2007-05-17 Thu
ここでは、当Blog管理人がやっている起業準備講座の内容をブログ版として書いていきます。
中項目 には、下記の16があります。
⇒ この講座の狙い
⇒ 起業する人・できない人
⇒ 事業プランは有る?無い?
⇒ 「目的」か?「手段」か?
⇒ 自分に最適なビジネスを!
⇒ 宝はいつも<自分の足下>
⇒ 事業プランを書いて話す
⇒ 事業プランを検討する視点
⇒ まずネットで試行してみる
⇒ 続ける人・続けられない人
⇒ 成功する人・成長する人
⇒ 起業支援の自己矛盾
⇒ 自己矛盾を乗り越えて
⇒ 各地の起業塾の実態
⇒ 森林活性化ビジネス
⇒ 個別相談はまずメールから
中項目 には、下記の16があります。
⇒ この講座の狙い
⇒ 起業する人・できない人
⇒ 事業プランは有る?無い?
⇒ 「目的」か?「手段」か?
⇒ 自分に最適なビジネスを!
⇒ 宝はいつも<自分の足下>
⇒ 事業プランを書いて話す
⇒ 事業プランを検討する視点
⇒ まずネットで試行してみる
⇒ 続ける人・続けられない人
⇒ 成功する人・成長する人
⇒ 起業支援の自己矛盾
⇒ 自己矛盾を乗り越えて
⇒ 各地の起業塾の実態
⇒ 森林活性化ビジネス
⇒ 個別相談はまずメールから
2007-05-18 Fri
私は、昨年の10月5日付けの
▲小久保の地域活動▲ ⇒【公民館の講座】というカテゴリのNO.6で
『起業準備セミナー』を地道に着実に続けて、「自分の足下」から起業する人を応援したい!
ということを書き込みました。
しかし、結局、この講座企画は提案しませんでした。
なぜなら、私は他にも『中高生のための落語教室』と『初めての五行歌講座』を提案して、開講が決まったので、「あまり自分の企画ばかり通すと反発されるかもしれない」と勝手に思い込んで、自己ブレーキをかけてしまったからです。
ところが先日、飯能市役所サイトで
「飯能市森林産業創造支援事業」(森林を活用したビジネス創業を支援します)というのを見つけました。
その頁には、市の支援を受けるための審査事項として下記の条件が記載されています。
飯能市森林産業創造補助金交付審査会において、次の審査事項等により採択を決めます。(10月上旬予定)
◎新規性、先進性、特色性、ストーリー性があるか。
◎消費者の視点での賞品づくり、サービス内容か。
◎市内の森林資源が有効に活用されているか。
◎地域の新たな雇用の創出につながるか。
私は、当Blogの「編集人プロフィール」に書いていますが、
「起業して成功する人と失敗する人はどこが違うのか?」ということをライフワークにして、この分野で23年間飯を喰ってきた人間です。
いま日本では、全国各地の市町村で、様々な「創業支援」が実施されていますが、実は、その実態はどこも下記のような事態に集約されてしまっているのです。
1.応募した大部分の人が結局は「創業しない」
2.せっかく創業しても半分以上は1年も「続けられない」
3.続けても、当初に期待した成果を上げられない
なぜ、創業したいのに、創業できないのか?
なぜ、創業したのに、続けられないのか?
なぜ、頑張って続けても成功しないのか?
それは、創業の本当の成功要因と失敗要因と、殆どの人が誤解しているからなのです。
本当は「これは典型的な失敗要因だ!」と後になってみれば気づくことなのに、始める前はそれを「確実な成功要因」と思い込んでしまっている人が多いからなのです。
その「間違っている成功要因の思い込み」は、具体的に、その場で指摘され、それを自分で心から納得しない限り、払拭されないのです。
私としては、「これから起業したい人」、
とくに、今回の飯能市新林産業創造支援事業に「応募したいと考えている人」を対象にした「失敗しないための起業準備講座を開催しよう」と思って、きょう、中央公民館の担当者に提案書を渡してきました。
支援への応募締切日の8月末までには、なんとか開講できれば思っているのですが、どうなるでしょうか?
