2007-03-08 Thu
きょう(3/8)から飯能市議会での一般質問が始まります。
期間は、3/8(木)、3/9(金)、3/12(月)の三日間。
22人(欠員1)の市議の中で、質問する市議は11人。
この11/22という数字が、他市の市議会と比較して、多いのか少ないのかは知りません。
しかし、私は、実際に市議会を傍聴するまで「市議は全員が質問に立つもの」だと思っていましたので、「質問しない市議」が議員で居続けていることが「驚き」でした。 (市議会を傍聴したことを書き込んだBlog)
昨年の9月定例議会と12月の定例議会では、全議員の質問を傍聴しましたが、今回の定例議会では、どうしても時間のやりくりができません。
そこで、「自分が興味の有る案件」を選んで、その質問をする議員だけ傍聴することにしました。
いつ? 誰が? どのような質問をするか?
それは、飯能市議会のwebサイトに、いつも、市議会開会直前に掲載されます。
一般質問通告者及び発言順序等一覧表
私は、「飯能市が飯能の水を売り出すビジネス」に興味がありますので、きょう(3/8)は、10:00~10:50の大久保勝議員の質問だけを傍聴します。
議会に傍聴に行かれる方は、傍聴席でお会いしましょう。
「デブ、白髪になったアゴヒゲ、薄い頭髪」の中年男が居たら、それが私です。
2007-06-14 Thu
きょう(6/14)は、久しぶりに市議会本会議を最初から最後まで傍聴しました。「久しぶり」と言っても、定例市議会は3ヶ月毎の開催ですから、毎回「久しぶりの傍聴」という感じになっています。
一日通しで本会議を傍聴して初めて判ることは、<傍聴人の数>が質問に立つ市議毎に大きく異なることです。
例えば、きょうの傍聴人の数は下記の通りです。
(この人数に文化新聞記者と中継のテレビ飯能スタッフは含んでいません)
10:00~11:00 新井 巧(共) → 9人
11:10~12:00 内沼博史(無) → 14人
13:00~13:50 中村公一(民) → 12人
14:00~15:00 金子敏江(共) → 6人
上記のそれぞれの人数に、私(小久保)は含まれています。2人以上の市議の質問を傍聴した人は、3、4人ほどいましたが、4人全部を傍聴したのは私1人でした。
傍聴人の数が質問にする市議によって異なるのは、それぞれの議員の<支持者>が傍聴に来るからです。
質問に立つ市議が支持者にお願いして傍聴に来てもらっているのか、それとも、支持者のほうが市議を応援する気持ちで自主的に傍聴に来ているのか、私は知りません。
1期目の新人議員には、支持者のほうも<新鮮さ>が有るのか、古株の議員の時よりも傍聴者は多いことが判りました。
もっとも、当選回数が4回、5回のベテラン議員になると、共産党と公明党以外の無所属議員はほとんど本会議で質問に立つことはないようです。
(このことについては後日書きたいと思っています)
前回の選挙で引退した共産党のベテラン前市議をよく傍聴席で見かけますが、この方は、きょうも共産党市議の二人を傍聴するだけで、内沼市議と中村市議の時はいませんでした。
この前市議さんは、新井さんの質問のときも、金子さんの質問のときも、傍聴席で周囲にしか聞こえない小さな声で「よし!」「そうだ!」「おいおい」とかつぶやいていましたから、きっと学校の教師が教え子の活躍をハラハラしながら見守っている、というような心境なのでしょう。
これはこれで、市議会傍聴の数少ない面白さの一つだと思いました。
2007-06-15 Fri
昨日(6/14)の本会議では、中村公一議員の質問の時、傍聴人の中に「図書館を考える会」の人が3人いました。(一応、私も会員ですが・・・・)
それは、中村議員の質問の中に「図書館の課題」と「山手町用地」が予告されていたからです。(だから、私も傍聴に来たのですが・・・・)
中村議員の質問要旨は下記のようなものでした。
「新図書館の建設場所は山手町に決まっているようだが、いまでは事情が変わってきて、旧丸広東飯能店のような空きビルに入ることもできるのに、なぜ、山手町なのでしょうか?」
(たぶんこのような主旨だったと記憶しているのですが・・・・)
この質問に対して、市の担当者は下記のように答弁しました。
「平岡製作所から用地を買い取るときに、その土地の周辺に文化施設を集中して建てるという計画で購入したという経緯が有るからです。その時はまだ丸広東飯能店そのものが無かった時ですから・・・・」
(たぶんこのような主旨だったと記憶しているのですが・・・・)
この答弁に対して、中村議員はさらに突っ込んだ質問をするのかと思ったら、その答弁で満足したのか、それで終わりでした。
市の担当者は答弁のトーンは
「山手町の土地は図書館建設用地として買った土地だから、新しい図書館をそこに建てるのがいけないことでしょうか?」
「図書館用地を買った時は、丸広東飯能店はそのものがまだ無かったときなのだから、その後の選択肢には入っていないのは当然でしょう・・・・」
というようなものだったのですから、質問した中村議員は、それに対して
「でも、その後、丸広東飯能店が建ち、閉店になって、身売りされて、次のテナントを探しているのだから、そこに入居するという選択肢を新たに加えるという動きはあるのですか?」
と質問をたたみ掛けていくべきではなかったでしょうか?
