2006-04-01 Sat
いままで、この「官と民の役割分担」という項目タイトルでは、「官」が手がけている住民サービスを「公共サービス」と表現していました。しかし、きょうになって、「公共サービス」よりも「行政サービス」という言葉のほうが適切なのではないかと思うようになりました。
どうも「公共サービス」という言葉には「行政が担う住民サービス」以外の「公共的な機関によるサービス」という意味も含まれているようです。
例えば、銀行やコンビニでの振り込む「公共料金」には電気代、ガス代、電話代などがあります。それらは「公益事業」ではあっても、営んでいるのは電力会社やガス会社、電話会社はどれも民間企業です。
他にも電車やバスなどの「公共交通機関」も、時には公共サービスと言われます。しかし、鉄道会社もバス会社も大部分は民間企業です。
これらに対して、図書館や公民館は「公共サービス」と言われるよりも、「行政サービス」と言われるほうが多いようです。
Blog「飯能どうする研究所」では、これから「公共サービス」と「行政サービス」という言葉を区別して使い分けていきます。したがって、第01回(3/21)、第02回(3/28)で書いていた「公共サービス民営化の三原則」という表現も、これからは「行政サービス民営化の三原則」に改めます。
<追記1>
Googleを「公共サービス民営化の三原則」で検索すると当Blogしか表示されません。「行政サービス民営化の三原則」でもまだ何も表示されませんが、数日後には、当Blogだけが表示されるでしょう。
<追記2>
Googleで「行政サービス」「民営化」「判断基準」で絞り込み検索をすると、現時点では「約68400件」と表示されます。上位サイトからアクセスして内容を確認していくのもこれからの楽しみです。
どうも「公共サービス」という言葉には「行政が担う住民サービス」以外の「公共的な機関によるサービス」という意味も含まれているようです。
例えば、銀行やコンビニでの振り込む「公共料金」には電気代、ガス代、電話代などがあります。それらは「公益事業」ではあっても、営んでいるのは電力会社やガス会社、電話会社はどれも民間企業です。
他にも電車やバスなどの「公共交通機関」も、時には公共サービスと言われます。しかし、鉄道会社もバス会社も大部分は民間企業です。
これらに対して、図書館や公民館は「公共サービス」と言われるよりも、「行政サービス」と言われるほうが多いようです。
Blog「飯能どうする研究所」では、これから「公共サービス」と「行政サービス」という言葉を区別して使い分けていきます。したがって、第01回(3/21)、第02回(3/28)で書いていた「公共サービス民営化の三原則」という表現も、これからは「行政サービス民営化の三原則」に改めます。
<追記1>
Googleを「公共サービス民営化の三原則」で検索すると当Blogしか表示されません。「行政サービス民営化の三原則」でもまだ何も表示されませんが、数日後には、当Blogだけが表示されるでしょう。
<追記2>
Googleで「行政サービス」「民営化」「判断基準」で絞り込み検索をすると、現時点では「約68400件」と表示されます。上位サイトからアクセスして内容を確認していくのもこれからの楽しみです。
2006-04-02 Sun
この〈地域での評価基準〉第02回(2/6)で書いた「飯能に住むようになった経緯」で言うと、私は、5.の「成人してから自分の意志で飯能に移転してきた」人間です。
飯能市に転入してきたのは1983年、33才の時でした。その前は、埼玉県川口市にある公団住宅に母親と二人で住んでいて、最寄りの京浜東北線の蕨駅から毎日池袋まで通勤していたのです。
その私が「この団地を出て、どこか一戸建てを買って引っ越そう!」と考えるようになった時は、まだ「飯能」という地名は、私の心の中にはありませんでした。当時の私には「ここに住みたい!」というような場所は特に無かったのです。そういう人が転居先の地域を決める基準は「通勤の便」になります。
当時私が勤めていた会社は池袋に在ったので、東武東上線か西武池袋線の沿線で物件を探すことになりますが、私が最初に探したのは東武東上線沿線でした。なぜなら、私は物心が付く前から成人するまでその沿線に住んでいたからです。
東武東上線沿線といっても、成増や志木、川越の一戸建てでは、サラリーマンだった当時の私には手が出ませんでした(今も出ませんが・・・)。そこで森林公園や寄居周辺の物件を探しているうちに、「あること」に気づいたのです。
それは、「ここに住んだら、西武球場からの帰りが辛いな」ということでした。西武ファンだった当時の私は年に数回ほど仕事の後で西武球場に観戦に行っていました。試合終了後にたっぷりビールを呑んだ体で、西武球場駅から池袋駅経由で京浜東北線の蕨駅に帰るのですら「辛い」と思ったのですから、東武東上線の「寄居」や「森林公園」では、考えるだけでもウンザリです。