提案した結果は、当Blogで報告します。
2007-05-23 Wed
先日5/18の書き込み で、飯能市役所サイトの「森林を活用したビジネス創業を支援します」という頁を紹介しましたが、実は、日本では20年も30年も前から様々な起業(創業)支援制度がありました。
支援する側は、国や自治体だけでなく、全国の商工会議所、公的な起業支援機関、金融系や独立系のベンチャーキャピタル、民間企業、大学まで様々です。
支援を望む側は、株式公開直前まで成長した企業から、創業まもない企業や、創業直前の起業家個人まで、こちらも様々です。
支援の内容も、株式上場の促進や出資、融資、融資保証、インキュベーション施設への入居や補助金助成金の提供、新技術や新商品新サービスの表彰など、やはり様々なものがあります。
私は1985年から、この「起業支援の分野」で仕事をしてきましたが、当初から声を大にして指摘してきたのは起業支援の自己矛盾ということです。
これは、私が作った言葉です。
この<起業支援の自己矛盾>ということに気づいたから、この分野の仕事で飯を喰っていこうと思うようになったのです。
しかし、残念なことに、この言葉はまだまだあまり知られていません。
私は、自分の講演で、この<起業支援の自己矛盾>を話すときは、会場で必ず「聞いたことの有る人は?」と訊ねることにしていますが、「どこかで聞いたことが有る」と答える人が一人もいないことも珍しくありません。
それでも、私としては、文字を見ればその意味が判ると思っていますので、黒板に書いたり、プロジェクターで文字を映し出して
「いままで一度も聞いたことが無くても、いま初めて聞いて、どういう意味か判る人は?」とも訪ねるようにしています。
20年前は、私が期待している正解を答える人は10%もいませんでしたが、いまでは、半分くらいは推測できるようです。
みなさんは、この<起業支援の自己矛盾>とは、どのような意味だと思われるでしょうか?
興味の有る方はこれを機会に、ここで考えてみて下さい。
私は、Google検索でときどき“起業支援の自己矛盾”を探すことがありますが、最近では「検索結果約584件」と表示されます。
もちろん、上位に表示されるのは私が関連しているものばかりですが・・・・
2007-05-24 Thu
日本全体、地域全体の総論としてなら<起業支援>は必要です。
地域を活性化するには、新しいビジネス、新しい会社、新しい起業家が生まれてくることが必要です。
それらによって、地域に新しい変化が生じ、新しい活力が生まれてきます。
そして、地域で誕生した企業が成長していけば、その地域での雇用が増えます。人や物の往来も増えて地域が活性化します。
だから、国や自治体、地域の経済団体、先輩経営者が、「これから起業しよう」という人たちを支援することは確かに重要なことです。
しかし、しかし! しかし!! なのです。
だからといって、
その<起業支援>をアテにする人、自ら求めて来るような人は、
実は、起業家としては成功しない人なのです。
勇気を出して起業して、結果として成功した起業家の殆どは、実は、行政などの起業支援を受けてこなかった人たちだった、というのが現実なのです。
起業支援機関から申し出られる支援内容を、「私たちは支援に頼ろうとは思っていない!必要ない!」と拒否した人たちが、実は、起業家として成功している人たちなのです。
中には、起業支援を「形式的に受けた」起業家もいますが、それは
支援する側に「私たちの支援実績を作るために形式だけでも支援を受けたようにして下さい」と頼まれたから、というのが実情なのです。
しかし、それでも、総論としては「起業支援」は必要なのです。
以上のようなことが<起業支援の自己矛盾>ということなのです。
「起業したいけど資金が無いので私を支援して欲しい」とか
「これから起業する人を支援するのは行政の義務である」とか
「家賃が安くて快適なインキュベーション施設に入居したい」とか言って、
起業支援機関を自ら訪ねて、支援を求めるような人は、結局は成功しない人なのです。
「起業する」と言いながら、結局は「始められない」人なのです。
せっかく起業しても、やがて行き詰まって「続けられない」人なのです。
なんとか続けてはいても、一向に「成長しない」人なのです。
なぜ、起業支援が自己矛盾に陥ってしまうのでしょうか?
どのような支援であれば、自己矛盾にならないのでしょうか?
間違っている起業支援とはどのようなものでしょうか?
本当の起業支援とはどのようなものでしょうか?
次回以降は、上記のことに触れていきます。
2007-05-25 Fri
なぜ、地域活性化に重要な<起業支援>が、「支援すればするほど起業家は成功しない」という自己矛盾に陥ってしまうのでしょうか?
