2006-09-16 Sat
9/13(水),14(木),15(金)に開催された飯能市議会・9月定例議会の一般質問を3日間全部傍聴しました。
質問に登壇する議員の「質問内容」と、それに対する市長や幹部職員の「答弁への姿勢」が、議員によってどの程度異なるかを知りたかったからです。
そのためには、とりあえず、今回、質問に立つ議員13人全員を傍聴しなければならない、と思ったのです。
わずか13人の市議との質疑応答を傍聴しただけですが、何となく感じたのは
「市長も幹部も議会を軽視しているな」
ということでした。
ただ、法律で定められた通りに、市議会を開催しなくてはならないから「とりあえず開催している」という感じが、議員との質疑応答全体に漂っているのです。
ただ、法律で「議会で質問されたことには議会で答弁しなければならない」と定められているから、「とりあえず質問を受け付けて、とりあえず答弁しておくだけ」という感じが議場全体に漂っているのです。
ある一部の議員に対しては、特にそれを強く感じました。
こんなことは、私だけが感じているだけなのかもしれません。他の市民の方々が議会を傍聴したら、どのように感じるでしょうか?
そこが、いま、私が最も知りたいことです。
だから、当Blogを読んでいる人は、ぜひ、次回の12月定例議会の一般質問を傍聴してみて下さい。
そうすれば、「市長も幹部も議会を軽視している」のが、「私だけの偏見」なのか、それtも、「真実」なのか、どうかが判明すると思います。
こんなことも、市民として 議会を傍聴する際の「見どころ・聴きどころ」 ではないでしょうか?
<追記>
どのような根拠で「軽視している」と感じたのか?
議会が、なぜ軽視されるようになったのか?
ということについては、別の項目タイトル〈いまの市議に求めたいこと〉に書いていきます。
質問に登壇する議員の「質問内容」と、それに対する市長や幹部職員の「答弁への姿勢」が、議員によってどの程度異なるかを知りたかったからです。
そのためには、とりあえず、今回、質問に立つ議員13人全員を傍聴しなければならない、と思ったのです。
わずか13人の市議との質疑応答を傍聴しただけですが、何となく感じたのは
「市長も幹部も議会を軽視しているな」
ということでした。
ただ、法律で定められた通りに、市議会を開催しなくてはならないから「とりあえず開催している」という感じが、議員との質疑応答全体に漂っているのです。
ただ、法律で「議会で質問されたことには議会で答弁しなければならない」と定められているから、「とりあえず質問を受け付けて、とりあえず答弁しておくだけ」という感じが議場全体に漂っているのです。
ある一部の議員に対しては、特にそれを強く感じました。
こんなことは、私だけが感じているだけなのかもしれません。他の市民の方々が議会を傍聴したら、どのように感じるでしょうか?
そこが、いま、私が最も知りたいことです。
だから、当Blogを読んでいる人は、ぜひ、次回の12月定例議会の一般質問を傍聴してみて下さい。
そうすれば、「市長も幹部も議会を軽視している」のが、「私だけの偏見」なのか、それtも、「真実」なのか、どうかが判明すると思います。
こんなことも、市民として 議会を傍聴する際の「見どころ・聴きどころ」 ではないでしょうか?
<追記>
どのような根拠で「軽視している」と感じたのか?
議会が、なぜ軽視されるようになったのか?