そこで西武池袋線沿線で物件を探すことにその方針を変え、最初は所沢駅と小手指駅に絞り込んで物件を探すことにしました。この二つの駅にこだわったのは「始発駅」だからです。
当時は恵まれたサラリーマン生活を送っていた私でしたが、一つだけ辛かったのは「満員電車で立ったままの通勤」だったのです。蕨駅→赤羽駅→池袋駅の通勤では往復とも絶対に座れません。電車に乗っているのはわずか20分ほどなのですが、それでも「朝の眠いとき」「酔って帰るとき」の「立ったまま通勤」は、とくに辛かったのです。
この体験から「次ぎに引っ越す時は始発駅にしよう」と考えていたのです。始発駅に住めば電車に乗るときはいつでも必ず着席できます。
しかし、サラリーマンだった当時の私では所沢や小手指はとても買える値段ではありませんでした。他の駅の周辺であれば「買える値段」の物件はありましたが、だからと言って、始発駅ではないところに住む気にはなれません。
ある日、不動産業者から「お客さんの年収では飯能にまで行かないと買えるような物件はありませんよ」と言われたのです。その業者に連れて来られて初めて飯能に来たのが、私と飯能との「出会い」だったのです。
幸いなことに、その業者に最初に見せられた土地(飯能高校の裏)が大いに気に入ったのです。なぜなら、歩いていても「山が見える」場所にあり、しかも隣が風雅な池のある広いお寺(心応寺)で、しかも毎日時を告げる鐘の音が聞こえたからです。このことだけで、私はすっかり飯能が好きになりました。
もし、この時、その業者に飯能に連れられて来なければ、もし、最初に見せられた土地を気に入らなかったら、いまも飯能に住んでいなかったかもしれません。
その土地を買って、毛呂山町で工務店をしている叔父に注文して建ててもらった家に住んで、初めて「庭先の水田」にホタルが棲んでいることを知ったときの感激はいまでも覚えています。
2006-04-03 Mon
いまの市営住宅が「関係する人たちが不幸になる仕組み」に組み込まれてしまっていることは第01回(2/9)に書きました。そこで、今回は、それとは逆に「関係する人たちのすべてが幸福になる仕組み」について書いてみました。
市営住宅は「生活困窮者に限定した福祉サービス」なのか?
それとも
「市民に提供される行政サービス」なのか?
という疑問がある、
ということを第02回(2/18)で書きました。現状は、どこの自治体でも「福祉としては公平に機能していない」ので、私自身は「行政サービスの一つ」として位置づけています。
その上で、入居する市民が幸福になるだけでなく、提供する市役所も、住宅建設に関わる市内の業者も、「関係する人たちのすべてが幸福になる」というのが「理想的な市営住宅の姿」だと思い、それは具体的にどういう状態なのかを書いてみました。
まず入居者にとっての「理想的な市営住宅」とは下記のような条件を満たすものでしょう。
1.まず、自分が「望む場所」に在る
2.しかも、自分が「望む広さと間取りと設備」を有している
3.もちろん、自分が「納得できる家賃」で住める
4.そして、自分が「望む期間」だけ住める
さらに、上記のような「入居する市民」に市営住宅を提供する市役所にとって「理想的な市営住宅」とは下記のような条件を満たすものでしょう。
5.まず、住宅建設に市の予算を使わないで済む
6.しかも、住宅の修繕、改築、増築にも市の予算を使わないで済む
7.もちろん、入居希望者全員を入居させられるようになる
8.そして、管理に要する職員の手間をできるだけ省ける
市営住宅には、入居者と市役所以外にも多くの人たちが関係してきます。
まず「民設公営」の住宅を市役所に貸す大家が居ます。その人たちにとって「理想的な市営住宅」とは下記のような条件を満たすものでしょう。
9.所有する遊休地から賃貸住宅としての収入を得られる
10.しかも、「完成時から入居者がいない」というリスクを無くせる
11.さらに、現在空き家になっている賃貸用住宅に入居者を確保できる
12.そして、入居者にいつまでも「居座り続けられる」ことがない
その次が、大家から住宅建築を請け負う業者です。その人たちにとって、「理想的な市営住宅」とは下記のような条件を満たすものでしょう。
13.まず、市内での「住宅建設」の仕事が増える
14.しかも、その仕事は市内の建設業者だけが受注できる
以上は、飯能市に限らず、すべての自治体にとっての「理想的な公営住宅の姿」です。それに「飯能市の市営住宅と借り上げ対象になる住宅」に対して、「飯能市で算出された木材で建てられた住宅に限る」という条件を付けることによって、さらに下記のようなメリットも生じてきます。
15.市内の山林で育った木材が大量に使用される
16.市全域が木造住宅の可能性を追求したモデル住宅展示地区になる
以上のようなメリットが確実に期待できる「理想的な市営住宅」を実現するための方法は、次回以降に書いていくことにします。
市営住宅は「生活困窮者に限定した福祉サービス」なのか?