それに対して、市の担当者が
「図書館が空き店舗や空きビルにテナントとして入居するという選択肢考えたことが有りません」
と回答するでしょうから、それに対して中村議員がさらに
「では、図書館の移転先として、旧丸広東飯能店などの空きビルを選択肢に加えるには、どのような動きや手続きが必要なのでしょうか?」
と突っ込んだ質問が重ねていくことも出来たのです。
それが<一問一答方式>のメリットであり、醍醐味なのです。
議会の<質問>とは、「質問されたことに答える」という一般的な質疑応答ではなく、質問者が期待する(あるいは狙っている)言質を答弁者から引き出すことなのです。
今回の中村議員の質問は、市の担当者から
「空きビルへのテナント入居も移転先の選択肢に加えて再検討します」という答弁を引き出すまで粘るべきだったのです。
仮に、そこまで言質が取れなかったとしても、せめて
「そういう選択肢が必要かどうか市民へのアンケートを実施するべきだと思うのですがどうでしょうか?」と別な視点の質問で食い下がっていくべきなのです。
そこまでやらなければ、市議会の本会議なんて<傍聴して面白い定期イベント>にはなっていかないのです。
今回の6月定例市議会で一般質問に立った8人の市議の中で、<一問一答方式>で質問したのは、中村議員だけなのですから、たぶん、この方は、<質問で食い下がる>ことは得意なのだと思うのですが・・・・・
きょうのような程度の「質問」では、従来の<一括質問一括答弁方式>と大差有りません。
飯能市議会が、<一問一答方式>を採用するようになってからこの6月定例議会でちょうど1年なのですが、この方式をまだ充分に使いこなせていないように思えてなりません。
<追記>
私は1年前の6月定例議会から、毎回、できるだけ多くの本会議での一般質問を傍聴しています。
最初の傍聴の時から「市長も市役所幹部も市議の質問を軽視している」と感じていたのですが、きょうのような<質問>ばかりを続けていたら、「議会軽視」の傾向はますます強くなっていくのではないでしょうか。
(通り一遍の無難な回答で済ませられる)という意識が答弁者に見られるのは、私だけの偏見曲解なのでしょうか?
答弁に立たされる市長や、市幹部が「恐れるような質問」「身構えて緊張するような質問」「触れられると困ることをえぐり出すような質問」が、本来の<議会での質問>ではないでしょうか?
2007-06-16 Sat
飯能市議会サイトには、<一般質問>という項目があります。
そこには<平成12年12月定例会>から、いま開会中の<平成19年6月定例会>までの<市議の質問内容>が公開されています。
この<質問内容>を眺めているだけで、飯能市政の現状が見えてきます。
どなたか、この公開資料から、
<市議別質問登壇数一覧>を作成して頂けないでしょうか?