ということについては、別の項目タイトル〈いまの市議に求めたいこと〉に書いていきます。
2006-09-17 Sun
この次の飯能市議会は12月の予定です。一般質問の日程は直前にならないと決まりませんが、ぜひ、都合をつけて傍聴してみて下さい。一日傍聴するだけで、幾つかのことがわかります。
昨日の当Blogで、「市長も幹部も市議会を軽視していると感じた」ことを書きましたが、その「議会が軽視される用になった理由」のいくつかは、傍聴すれ判ると思います。
私は、飯能市議会が、市長や市役所職員に軽視されている理由の一つは、吉田こくみ議員の
「みっともない傍若無人の不愉快な野次を全体で放置しているから」
ではないかと思っています。
議会での野次にもプラス面はあります。質問する議員を激励する野次、周囲を笑わせる野次、緊張を和らげる野次、答弁者を鋭く追求する野次などは、傍聴席から聴いていても、面白いものです。
しかし、吉田こくみ議員の野次には、そんなプラス面は一つもありません。
野次というよりも、
「質問している議員を馬鹿にした発言」
「質問内容をおちょくった発言」
「周囲の人への単なる自分のお喋り」
をぶつぶつ「独り言」のように言うだけなのです。
「独り言」なのに声が大きいのです。
しかも、吉田こくみ議員の席は、傍聴席の真下なので、声が下から上に抜けてくるため、正規に質問している議員の発言が聞き取り難くなるのです。
傍聴している市民にとっても 極めて迷惑な行為 です。
そのため、初めて議会を傍聴した人の殆どは、議員席からの「聞き苦しい野次」が始まると、腰を浮かして、下の議員席を覗き込むようにします。「誰が発言しているのか」を確認するためなのです。
私も、今回の9月定例議会の3日間だけですが、何度も、この吉田議員の「聞き苦しい大声の独り言」に、「傍聴」を邪魔されました。その度に「うるさいぞ!」とか「吉田さん、黙って下さいよ」と、傍聴席から叫ぼうと思いましたが、それをしたら、私が退場させられてしまいます。
退場させられては、せっかく、仕事のやりくりをつけて、「一般質問の全てを傍聴しよう」と決めたのが果たせなくなるので、ぐっと堪えていたのです。
さらに、私が驚かされたのは、そんな吉田議員の「みっともない大声の独り言」を周囲の議員も、議事進行を司っている議長も、
誰も注意して止める人がいない ことでした。
なぜ、周囲の同僚議員は、吉田議員の「不愉快な野次」を止めようとしないのか? なぜ、議長が、吉田議員に注意しないのか?
これが私には不思議でなりませんでした。
聞くところによると、吉田議員は、もう長年に渡って、議会でこの「みっともない独り言の野次」を続けているそうです。私が5年前に一日だけ議会を傍聴したときも、吉田議員の「不愉快な野次」には迷惑したことをいまだに記憶しています。
そして、吉田議員は、誰からも注意されないことをいいことに、野次を発することで
「どうだ!誰も俺の野次を止めることはできないのだ」
「俺はそれだけの大物なのだ!判ってるだろう!」
ということを周囲にひけらかしているのです。
しかも、そのような「自分を大物に見せよう」とするのが、傍聴席にいる人には「見え見え」なほど「愚かな行為」でしかない、」ことに、自分自身は気づいていないのです。
驚いたことに、吉田議員は、他の議員の質問や発言は議場で「おちょくる」くせに、自分自身は議員として殆ど質問に立ったことが無いのです。
このような人が市議会議員で居続けるていること、しかも、議長も、周囲の議員も、誰も、そのことをやめさせようとしないことが、市議会そのものが、市長や市職員から「軽視されている原因の一つ」であることに、気づいていないのではないでしょうか?
吉田こくみ議員を実名で非難することの結果については、私は覚悟しています。
このBlogを吉田議員が読むかどうかは判りません。当人がインターネットに接続していなくても、周囲の人が、吉田議員に、きょうのこの書き込みの存在を教えるかもしれません。
その結果、吉田こくみ議員が私に対して、どのような行動に出るか?
それは、それで楽しみにしています。
「名誉毀損で告訴する」なら喜んで受けて立ちます。
そこまで腹をくくってこの書き込みをしています。
12月の市議会のときに、果たして吉田議員はどうするでしょうか?
当Blogで書かれたことを知らないで、いつものように「聞き苦しい独り言」で議会のレベルを一人で下げる行為を続けるのでしょうか?
あるいは、「反省」して、野次るのを止めるでしょうか?
それとも、当Blogで非難されたことで、さらに依怙地になって「野次ること」に拍車がかかるのでしょうか?