それとも
「市民に提供される行政サービス」なのか?
という疑問がある、
ということを第02回(2/18)で書きました。現状は、どこの自治体でも「福祉としては公平に機能していない」ので、私自身は「行政サービスの一つ」として位置づけています。
その上で、入居する市民が幸福になるだけでなく、提供する市役所も、住宅建設に関わる市内の業者も、「関係する人たちのすべてが幸福になる」というのが「理想的な市営住宅の姿」だと思い、それは具体的にどういう状態なのかを書いてみました。
まず入居者にとっての「理想的な市営住宅」とは下記のような条件を満たすものでしょう。
1.まず、自分が「望む場所」に在る
2.しかも、自分が「望む広さと間取りと設備」を有している
3.もちろん、自分が「納得できる家賃」で住める
4.そして、自分が「望む期間」だけ住める
さらに、上記のような「入居する市民」に市営住宅を提供する市役所にとって「理想的な市営住宅」とは下記のような条件を満たすものでしょう。
5.まず、住宅建設に市の予算を使わないで済む
6.しかも、住宅の修繕、改築、増築にも市の予算を使わないで済む
7.もちろん、入居希望者全員を入居させられるようになる
8.そして、管理に要する職員の手間をできるだけ省ける
市営住宅には、入居者と市役所以外にも多くの人たちが関係してきます。
まず「民設公営」の住宅を市役所に貸す大家が居ます。その人たちにとって「理想的な市営住宅」とは下記のような条件を満たすものでしょう。
9.所有する遊休地から賃貸住宅としての収入を得られる
10.しかも、「完成時から入居者がいない」というリスクを無くせる
11.さらに、現在空き家になっている賃貸用住宅に入居者を確保できる
12.そして、入居者にいつまでも「居座り続けられる」ことがない
その次が、大家から住宅建築を請け負う業者です。その人たちにとって、「理想的な市営住宅」とは下記のような条件を満たすものでしょう。
13.まず、市内での「住宅建設」の仕事が増える
14.しかも、その仕事は市内の建設業者だけが受注できる
以上は、飯能市に限らず、すべての自治体にとっての「理想的な公営住宅の姿」です。それに「飯能市の市営住宅と借り上げ対象になる住宅」に対して、「飯能市で算出された木材で建てられた住宅に限る」という条件を付けることによって、さらに下記のようなメリットも生じてきます。
15.市内の山林で育った木材が大量に使用される
16.市全域が木造住宅の可能性を追求したモデル住宅展示地区になる
以上のようなメリットが確実に期待できる「理想的な市営住宅」を実現するための方法は、次回以降に書いていくことにします。
2006-04-04 Tue
この〈理想的な市長とは?〉という項目タイトルでは、私が考えている「理想的な市長」を書いていきます。なぜなら、それが「次の飯能市長を目指している人」への要望にもなると思うからです。
その第01回で書きたいことは「市長となる人の年齢」のことです。私はなるべく若い人を望んでいます。これは〈市長選からの改革〉という項目タイトルの第01回(1/7)でも書いたことですが、上限でも45才前後まで。できれば30代がベストです。
その理由は、「市長で終わる人」ではなく、「いずれ県知事や国会議員になる人」に飯能市長になって欲しいからです。飯能市長として4年〜8年勤めた後は、県知事か衆議院議員に立候補して欲しいからです。例えば、40才で市長になり、2期8年勤めて48才頃に国会議員か県知事になれば、その次の舞台での活躍もかなり期待できるでしょう。
市長としての実績をバネにして県知事や衆議院議員を狙うような人は、市役所の行政改革でも思い切ったことに挑戦するものです。自分自身の野心のためにも「前例の無いこと」「画期的な改革」に果敢に挑戦するものです。私はそこに期待したいのです。
飯能市長だった人が県知事になって埼玉県を変えていく。飯能市長だった人が国会議員になって国政も改革していく。そして、ついには・・・・と考えるのは飯能市民としても大いなる楽しみです。
独断と偏見と言われるかもしれませんが「60才を過ぎても市長になりたい」というような人にはあまり期待できない、と私は思っています。
