2006-11-29 Wed
11/25.26,27と3日間続けて〈次の帰宅徒歩訓練〉について書いてきましたが、私はこの訓練に参加していて、実は歩きながら下記のようなことも考えていました。(空想?妄想?)
☆東京都でも住民の避難訓練をやっているが、都内が大地震や核攻撃などで広域で壊滅状態になれば、小中学校に設けた避難所も機能しなくなってしまう。その場合、都民は地方の安全な地域に「長期的に疎開する」必要があるのではないか?☆
そのような時、数百万人の都民はどこに疎開すればいいのでしょうか?
当然、東京都は首都圏外の全市町村に「避難民の受け入れ」を要請するでしょう。それは、あの「伊豆大島全島避難」とは比べものにならない規模になります。
当然、この飯能市は、豊島区や西武線沿線に住んでいる都民の疎開先としての最大の候補地になるでしょう。歩こうと思えば一日で歩いてたどり着ける距離だからです。
なにしろ我が飯能市内には、防災テントや仮設住宅を建てるスペースは充分にあります。
さらに入間基地や横田基地にも近いから救援物資の輸送や、国外への避難にも適した場所です。
年に1回、東京都民が「何とか飯能市にたどりついて河川敷や小中高大学の校庭で避難テントに1泊する」という避難訓練は、イベントとしても充分に面白いのではないでしょうか。
どうすればでしょうか?
例えば、飯能河原から阿須にかけて両岸の河川敷に数千人が宿泊できる防災テントと仮設住宅を「疎開体験ハウス」として常設(?)しておきます。
もちろん、その経費は東京都の負担です。
そこに、都内23区や都内各市が自治体毎に日時を決めて(土日で)スケジュールを設定し、参加希望者を募って実施する、というプランです。
その(仮称)「東京都飯能避難センター」は、大中小の区画で仕切って、町内会単位、職場単位、自治体単位で使用できるようにします。もちろん、仮設トイレや仮設風呂もあり、「避難民」が各自で調理することもできます。
使用する団体によっては、早朝に都内を出発して飯能市まで歩いてきて、避難センターに泊まって帰るだけというプランもあるでしょう。中には「歩いて飯能まで」は大変だから」と、避難センターまでは電車で早めに来て、そこでの避難生活体験に時間をかけるプランもあるでしょう。
「お泊まり訓練」終了後は、参加者には飯能市内で飲食や買い物などをしてもらって飯能駅から西武池袋線で帰ってもらうのです。西武鉄道も協賛するでしょうね。
沢辺市長から、この「都民疎開体験訓練」を石原都知事に提案してみる、というのはどうでしょうか?
「飯能避難センターから入間基地や横田基地を使って救援機に乗り込む訓練もやろう!」と言えば、興味を示すのではないでしょうか?
もちろん、23区の区長や各市の市長に個別に提案するのもいいでしょう。
2006-11-30 Thu
飯能市民にとって「飯能市のことが全国紙やテレビで紹介される」のは、それが犯罪や事故、災害のような悪いコトでなければ、とても嬉しいものです。
この<都民疎開体験訓練>は、飯能市長が石原都知事に「呼びかける」だけでも社会に大きな波紋を起こします。このことだけで、飯能市が大いに注目され、知名度が少しは向上するでしょう。
空想(妄想?)を膨らませて、下記のようなプロセスを考えてみました。
その<最初の一手>は、「正面からの申し入れてみる」ことです。
1.まず、沢辺市長から石原都知事に
「東京都の非常時防災に関して重大な提案があるので面会したい」
と申し入れます。
↓
それで「面会」が実現したら、それだけでもうニュースとして必ず取り上げられるでしょう。(マスコミ各社によって紙面の大きさと放送時間に差はあります)
もし、その「申し入れ」を無視されたり、拒否されたりしたら、<次の一手>に着手します。
2.それは、防災テントメーカーや仮設住宅組み立て会社に
「飯能避難センター」の総経費(候補地の測量、環境整備、必要資材、運搬、作業など)の見積もりを依頼することです。
↓
もちろん、「見積もり」だけですから無料で済みます。
(都の負担で実施させようとしているのですから飯能市は1円も使いません)
この「費用内訳」と「飯能避難センター構想」を飯能市で記者会見を開いて公表します。
そこで石原都知事からのアプローチを待ちます。
しかし、ここでも、石原都知事から飯能市へ何のアプローチも無ければ、
<次の三の手>に着手します。
それは↓に
続き▽