自己矛盾を生じてしまう原因は、
<支援しようとする側>と<支援を求める側>の両方に有ります。
<支援を求める側>の原因として挙げられるのは下記のようなことです。
1.<自立心>中心の起業家精神とは相反する<依存心>が有るから
2.支援される内容に潜んでいる、そのマイナス面に気づかないから
3.支援を受けることを<成功の保証>と思い込んでしまうから
上記の中で最も大きな原因は<依存心>です。
もちろん、人間には誰でも<依存心>が有りますが、それを克服しようとする
<自立心>が芽生えて、初めて人間として成長していきます。
起業家精神の根幹は、「自分で考える」「一人でも始める」「自力で前に進む」「困難な事態に陥っても怯まない」「他人を信用してもアテにはしない」という<自立心>が基盤になっています。
ところが、「起業支援を求める」「起業支援を当然のように受け入れる」ようなことをしているうちに、やがて「支援されることをアテにする」ようになって、さらに依存心が肥大化してしまうのが、人間の悲しい性なのです。
依存心が有るから、支援される内容にばかり目が行って、支援されることを過剰に期待してしまうのです。
例えば、「助成金や補助金の支給を受ける」という一見プラスのように思える支援には、「支給する側の事情や意図を押しつけられる」というマイナス面も有るのです。
たとえ、「押しつけられる」ことが無かったとしても、支給を受けた側が、支給者におもねって、勝手にその意向を推測してそれに沿って行動するようになってしまうことも少なくないのです。
さらには、自分が開発した新技術や新商品が、起業支援の対象になったことを
あたかも、「支援する側から成功の保証を与えられた」と思い込んでしまう人が意外と多いのです。
その「幻想でしかない成功保証」に酔って、油断し、支援を受けてからの事業展開のスピードが遅くなってしまう人も少なくないのです。
つまり、「支援すること」が「支援されることに依存する」ことを生み出してしまうのです。
以上が、<支援を求める側>、<支援を受ける側>から見た、<起業支援の自己矛盾>の構造の一部です
2007-05-27 Sun
「支援すればするほど起業家は成功しない」という自己矛盾に陥ってしまう原因は、<支援しようとする側>と<支援を求める側>の両方に有ります。
<支援しようとする側>の原因として挙げられるのは下記のようなことです。
1.支援する側の人の大部分が、自分で起業した経験が無いから
2.支援する側がこのことを「おかしい」とすら思わない感覚だから
3.起業の「本当の成功要因と失敗要因」を理解できていないから
上記の原因を、別な表現をすると
「自分で経験していないことの支援はできない」ということです。
「起業経験の無い人の起業支援は的外れことが多い」ということです。
これは「子育て支援」に例えるとよくわかります。
少子化傾向にあって「子育て」を行政や、地域社会が協働で支援することの必要性を認めない人はいないでしょう。
「子育て」に不安や困難を感じている母親や父親の中には、切実な支援を求めている人も多いでしょう。
しかし、だからと言って、自分で子育ての経験をしたことの無い人に、子育てのアドバイスを求めるでしょうか?
いくら、専門機関で勉強したという有資格者だったとしても、実際の子育て経験を全く持たない人のアドバイスを信用できるでしょうか?
ちなみに、私は「子供好き」なほうですが、子供がいないので子育ての経験はまったく有りません。だから、他人の子育てに「どうやってるの?」とか「どうして?」という質問はしても、「こうしたら」とか「こうすべきだよ」とアドバイスや意見を押しつけたことはありません。しようとも思いません。
(どこかでしたかことがあるのかもしれませんが・・・・・・)
起業支援も同じことなのです。
自分で起業経験が無いどころか、起業しようとすら思わない公務員や、大企業のサラリーマンに「起業する人」「起業で悩んでいる人」のアドバイスはできないのです。
それを、平然と「私たちは起業支援ができる」と思い込んでいることにも「成果の生まれない>ことの原因が有るのです。
もちろん、子育て支援関連の施設や機関で働いている人の中には、子育て経験の無い人や、独身の人も大勢いますが、その人たちも、事務的なことや、資料提供のようなことまでは充分にできるでしょう。
それと、同じように、起業経験の無い人にもできる起業支援とは、せいぜいが「国や自治体の起業支援制度の情報を提供する」とか「そのための事務的な手続きを代行する」程度のことまでなのです。
<支援しようとする側>の原因として挙げられるのは下記のようなことです。
1.支援する側の人の大部分が、自分で起業した経験が無いから
2.支援する側がこのことを「おかしい」とすら思わない感覚だから
3.起業の「本当の成功要因と失敗要因」を理解できていないから
上記の原因を、別な表現をすると
「自分で経験していないことの支援はできない」ということです。
「起業経験の無い人の起業支援は的外れことが多い」ということです。
これは「子育て支援」に例えるとよくわかります。
少子化傾向にあって「子育て」を行政や、地域社会が協働で支援することの必要性を認めない人はいないでしょう。
「子育て」に不安や困難を感じている母親や父親の中には、切実な支援を求めている人も多いでしょう。
しかし、だからと言って、自分で子育ての経験をしたことの無い人に、子育てのアドバイスを求めるでしょうか?