なぜなら、そういう人は「市長になる」ことを「自分の人生の上がり」と考えて、「無難に自分の任期を全うする」ことを最優先に考えて行動するからです。だから、こういう人は「市の行政改革」に本気では取り組みません。せいぜい「取り組んでいるフリをする」だけなのです。
市民のために飯能市の行政を抜本的に改革しようとしたら、おそらく市役所職員の大半が抵抗するでしょう。「無難に任期を全うしたい」ということだけを考えている市長では、市役所職員の大半が抵抗するような行政改革には踏み切れません。「市政を混乱に陥らせた無能な市長」というレッテルを貼られることを怖れるからです。
ところが、「次のステップ」を視野に入れている若い市長であれば「市役所職員との対決」を怖れません。自分が推進している行政改革に「大半の市民には支持される」という自信があれば、市職員が反対すればするほど、「次のステップ」での選挙には「有利になる」ことを確信できるからです。
これからは「地方の時代」です。それは「国の改革ができてから地方が改革される時代」ということではなく、「地方の改革を推進してきた者が国を改革していくことになる時代」ということなのです。
その第01回で書きたいことは「市長となる人の年齢」のことです。私はなるべく若い人を望んでいます。これは〈市長選からの改革〉という項目タイトルの第01回(1/7)でも書いたことですが、上限でも45才前後まで。できれば30代がベストです。
その理由は、「市長で終わる人」ではなく、「いずれ県知事や国会議員になる人」に飯能市長になって欲しいからです。飯能市長として4年〜8年勤めた後は、県知事か衆議院議員に立候補して欲しいからです。例えば、40才で市長になり、2期8年勤めて48才頃に国会議員か県知事になれば、その次の舞台での活躍もかなり期待できるでしょう。
市長としての実績をバネにして県知事や衆議院議員を狙うような人は、市役所の行政改革でも思い切ったことに挑戦するものです。自分自身の野心のためにも「前例の無いこと」「画期的な改革」に果敢に挑戦するものです。私はそこに期待したいのです。
飯能市長だった人が県知事になって埼玉県を変えていく。飯能市長だった人が国会議員になって国政も改革していく。そして、ついには・・・・と考えるのは飯能市民としても大いなる楽しみです。
独断と偏見と言われるかもしれませんが「60才を過ぎても市長になりたい」というような人にはあまり期待できない、と私は思っています。
なぜなら、そういう人は「市長になる」ことを「自分の人生の上がり」と考えて、「無難に自分の任期を全うする」ことを最優先に考えて行動するからです。だから、こういう人は「市の行政改革」に本気では取り組みません。せいぜい「取り組んでいるフリをする」だけなのです。
市民のために飯能市の行政を抜本的に改革しようとしたら、おそらく市役所職員の大半が抵抗するでしょう。「無難に任期を全うしたい」ということだけを考えている市長では、市役所職員の大半が抵抗するような行政改革には踏み切れません。「市政を混乱に陥らせた無能な市長」というレッテルを貼られることを怖れるからです。
ところが、「次のステップ」を視野に入れている若い市長であれば「市役所職員との対決」を怖れません。自分が推進している行政改革に「大半の市民には支持される」という自信があれば、市職員が反対すればするほど、「次のステップ」での選挙には「有利になる」ことを確信できるからです。
これからは「地方の時代」です。それは「国の改革ができてから地方が改革される時代」ということではなく、「地方の改革を推進してきた者が国を改革していくことになる時代」ということなのです。
2006-04-06 Thu
飯能では「次の図書館」が計画されています。「いつ?」「どこに?」「どのような図書館を?」ということには市民は誰もが興味を持っているでしょう。
しかし、「新しい図書館」は、その時期も、場所も、規模も、予算も、まったく何も決まっていないのです。仮にそれらのことが今年度中に決まったとしても、実際に、新しい図書館が実現するのは少なくても4,5年も先のことなのです。
それまで、いまの図書館は何も改革されないのでしょうか? 何も改革する必要が無いのでしょうか?