その一覧表があれば<市議の質問登壇数ランキング>も作成できます。
そうすれば、質問回数の多い議員だけでなく、少ない議員も一目でわかるようになります。
私はなにも
「市議の市政に対する貢献度は質問登壇回数に正比例する」
とまでは言いませんが、少なくとも
「質問登壇件数の少ない市議に存在価値は無い」ということは断言出来ます。
「本会議で質問しない」ということは、「市の現状や将来に関心が無い」ということです。
「市の現状や将来に関心が無い」人に、高額の市議報酬を支払うのは、それも明らかに税金の無駄遣いです。
それでも平然と市議報酬を受け取り続けているような人は、古い言葉で言えば<税金ドロボー>です。いま流行の言葉で言えば<コムスンと同じような不正請求>と大差ないでしょう。
<市議の質問登壇数ランキング>は当然、市議会開催毎に変動します。
そうすると新たに下記のような興味も生じてきます。
「いまはA市議が1位だか、今度の議会ではどうなるだろうか?」
「B市議は、議員になってまだ一度も質問に登壇したことがないが、今度の定例会ではどうするのだろうか?」
「C市議は、今度○年振りに質問に立つらしいが、どんなことを質問するのだろうか?」
このような<ランキングの公表>も、市議会への関心を高めることになるのではないかと、私は本気で考えています。
2007-09-12 Wed
きょう(9/12)も市議会を傍聴してきました。
定例市議会の一般質問の本会議の傍聴を意識的に始めたのは昨年の9月からでしたから、丁度1年が経ちました。
それぞれの議員の発言順、時間、傍聴人数は下記の通りでした。
(中継のテレビ飯能スタッフと取材の文化新聞記者は含んでいません)
10:00~10:50 内沼博史 (質問内容) 傍聴14人
11:00~12:00 松橋律子 (質問内容) 傍聴10人
13:00~14:00 滝沢 修 (質問内容) 傍聴 4人
14:10~15:10 中村公一 (質問内容) 傍聴 5人
15:20~16:20 金子敏江 (質問内容) 傍聴 3人
この傍聴人数が周辺の他市と比較して多いのか少ないのかは知りません。
和田県議は内沼議員と松橋議員の2議員を、元共産党市議の常田さんは、同じ共産党の滝沢議員と金子議員の2議員だけを傍聴していました。
相変わらず吉田議員は自席で私語するので、声が抜ける2階の傍聴席に居る人にとっては発言議員の声が聴きづらくて迷惑です。
傍聴席に市民には「静粛」を求めていながら、一部の古株議員の迷惑私語を注意せずに放置しておくのが私には不思議でありません。
「最古参議員」という傲りが、このような「傍若無人な態度」を取らせているのでしょうね。しかも、それを市議会事務局も他の議員も誰も注意できないものだから、ますます、この議員をつけあがらせているのでしょう。
きょうの質問内容では下記の事項に面白い「気づき」がありました。
内沼議員の質問で再確認した「飯能市内の橋梁の多さ」
同じく内沼議員の質問に答えた「新図書館問題」に関する市の姿勢
松橋議員の質問で見えた「指定管理者制度」への意外な疑問
滝沢議員の質問でも判った「併用方式の質問」の無意味さ
中村議員の質問で考えさせられた「時間配分の巧拙」
金子議員の質問で判った「質問という名の自説主張」
これらのことについては、順次、それそれに該当するカテゴリー(大項目)で書き込みます。
2007-09-13 Thu
きょう(9/13)も朝から市議会を傍聴してきました。
それぞれの議員の発言順、時間、傍聴人数を毎回記録しておくのも何らかの意味が生じて来ると思うので今日も下記に載せてみました。
(中継のテレビ飯能スタッフと取材の文化新聞記者は含んでいません)
10:00~10:50 石田冴子 (質問内容) 傍聴 1人
11:00~12:00 山田利子 (質問内容) 傍聴 5人
13:00~14:00 鳥居誠明 (質問内容) 傍聴11人
14:10~15:10 新井 巧 (質問内容) 傍聴 6人
15:20~16:20 加涌弘貴 (質問内容) 傍聴22人
石田議員の「傍聴 1人」というのはもちろん私です。5人全部を傍聴するなんてバカ(?)なことをしているのも私一人だけです。
隣の小学校の校庭では運動会の練習の最中だったので、その声が傍聴席にまで入ってきていました。防音にはなっていないようです。
せっかく、「一問一答方式」を採用するようになったのに、昨日と今日、質問した市議10人の中で、その「一問一答方式」で質問したのは昨日の中村公一議員一人だけ。
他の9人は全員が「一括質問一括答弁」と「一問一答方式」との併用式でしたが、時間配分からすると全員が実質的には「一括質問一括答弁」でした。
こんな退屈で、つまらない方法から抜け出せないから、市議会の傍聴は一向に増えないのでしょう。
市議会の傍聴が少ないのは誰のせいなのでしょうか?
傍聴人は少なくても構わないと考えているのでしょうか?
市議は傍聴が少ないのを「何とかしよう」とは思わないのでしょうか?
