2007-05-23 Wed
先日5/18の書き込み で、飯能市役所サイトの「森林を活用したビジネス創業を支援します」という頁を紹介しましたが、実は、日本では20年も30年も前から様々な起業(創業)支援制度がありました。
支援する側は、国や自治体だけでなく、全国の商工会議所、公的な起業支援機関、金融系や独立系のベンチャーキャピタル、民間企業、大学まで様々です。
支援を望む側は、株式公開直前まで成長した企業から、創業まもない企業や、創業直前の起業家個人まで、こちらも様々です。
支援の内容も、株式上場の促進や出資、融資、融資保証、インキュベーション施設への入居や補助金助成金の提供、新技術や新商品新サービスの表彰など、やはり様々なものがあります。
私は1985年から、この「起業支援の分野」で仕事をしてきましたが、当初から声を大にして指摘してきたのは起業支援の自己矛盾ということです。
これは、私が作った言葉です。
この<起業支援の自己矛盾>ということに気づいたから、この分野の仕事で飯を喰っていこうと思うようになったのです。
しかし、残念なことに、この言葉はまだまだあまり知られていません。
私は、自分の講演で、この<起業支援の自己矛盾>を話すときは、会場で必ず「聞いたことの有る人は?」と訊ねることにしていますが、「どこかで聞いたことが有る」と答える人が一人もいないことも珍しくありません。
それでも、私としては、文字を見ればその意味が判ると思っていますので、黒板に書いたり、プロジェクターで文字を映し出して
「いままで一度も聞いたことが無くても、いま初めて聞いて、どういう意味か判る人は?」とも訪ねるようにしています。
20年前は、私が期待している正解を答える人は10%もいませんでしたが、いまでは、半分くらいは推測できるようです。
みなさんは、この<起業支援の自己矛盾>とは、どのような意味だと思われるでしょうか?
興味の有る方はこれを機会に、ここで考えてみて下さい。
私は、Google検索でときどき“起業支援の自己矛盾”を探すことがありますが、最近では「検索結果約584件」と表示されます。
もちろん、上位に表示されるのは私が関連しているものばかりですが・・・・
2007-05-24 Thu
日本全体、地域全体の総論としてなら<起業支援>は必要です。
地域を活性化するには、新しいビジネス、新しい会社、新しい起業家が生まれてくることが必要です。
それらによって、地域に新しい変化が生じ、新しい活力が生まれてきます。
そして、地域で誕生した企業が成長していけば、その地域での雇用が増えます。人や物の往来も増えて地域が活性化します。
だから、国や自治体、地域の経済団体、先輩経営者が、「これから起業しよう」という人たちを支援することは確かに重要なことです。
しかし、しかし! しかし!! なのです。
だからといって、
その<起業支援>をアテにする人、自ら求めて来るような人は、
実は、起業家としては成功しない人なのです。
勇気を出して起業して、結果として成功した起業家の殆どは、実は、行政などの起業支援を受けてこなかった人たちだった、というのが現実なのです。
起業支援機関から申し出られる支援内容を、「私たちは支援に頼ろうとは思っていない!必要ない!」と拒否した人たちが、実は、起業家として成功している人たちなのです。
中には、起業支援を「形式的に受けた」起業家もいますが、それは
支援する側に「私たちの支援実績を作るために形式だけでも支援を受けたようにして下さい」と頼まれたから、というのが実情なのです。
しかし、それでも、総論としては「起業支援」は必要なのです。
以上のようなことが<起業支援の自己矛盾>ということなのです。
「起業したいけど資金が無いので私を支援して欲しい」とか
「これから起業する人を支援するのは行政の義務である」とか
「家賃が安くて快適なインキュベーション施設に入居したい」とか言って、
起業支援機関を自ら訪ねて、支援を求めるような人は、結局は成功しない人なのです。
「起業する」と言いながら、結局は「始められない」人なのです。
せっかく起業しても、やがて行き詰まって「続けられない」人なのです。
なんとか続けてはいても、一向に「成長しない」人なのです。
なぜ、起業支援が自己矛盾に陥ってしまうのでしょうか?
どのような支援であれば、自己矛盾にならないのでしょうか?
間違っている起業支援とはどのようなものでしょうか?
本当の起業支援とはどのようなものでしょうか?
次回以降は、上記のことに触れていきます。
2007-05-25 Fri
なぜ、地域活性化に重要な<起業支援>が、「支援すればするほど起業家は成功しない」という自己矛盾に陥ってしまうのでしょうか?
