・・だから日本には誇りが持てる」
「・・・・だから日本には誇りが持てない」
では、この命題を、飯能市に限定したら、どうなるでしょうか?
私たちは「飯能市に住んでいる」ことに誇りを持っているでしょうか?
「飯能市に住んでいることに誇りが持てる」からこそ「飯能市にいつまでも住み続けたい」と思う人もいるでしょう。
その意味からも、 「飯能市を誇りの持てる街」にしていくことが、そのまま「市民の永住度を高める」ことになっていくでしょう。
しかし、そもそも、「住んでいることに誇りが持てる街」とは、いったいどういう街のことを指すのでしょうか?
私なりに思いつくままを列挙してみました。
<知名度が高いこと>
たしかに初対面の人に、「イイノウシって読むの?」とか「飯能って何県にあるの?」と訊かれるよりは、「ああ、飯能市ね」「知ってる、知ってる」と言われるほう嬉しいものです。
そういう意味からも「知名度が低い街」であるよりは、「知名度が高い街」であるほうが「飯能市に住んでいる」ことを誇りに思います。
しかし、自治体名や地域名の知名度は、事件や事故、恥ずかしい出来事など、マイナスのイメージでも高くなることがあります。
飯能市の知名度が高くても、それが「誇れる」ことで高くなければ、嬉しくありません。
<羨ましがられる>
ただ「飯能って知ってるよ」と言われるより、「飯能に住んでいるなんて羨ましいね」と言われるほうが嬉しいでしょう。
しかし、「買い物や遊ぶ所に困らない所だから」とか「生活に必要なものは何でもあって便利なところだから」という理由で、飯能を羨む都市部の人はあまりいないでしょう。
それよりは「都内から近い割には緑が多いよね」とか「蛍が市内のあちこちで見られるんだよね」と「広大な森林が有るよね」という「自然に恵まれた」ことが、都市部の人にとっては羨む対象になっています。
都市部に住む人からは「都内から遠くないところにあるのに自然が豊富なこと」を羨ましがられ、
過疎地に住む人からは「自然が豊富なところにあるのに生活に便利な施設がたくさんあること」を羨ましがられることも「誇りを持てること」なのかもしれません。
何よりも、余所の地域の人から「飯能に住んでみたい」と言われるのはとても嬉しいものです。(私はとくにそうです)
結論のようなことを言わせてもらえば、
「飯能市に住みたい」と多くの人から思われることが「誇りの持てる街」であり、だからこそ「いつまでも住み続けたい」と思わせて、市民の永住度を高める要因なのかもしれません。
最後に、私の五行歌集サイト『五行の字感』から3首
歩いていて
山が見える街に住む
身近な自然が
人間の暮らしを
豊かにしてくれている
日の出も
日の入りも
窓から見える
そんな家に
住んでいる幸せ
意外な所に
「蔵」がある
数の多さに
期待を込めて
飯能の街を歩く
いずれも『日常の五行歌』―飯能を愉しむ― より