こんなことも「12月の市議会」の「見どころ・聴きどころ」の一つですので、ぜひ、時間をやりくりしてでも傍聴してみて下さい。
昨日の当Blogで、「市長も幹部も市議会を軽視していると感じた」ことを書きましたが、その「議会が軽視される用になった理由」のいくつかは、傍聴すれ判ると思います。
私は、飯能市議会が、市長や市役所職員に軽視されている理由の一つは、吉田こくみ議員の
「みっともない傍若無人の不愉快な野次を全体で放置しているから」
ではないかと思っています。
議会での野次にもプラス面はあります。質問する議員を激励する野次、周囲を笑わせる野次、緊張を和らげる野次、答弁者を鋭く追求する野次などは、傍聴席から聴いていても、面白いものです。
しかし、吉田こくみ議員の野次には、そんなプラス面は一つもありません。
野次というよりも、
「質問している議員を馬鹿にした発言」
「質問内容をおちょくった発言」
「周囲の人への単なる自分のお喋り」
をぶつぶつ「独り言」のように言うだけなのです。
「独り言」なのに声が大きいのです。
しかも、吉田こくみ議員の席は、傍聴席の真下なので、声が下から上に抜けてくるため、正規に質問している議員の発言が聞き取り難くなるのです。
傍聴している市民にとっても 極めて迷惑な行為 です。
そのため、初めて議会を傍聴した人の殆どは、議員席からの「聞き苦しい野次」が始まると、腰を浮かして、下の議員席を覗き込むようにします。「誰が発言しているのか」を確認するためなのです。
私も、今回の9月定例議会の3日間だけですが、何度も、この吉田議員の「聞き苦しい大声の独り言」に、「傍聴」を邪魔されました。その度に「うるさいぞ!」とか「吉田さん、黙って下さいよ」と、傍聴席から叫ぼうと思いましたが、それをしたら、私が退場させられてしまいます。
退場させられては、せっかく、仕事のやりくりをつけて、「一般質問の全てを傍聴しよう」と決めたのが果たせなくなるので、ぐっと堪えていたのです。
さらに、私が驚かされたのは、そんな吉田議員の「みっともない大声の独り言」を周囲の議員も、議事進行を司っている議長も、
誰も注意して止める人がいない ことでした。
なぜ、周囲の同僚議員は、吉田議員の「不愉快な野次」を止めようとしないのか? なぜ、議長が、吉田議員に注意しないのか?
これが私には不思議でなりませんでした。
聞くところによると、吉田議員は、もう長年に渡って、議会でこの「みっともない独り言の野次」を続けているそうです。私が5年前に一日だけ議会を傍聴したときも、吉田議員の「不愉快な野次」には迷惑したことをいまだに記憶しています。
そして、吉田議員は、誰からも注意されないことをいいことに、野次を発することで
「どうだ!誰も俺の野次を止めることはできないのだ」
「俺はそれだけの大物なのだ!判ってるだろう!」
ということを周囲にひけらかしているのです。
しかも、そのような「自分を大物に見せよう」とするのが、傍聴席にいる人には「見え見え」なほど「愚かな行為」でしかない、」ことに、自分自身は気づいていないのです。
驚いたことに、吉田議員は、他の議員の質問や発言は議場で「おちょくる」くせに、自分自身は議員として殆ど質問に立ったことが無いのです。
このような人が市議会議員で居続けるていること、しかも、議長も、周囲の議員も、誰も、そのことをやめさせようとしないことが、市議会そのものが、市長や市職員から「軽視されている原因の一つ」であることに、気づいていないのではないでしょうか?
吉田こくみ議員を実名で非難することの結果については、私は覚悟しています。
このBlogを吉田議員が読むかどうかは判りません。当人がインターネットに接続していなくても、周囲の人が、吉田議員に、きょうのこの書き込みの存在を教えるかもしれません。
その結果、吉田こくみ議員が私に対して、どのような行動に出るか?
それは、それで楽しみにしています。
「名誉毀損で告訴する」なら喜んで受けて立ちます。
そこまで腹をくくってこの書き込みをしています。
12月の市議会のときに、果たして吉田議員はどうするでしょうか?
当Blogで書かれたことを知らないで、いつものように「聞き苦しい独り言」で議会のレベルを一人で下げる行為を続けるのでしょうか?
あるいは、「反省」して、野次るのを止めるでしょうか?
それとも、当Blogで非難されたことで、さらに依怙地になって「野次ること」に拍車がかかるのでしょうか?