いくら、専門機関で勉強したという有資格者だったとしても、実際の子育て経験を全く持たない人のアドバイスを信用できるでしょうか?
ちなみに、私は「子供好き」なほうですが、子供がいないので子育ての経験はまったく有りません。だから、他人の子育てに「どうやってるの?」とか「どうして?」という質問はしても、「こうしたら」とか「こうすべきだよ」とアドバイスや意見を押しつけたことはありません。しようとも思いません。
(どこかでしたかことがあるのかもしれませんが・・・・・・)
起業支援も同じことなのです。
自分で起業経験が無いどころか、起業しようとすら思わない公務員や、大企業のサラリーマンに「起業する人」「起業で悩んでいる人」のアドバイスはできないのです。
それを、平然と「私たちは起業支援ができる」と思い込んでいることにも「成果の生まれない>ことの原因が有るのです。
もちろん、子育て支援関連の施設や機関で働いている人の中には、子育て経験の無い人や、独身の人も大勢いますが、その人たちも、事務的なことや、資料提供のようなことまでは充分にできるでしょう。
それと、同じように、起業経験の無い人にもできる起業支援とは、せいぜいが「国や自治体の起業支援制度の情報を提供する」とか「そのための事務的な手続きを代行する」程度のことまでなのです。
2007-05-28 Mon
間違っている起業支援とはどのようなものでしょうか?
本当の起業支援とはどのようなものでしょうか?
結論から言えば、「起業を支援すること自体」が、実はすべて間違っています。
起業しようとする人には「応援」はしても、「支援することは」は不要なのです。
「応援」と「支援」を混同してはいけません。
起業したいという人に「頑張れ!」と応援し、「期待している!」と激励することは効果的ですが、支援することは、その支援される人の依存心、依頼心を助長してしまうのです。
「促進」と「支援」を混同してはいけません。
自治体が「地域で起業する人を増やしたい」のなら、やるべきことは、「起業したい」という人を支援することではなく、「自ら起業する人」を増やすための促進策のほうなのです。
2007-06-01 Fri
「起業したいけど資金が無い」という人に、自治体や公的機関が助成金や補助金を出すことは「起業支援」ではありません。
行政の助成金や補助金をあてにするような人は、起業家としては成功しない人だからです。
だから、「起業支援」担当者は、自分では起業経験が無くても、
「必要な事業資金を自分で集めるのが起業家です」とか
「自分で集められる資金でまず始めるのが起業家です」くらいのことは
言ってあげることはできるでしょう。
「経験の無いことは自信を持って言えない」というのであれば、その語尾に
「と言われています」と付け加えてもいいでしょう。
自治体や公的機関が、地元の起業家や起業家予備軍にしてあげればいいことは「応援」です。
「応援」には、担当者の経験も経費も不要です。
<助成したい事業>であれば、
自治体から助成金を出すよりも、<公的な応援>のほうが効果は大きいのです。
<公的な応援>とは、
「○○市が成長を期待している起業一覧」とか
「○○市が成功を期待している新商品一覧」というものを作って、それを
広報やホームページ、パンフレットなどに記載してあげることです。
<公的な応援>とは「○○市も応援している」という事実を公にすることだけであって、<公的な保証>ではありません。
<公的な保証>であれば、その起業が倒産したり、その新商品に不具合が生じた時は、○○市の責任が問われてしまいます。しかし、単なる<応援>であれば、その責任を負う必要はないのです。
起業したばかりの会社、発売したばかりの新商品、開発したばかりの新商品は、「社会的な信用度が無い」ことが最大のハンデなのです。
その「最大のハンデ」を、○○市が、広報やホームページ、印刷物などの「一覧表にその固有名詞を加える」だけで、取り除くことができるのです。
しかも特別な経費を使わずに・・・・・・。
この<公的な応援>が出来るのは、自治体や公的機関だけなのです。
2007-06-06 Wed
国や都道府県、市町村が行っている起業支援には、有効なものも有りますが、的外れで不要なもの有ります。
例えば、飯能市役所は「森林を活用したビジネス創業を支援します」ということで、下記の3つを<支援の内容>として明記しています。
1.中小企業診断士による創業・経営相談
2.事業資金50%以内の補助金交付(上限50万円)
3.市主催イベント等への出展など、PR活動の場の提供
この中で「上限50万円の補助金交付」は起業支援としては不要です。
その主な理由は下記の3点です。
1.応募する人が、事業資金として本当にその50万円が必要であるなら、それは自分で調達すべきことだからです。自分の周囲の人たちから、100万円から1000万円程度の必要な資金を調達できない人は、起業家として成功できない人だからです。