自己矛盾を生じてしまう原因は、
<支援しようとする側>と<支援を求める側>の両方に有ります。
<支援を求める側>の原因として挙げられるのは下記のようなことです。
1.<自立心>中心の起業家精神とは相反する<依存心>が有るから
2.支援される内容に潜んでいる、そのマイナス面に気づかないから
3.支援を受けることを<成功の保証>と思い込んでしまうから
上記の中で最も大きな原因は<依存心>です。
もちろん、人間には誰でも<依存心>が有りますが、それを克服しようとする
<自立心>が芽生えて、初めて人間として成長していきます。
起業家精神の根幹は、「自分で考える」「一人でも始める」「自力で前に進む」「困難な事態に陥っても怯まない」「他人を信用してもアテにはしない」という<自立心>が基盤になっています。
ところが、「起業支援を求める」「起業支援を当然のように受け入れる」ようなことをしているうちに、やがて「支援されることをアテにする」ようになって、さらに依存心が肥大化してしまうのが、人間の悲しい性なのです。
依存心が有るから、支援される内容にばかり目が行って、支援されることを過剰に期待してしまうのです。
例えば、「助成金や補助金の支給を受ける」という一見プラスのように思える支援には、「支給する側の事情や意図を押しつけられる」というマイナス面も有るのです。
たとえ、「押しつけられる」ことが無かったとしても、支給を受けた側が、支給者におもねって、勝手にその意向を推測してそれに沿って行動するようになってしまうことも少なくないのです。
さらには、自分が開発した新技術や新商品が、起業支援の対象になったことを
あたかも、「支援する側から成功の保証を与えられた」と思い込んでしまう人が意外と多いのです。
その「幻想でしかない成功保証」に酔って、油断し、支援を受けてからの事業展開のスピードが遅くなってしまう人も少なくないのです。
つまり、「支援すること」が「支援されることに依存する」ことを生み出してしまうのです。
以上が、<支援を求める側>、<支援を受ける側>から見た、<起業支援の自己矛盾>の構造の一部です
2007-05-27 Sun
「支援すればするほど起業家は成功しない」という自己矛盾に陥ってしまう原因は、<支援しようとする側>と<支援を求める側>の両方に有ります。
<支援しようとする側>の原因として挙げられるのは下記のようなことです。
1.支援する側の人の大部分が、自分で起業した経験が無いから
2.支援する側がこのことを「おかしい」とすら思わない感覚だから
3.起業の「本当の成功要因と失敗要因」を理解できていないから
上記の原因を、別な表現をすると
「自分で経験していないことの支援はできない」ということです。
「起業経験の無い人の起業支援は的外れことが多い」ということです。
これは「子育て支援」に例えるとよくわかります。
少子化傾向にあって「子育て」を行政や、地域社会が協働で支援することの必要性を認めない人はいないでしょう。
「子育て」に不安や困難を感じている母親や父親の中には、切実な支援を求めている人も多いでしょう。
しかし、だからと言って、自分で子育ての経験をしたことの無い人に、子育てのアドバイスを求めるでしょうか?
いくら、専門機関で勉強したという有資格者だったとしても、実際の子育て経験を全く持たない人のアドバイスを信用できるでしょうか?
ちなみに、私は「子供好き」なほうですが、子供がいないので子育ての経験はまったく有りません。だから、他人の子育てに「どうやってるの?」とか「どうして?」という質問はしても、「こうしたら」とか「こうすべきだよ」とアドバイスや意見を押しつけたことはありません。しようとも思いません。
(どこかでしたかことがあるのかもしれませんが・・・・・・)
起業支援も同じことなのです。
自分で起業経験が無いどころか、起業しようとすら思わない公務員や、大企業のサラリーマンに「起業する人」「起業で悩んでいる人」のアドバイスはできないのです。
それを、平然と「私たちは起業支援ができる」と思い込んでいることにも「成果の生まれない>ことの原因が有るのです。
もちろん、子育て支援関連の施設や機関で働いている人の中には、子育て経験の無い人や、独身の人も大勢いますが、その人たちも、事務的なことや、資料提供のようなことまでは充分にできるでしょう。
それと、同じように、起業経験の無い人にもできる起業支援とは、せいぜいが「国や自治体の起業支援制度の情報を提供する」とか「そのための事務的な手続きを代行する」程度のことまでなのです。
<支援しようとする側>の原因として挙げられるのは下記のようなことです。
1.支援する側の人の大部分が、自分で起業した経験が無いから
2.支援する側がこのことを「おかしい」とすら思わない感覚だから
3.起業の「本当の成功要因と失敗要因」を理解できていないから
上記の原因を、別な表現をすると
「自分で経験していないことの支援はできない」ということです。
「起業経験の無い人の起業支援は的外れことが多い」ということです。
これは「子育て支援」に例えるとよくわかります。
少子化傾向にあって「子育て」を行政や、地域社会が協働で支援することの必要性を認めない人はいないでしょう。
「子育て」に不安や困難を感じている母親や父親の中には、切実な支援を求めている人も多いでしょう。
しかし、だからと言って、自分で子育ての経験をしたことの無い人に、子育てのアドバイスを求めるでしょうか?