こんなことも「12月の市議会」の「見どころ・聴きどころ」の一つですので、ぜひ、時間をやりくりしてでも傍聴してみて下さい。
2006-09-18 Mon
飯能市議会を傍聴する際の〈見どころ・聴きどころ〉の「3つ目」として挙げたいのは、「自分が投票した議員が、議場に登壇して、質問や提案をしているところを見る」ことです。
先日書いた、吉田議員のように30年以上も市議を続けていながらほとんど議場では登壇しない議員もいれば、定例議会が開催される度に積極的に登壇して質問や提案をする議員もいます。
当然、それは、その議員の「飯能市を良くしていこう!」という意欲の程度を現しています。
あなたが、いつも選挙で応援している議員が、「いつ質問に立つか?」ということだけではなく、「いったいどのような質問をするか?」「どのような面白い提案をするか?」「市長の言動に対してどこまで迫るか?」などは、格好の「見どころ」「聴きどころ」です。
もし、あなたが前回の市議選で投票した議員が何も「質問しない」「提案もしない」「要望しない」ので、あれば、次の市議選で投票するのは再考したほうがいいでしょう。
もし、あなたが、前回の市議選で「棄権」していたのであれば、次回の選挙で投票したい議員を見つけることができるかもしれません。
もし、あなたが市議会を傍聴していて、「次の選挙で投票したい議員はいない」と思ったら、自分が次の市議選に立候補することを考えてみるのも面白いですよ。
次の飯能市議選は、2009年4月です。その時に25才以上の人は誰でも立候補することができるのですから、現在、22才以上の人であればOKなのです。
「あの程度の人が市議でいるくらいなら自分が立候補してみようか・・・・・」という気になるのも「議会を傍聴する」効果一つかもしれません。
現在、飯能市議会には、 「新人議員」 はいても 「若い議員」 は一人もいません。全議員が40代以上なのです。だから、20代の人が無所属で立候補したら当選する確率はかなり高いでしょう。
女性議員も共産党の2人と公明党の2人ですが、政党組織を頼らずに無所属で当選した議員は一人もいません。
もし、20代の女性が無所属で立候補したら、同じ20代の男性よりもさらに当選する確率は高くなるでしょう。
男性でも、女性でも、20代の人が立候補したら、若い人の投票率は確実に向上するでしょう。
もし、20代の市議がいたら、そのことだけで市政に興味を持つ若い人がかなり増えるのです。
まず、「議会を傍聴する」ことが、そのための簡単な第一歩なのかもしれません。
先日書いた、吉田議員のように30年以上も市議を続けていながらほとんど議場では登壇しない議員もいれば、定例議会が開催される度に積極的に登壇して質問や提案をする議員もいます。
当然、それは、その議員の「飯能市を良くしていこう!」という意欲の程度を現しています。
あなたが、いつも選挙で応援している議員が、「いつ質問に立つか?」ということだけではなく、「いったいどのような質問をするか?」「どのような面白い提案をするか?」「市長の言動に対してどこまで迫るか?」などは、格好の「見どころ」「聴きどころ」です。
もし、あなたが前回の市議選で投票した議員が何も「質問しない」「提案もしない」「要望しない」ので、あれば、次の市議選で投票するのは再考したほうがいいでしょう。
もし、あなたが、前回の市議選で「棄権」していたのであれば、次回の選挙で投票したい議員を見つけることができるかもしれません。
もし、あなたが市議会を傍聴していて、「次の選挙で投票したい議員はいない」と思ったら、自分が次の市議選に立候補することを考えてみるのも面白いですよ。
次の飯能市議選は、2009年4月です。その時に25才以上の人は誰でも立候補することができるのですから、現在、22才以上の人であればOKなのです。
「あの程度の人が市議でいるくらいなら自分が立候補してみようか・・・・・」という気になるのも「議会を傍聴する」効果一つかもしれません。
現在、飯能市議会には、 「新人議員」 はいても 「若い議員」 は一人もいません。全議員が40代以上なのです。だから、20代の人が無所属で立候補したら当選する確率はかなり高いでしょう。
女性議員も共産党の2人と公明党の2人ですが、政党組織を頼らずに無所属で当選した議員は一人もいません。
もし、20代の女性が無所属で立候補したら、同じ20代の男性よりもさらに当選する確率は高くなるでしょう。
男性でも、女性でも、20代の人が立候補したら、若い人の投票率は確実に向上するでしょう。
もし、20代の市議がいたら、そのことだけで市政に興味を持つ若い人がかなり増えるのです。
まず、「議会を傍聴する」ことが、そのための簡単な第一歩なのかもしれません。