次回、12月の定例市議会では、ぜひ、「興奮するような質問」「ワクワクするような提案」や「笑わせてくれるような答弁」が活発に交わされることを期待しています(って、ということは12月も傍聴するしかないのかぁ・・・・・)。
2008-03-04 Tue
きょう(3/4)は飯能市議会で<議案に対する質疑>を傍聴してきました。
傍聴者は、午前中は私を含めて2人だったのですが、午後は私1人だけになってしまいました。
途中で帰った傍聴者は珍しく若い男性だったのです。
彼は、デジカメを手にしていたので、休憩の時に、議長から「傍聴の方は、写真撮影はご遠慮下さい!」と注意されてしまいました。
たぶん、「議会の傍聴では写真撮影や録音は禁止」ということを知らなかっただけなのでしょう。
もしかしたら「公開のために市民に傍聴させているのだから撮影してもいいのだろう」と思っていたのかもしれません。
何度も傍聴に来ている人には「撮影禁止も録音禁止も常識じゃないか・・・」という刷り込みがなされていますが、よ~~く考えてみると「議会の公開」という原則から考えてみれば、「議会の模様を撮影ことや録音することを禁止する」のは間違っているような気がしてきました。
映画館や劇場で撮影や録音が禁止されているのは、著作権を侵害させないためなのだから納得できますが、「公開が原則」の議会では、むしろ撮影も録音も他の傍聴者の迷惑にならない限りOKしてもいいのではないか、という考え方も成立するのではないでしょうか。
ましてや、議会のやりとりがテレビやインターネットで中継されている場合は、別の場所でそれらを視聴している人にしてみれば録画も録音も可能なのです。(きょうはテレビ飯能の議会中継は有りませんでしたが・・・・・)
「固定観念に縛られたくない」とか「既成の価値観に囚われたくない」と思っている私でさえも、「議会の傍聴席での撮影・録音の禁止」を、何の疑いもなく最初から受け入れてしまっていたようです。
やっぱり、私も、58才ですから、その古い固定観念にガチガチに縛られていたと認めなければなりません。
<議会の傍聴席での撮影や録音の禁止>は、飯能市議会だけのことではなく、全国の全て市町村議会、都道府県議会から国会にいたるまで、それで統一されています。
もちろん、許可を願い出て、議長の承諾が有れば、撮影も録音もできるようですが、傍聴人が傍聴席で自由に撮影や録音することはどこの議会でも禁止しているようです。
しかし、もう、その<禁止>は無意味になっていることに気がつくべきなのでしょう。
思い切って、飯能市議会が全国に先駆けて「傍聴席での撮影や録音はOK」ということを打ち出したら、どうでしょう。
かなり話題になって注目されるでしょうね。
市議のどなたかが、提案してみたら面白くなるのではないでしょうか。
誰が? どんな理由で? 賛成するのか? 反対するのか?
もし、「傍聴席からの撮影・録音はOK」ということになったら、どうなるでしょうか?
私なら、このブログで「写真付き」もしくは「動画付き」で傍聴報告を書くでしょうね、たぶん。
(現時点では動画をUPする方法を知りませんが・・・・)
大勢の市民が、写真付き、動画付きの「議会傍聴報告ブログ」を競って書き込むようになれば、市議会への関心も高まるし、傍聴する人も飛躍的に増えていくでしょう。
想像するだけで面白くなってきました。
2008-03-05 Wed
昨日(3/4)傍聴した<議案に対する質疑>では、傍聴していればこそ出会えた面白いことがありました。
それは、午後、
<議案第12号・飯能市墓地等の経営の許可等に関する条例(案)>
への質疑のときのことです。
県から市への移管事務として、4月1日から飯能市内での墓地の新設や増設の許認可は、県知事から飯能市長の権限になるそうです。
そのための条例案への質疑です。
この議案に6人の市議が質問しました。
(石田→内沼→山田→滝沢→武藤→金子の順で)
3番目に立った山田議員が
「これから審議する条例案が、なぜ、3/15付で市民に配布される広報に、
もう既に決まったことかのように“市民へのお知らせ”として載っているか?」
という主旨の質問をしたのです。
なるほど、確かに、これから市議会で審議して採決する予定の条例案が、
もうすでに「決定した条例」として広報に載せるようになっているのは、
議会を軽視している、と指摘されてもしょうがないことでしょう。
答弁に立った担当者は、
「この条例は4月1日から施行されるので、できるだけ早く、市民にお知らせしたいと思って、広報に載せてしまいました。配慮が足りませんでした」と答えたのです。
こういう答弁でこの場は切り抜けられると思ったのでしょう。
しかし、山田議員は追求を緩めず、追い打ちをかけて、
「配慮が足りなかった、というようなレベルの問題ではないでしょう!」
「これは議会を軽視していることになるのですよ!」
「議会を軽視しているのではないのですか?」
という質問をたたみかけたのです。
つまり、山田市議は、担当者の口から
「確かにこれは議会を軽視することになると思います」と言わせたかったのです。
もしくは、担当者に
「議会を軽視しているようなことはありません」と言わせたかったのです。
ところが、担当者は重ねて追求されても
「配慮が足りませんでした」という常套句を繰り返すだけで
けっして「議会軽視でした」とも「議会を軽視したとは思っていません」とも、
言わなかったのです。
私は、議会の傍聴を始めた頃(2006/9/16)に、
当ブログの【市議会の見どころ・聴きどころ】というカテゴリーで
わずか13人の市議との質疑応答を傍聴しただけですが、何となく感じたのは「市長も幹部も議会を軽視しているな」
ということでした。
と書き込みました。
確かに、この「広報へのフライング掲載」は、市の幹部の「議会を軽視」の「現れ」だと私も思います。
だからこそ、市議会で採決されていない条例案を、もう採決されて決まったかのように、先に広報に載せたのでしょう。
「議会を軽視している」からこそ、その原稿を書いた人も、その原稿を受け取って編集した人も、
(これはおかしいのでは?)(議会軽視になるのでは?)