いくら、専門機関で勉強したという有資格者だったとしても、実際の子育て経験を全く持たない人のアドバイスを信用できるでしょうか?
ちなみに、私は「子供好き」なほうですが、子供がいないので子育ての経験はまったく有りません。だから、他人の子育てに「どうやってるの?」とか「どうして?」という質問はしても、「こうしたら」とか「こうすべきだよ」とアドバイスや意見を押しつけたことはありません。しようとも思いません。
(どこかでしたかことがあるのかもしれませんが・・・・・・)
起業支援も同じことなのです。
自分で起業経験が無いどころか、起業しようとすら思わない公務員や、大企業のサラリーマンに「起業する人」「起業で悩んでいる人」のアドバイスはできないのです。
それを、平然と「私たちは起業支援ができる」と思い込んでいることにも「成果の生まれない>ことの原因が有るのです。
もちろん、子育て支援関連の施設や機関で働いている人の中には、子育て経験の無い人や、独身の人も大勢いますが、その人たちも、事務的なことや、資料提供のようなことまでは充分にできるでしょう。
それと、同じように、起業経験の無い人にもできる起業支援とは、せいぜいが「国や自治体の起業支援制度の情報を提供する」とか「そのための事務的な手続きを代行する」程度のことまでなのです。
2007-05-28 Mon
間違っている起業支援とはどのようなものでしょうか?
本当の起業支援とはどのようなものでしょうか?
結論から言えば、「起業を支援すること自体」が、実はすべて間違っています。
起業しようとする人には「応援」はしても、「支援することは」は不要なのです。
「応援」と「支援」を混同してはいけません。
起業したいという人に「頑張れ!」と応援し、「期待している!」と激励することは効果的ですが、支援することは、その支援される人の依存心、依頼心を助長してしまうのです。
「促進」と「支援」を混同してはいけません。
自治体が「地域で起業する人を増やしたい」のなら、やるべきことは、「起業したい」という人を支援することではなく、「自ら起業する人」を増やすための促進策のほうなのです。
2007-06-01 Fri
「起業したいけど資金が無い」という人に、自治体や公的機関が助成金や補助金を出すことは「起業支援」ではありません。
行政の助成金や補助金をあてにするような人は、起業家としては成功しない人だからです。
だから、「起業支援」担当者は、自分では起業経験が無くても、
「必要な事業資金を自分で集めるのが起業家です」とか
「自分で集められる資金でまず始めるのが起業家です」くらいのことは
言ってあげることはできるでしょう。
「経験の無いことは自信を持って言えない」というのであれば、その語尾に
「と言われています」と付け加えてもいいでしょう。
自治体や公的機関が、地元の起業家や起業家予備軍にしてあげればいいことは「応援」です。
「応援」には、担当者の経験も経費も不要です。
<助成したい事業>であれば、
自治体から助成金を出すよりも、<公的な応援>のほうが効果は大きいのです。
<公的な応援>とは、
「○○市が成長を期待している起業一覧」とか
「○○市が成功を期待している新商品一覧」というものを作って、それを
広報やホームページ、パンフレットなどに記載してあげることです。
<公的な応援>とは「○○市も応援している」という事実を公にすることだけであって、<公的な保証>ではありません。
<公的な保証>であれば、その起業が倒産したり、その新商品に不具合が生じた時は、○○市の責任が問われてしまいます。しかし、単なる<応援>であれば、その責任を負う必要はないのです。
起業したばかりの会社、発売したばかりの新商品、開発したばかりの新商品は、「社会的な信用度が無い」ことが最大のハンデなのです。
その「最大のハンデ」を、○○市が、広報やホームページ、印刷物などの「一覧表にその固有名詞を加える」だけで、取り除くことができるのです。
しかも特別な経費を使わずに・・・・・・。
この<公的な応援>が出来るのは、自治体や公的機関だけなのです。