2.その50万円の補助金を得るために要する時間(申請書類の作成、審査のための面接、事情説明)の対費用効果を考えたら、かえって不経済なものになってしまうからです。
(どのような事業でも50万円程度の金額では何の足しにもなりません)
3.新サービス、新ビジネス、新商品の開発に最も重要な要素は「時間との戦い」です。だから、補助金を交付するための「申請→審査→公表→実施」という主催者の都合で決められるスケジュールに合わせてはいられないのです。そのスケジュールに合わせられるのは、「ビジネスがまだ具体的に進展していない」人たちばかりになるからです。
しかし、国や自治体が「起業支援と称してバラ撒く補助金」にも、起業家にとって何事にも代え難いほど役に立つことが一つだけ有ります。
(それは次回に書きましょう)
2007-06-07 Thu
「起業したい」という人や、「新しいビジネスを創業する」という会社に、国や自治体が「起業支援」を名目に補助金に、支援や応援としての「効果」を多少なりとも生み出せるのは、「行政から補助金を受けているビジネスである」という「事実」です。
起業や、新商品の事業化は、可能客や見込み客などに、「ビジネスの話しだけはとりあえず聞いておこうか」と思って貰わなければ始まらないのです。
ところが、これから起業する人や、起業したばかりの会社は、当然のように、ビジネスでの実績も社会的な信用もありません。
だから、取引先や売り込み先の開拓で、「ビジネスの内容を」先方に理解してもらいたくても、そもそも面談を申し込んでも会ってすら貰えない、ということが、最初の大きな壁なのです。
これは、新商品や新技術を売り込まれる側の立場になって考えれば判ることです。
そもそも「起業したばかりの会社」とか、「開発したばかりの新商品」や「研究開発中の画期的な新技術」などというものは「当たり」よりも「外れ」のほうが圧倒的に多いのです。
「当たり」とは、本当に素晴らしいビジネス、会って良かったと思う人のことですが、「外れ」とは、「詐欺まがいの話し」や「独り善がりで実現性の無い話し」や「自分にとってはまったく接点が無い話し」のことです。
だから、仕事で多忙な人は、そんな話や、そんな話しを持ち込んで来る人に、いちいち時間を割いて相手をしたくはないのです。
特にこの「新しい会社」とか「新しい商品」「新しい発明」などの話しには、詐欺や絵空事の話しが多いことを体験で知っている年配者は、新しいことの売り込みに来る人に対しては警戒心が強いものです。
ところが、そういう人たちでも、「自治体の補助金を受けた新技術・新商品」とか、「自治体が応援しているビジネス」という「事実」には、信用して、興味を示し、とりあえず「ビジネスの話しだけは聞いてくれる」ようになるのです。
「この起業家は地元の自治体が応援している」
「この新技術は地元の自治体から起業支援の補助金を受けている」
「この新商品は地元の自治体が真っ先に使用している」
という「事実」が重要なのであって、「補助金の金額」は幾らでもいいのです。
極端なことを言えば「1万円」でも「千円」でもいいのです。
「上限50万円」の補助金なんて、実際の新商品や新技術の開発に何のプラスにもなりません。
予算が無くて「1件で最高50万円」しか出せないのであれば、「1件1万円」で50件の人や会社に「補助金」を出すほうがいいのです。
もちろん、自治体が補助金を出しているからといって、それが、そのまま、補助金の対象になっている起業家の人間性や将来性を保証しているわけではありませんし、会社や新商品のレベルを保証するものでもありません。
しかし、まだまだ、日本では「お上のお墨付き」というのは神通力が有るのです。たとえ、それが「過剰期待」や「幻想」に終わることが多いとしても、その「自治体からの起業支援の補助金交付」という「お上のお墨付き」という「効果」を利用しないのは得策ではないでしょう。
「企業支援の補助金」が「1件1000円」なら、10件に交付しても1万円、100件に交付してもわずか10万円です。「予算が無いから出せない」という金額ではありません。
ここで確認しておきたいのですが、
私はもともと「起業支援の補助金は無用だ」と思っています。
しかし、自治体が、地域活性化の一環で、起業支援の分野でも
「市役所はやるべきことはちゃんとやっている」という実績を作りたいがための補助金交付なら、「やらないよりは、やってもいいんじゃない」と私は思っています。
だから、それなら「1件50万円」よりかは、「1件1万円」でもいいよ!」と言いたいのです。
もっとも、いま日本のにおける「自治体による起業支援の補助金交付」の最大の問題点は「補助金交付に値するレベルの申請が極めて少ない」ことなのですが、飯能市ではどうなのでしょうか?