とは、誰も考えなかったのでしょう。
山田議員が、なんとしてでも「議会軽視でした」と言わせようと何度も食い下がっても
担当者は「配慮が足りませんでした」を繰り返すだけで、
「議会軽視」という言葉自体を絶対に言わないように、
と意識していること自体、実は、
自分の潜在意識では「議会を軽視している」からなのでしょう。
議会を生で傍聴すると、こんな「面白いコト」が見られるのです。
ぜひ、傍聴してみて下さい。
2008-03-05 Wed
今回の定例市議会の<一般質問>では、楽しみにしていることがあります。
それは、<東飯能駅ビル>と<新図書館>について質問する市議が4人もいるからです。
3月6日(木) 13:10~14:10 内沼 博史
<山手町用地問題> 新図書館、保育所等、今後の土地利用について
3月7日(金) 13:10~14:10 加涌 弘貴
<東飯能駅周辺整備> 旧丸広東飯能店駅ビルのその後の状況は
3月10日(月) 13:10~14:10 鳥居 誠明
<教育問題について>図書館建設について
3月10日(月) 14:20~15:20 武藤 文夫
旧丸広東飯能店のオープン(11月)及びその後の状況について
この4人が、現時点で、どのような質問をするのか?
その質問に対して市長や市幹部がどのような答弁をするのか?
私は、これが楽しみなのです。
もし、私に懇意にしている市議がいれば下記のような質問を沢辺市長にしてもらいたいと思っています。
まず、最初の質問で、
「市長は、東飯能駅ビルを低価格で収得できるか、低家賃で入居できる可能性が有るとしたら、そこに駅ビル図書館を実現させたい、と思いますか?」
と訊きたいのです。
この質問に対して、沢辺市長が、もし
「東飯能駅を安く購入できる、とか、低家賃で入居できる、などということは架空の話なので、そんな質問には答えられない」
と答えたら、
「駅ビル図書館の実現が可能か否かを訊いているのではなく、市長が、駅ビル図書館の実現を望んでいるか?いないのか?を訊いているのです!」
とつっこんでもらいたいのです。
そして、この質問に対して、沢辺市長が、もしも、
「新図書館は山手町用地に建設する計画なので、駅ビル図書館は望まない」
と答弁したら、この<決定>は、後々、沢辺市長の評価を大きく左右することになるでしょう。
たとえば、その後、東飯能駅ビルが所有者の自力で商業施設として無事に再スタートできることになるのであれば、
新図書館は<沢辺市長の立派な業績>に数えられることになるでしょう。
しかし、もし、東飯能駅ビルの再スタートが叶わずに、いつまでも空きビルで放置されてしまって、周辺が寂れたままになったら、逆に
「市長が新図書館を山手町に決めて、駅ビルに入居させなかったから、駅ビルは再生できなかったのだ!!」といつまでも非難される、ことになるでしょう。
最初の質問に対して、沢辺市長がもし、
「駅ビル図書館が可能で有るなら実現させたい」と答弁した場合は、
その次に
「では、東飯能駅を収得、もしくはテナント入居できる可能性が消えない間は、山手町用地で計画されてきた新図書館の建設には着工しないほうがいいのですね?」という質問をして、
それに「イエスか?ノーか?」でどちらかに答えさせてみたいのです。
なぜなら、私自身は、
「東飯能駅ビルの再開業」の可能性と、「新図書館建設」の着工時期は、
密接な関係に有る と思っているからです。