当ブログの〈次の図書館を考える〉という項目タイトルの第02回(2/15)で、私は下記のようなことを書きました。
だから「新しい図書館を考える」というような意味合いの<「新図書館」懇話会>という名称では、「いまの図書館でも実現できる改革を新図書館の完成まで先延ばし」されるように私には思えてなりません。
これは「些細な言葉の問題」かもしれませんが、現在の新図書館懇話会以外に、私は「いますぐ実現できる図書館改革を考える委員会」の設置を希望しています。
2,3年先に取り壊されることが分かっている建物に数百万円、数千万円の経費をかけて改修することはバカげていますが、建物にお金を掛けなくてもできる「改善策」はたくさんあります。
そこで、この〈今の図書館で出来るコト〉という項目タイトルで、現在の図書館から改革して欲しいコト、改善できるコト、挑戦して取り組みたいコトなどを書いていきたいと思っています。
いまの図書館には、入館者が利用できるパソコンが1台もありません。パソコンが使えない図書館なんて今時、信じられないほどお粗末なことです。
だからと言って飯能市が10台も20台も購入することもありません。図書館内のインターネット回線に繋がるジャックを10口でも20口でも増やせばいいだけのことです。当然、同じ数だけの電源コンセントも必要です。設置場所は、学習室の各デスクと借り出しカウンター前の大テーブルが適切でしょう。
インターネット回線に接続できれば、自分でノートパソコンを持ち込めば自由に使えます。ノートパソコンを持参できない人のために、ある程度の数のパソコンを設置しておく必要がありますが、何も新品のパソコンを購入することはありません。不要になったパソコンを寄付を市民から募れば必要な台数は確保できるでしょう。Windowsのヴァージョンが98以降であれば充分役に立ちます。
それに幾らの経費がかかると言うのでしょうか? 10万円もあれば可能なことなのです。館長が「やろう」と言えば、すぐにできることです。反対する人は誰もいないでしょう。それなのに、なぜ、このことが手つかずで、いままで放置されていたのか不思議でしょうがありません。
現在の図書館の学習室の各デスクにインターネット回線へのジャックとコンセント電源を設置することさえもできなければ、おそらく、数年先に開設する新図書館も、「せいぜい数台程度のパソコンが設置されるだけ」で、「自前のノートパソコンは持ち込みできない」というお粗末なモノになってしまうかもしれません。
いま、なぜ「現図書館で出来ること」を課題にするのでしょうか?
それは「いまの図書館でも実現出来ることなのに検討されずに放置されることは、新図書館になったとしてても実現されない」可能性があるからなのです。
しかし、「新しい図書館」は、その時期も、場所も、規模も、予算も、まったく何も決まっていないのです。仮にそれらのことが今年度中に決まったとしても、実際に、新しい図書館が実現するのは少なくても4,5年も先のことなのです。
それまで、いまの図書館は何も改革されないのでしょうか? 何も改革する必要が無いのでしょうか?
当ブログの〈次の図書館を考える〉という項目タイトルの第02回(2/15)で、私は下記のようなことを書きました。
だから「新しい図書館を考える」というような意味合いの<「新図書館」懇話会>という名称では、「いまの図書館でも実現できる改革を新図書館の完成まで先延ばし」されるように私には思えてなりません。
これは「些細な言葉の問題」かもしれませんが、現在の新図書館懇話会以外に、私は「いますぐ実現できる図書館改革を考える委員会」の設置を希望しています。
2,3年先に取り壊されることが分かっている建物に数百万円、数千万円の経費をかけて改修することはバカげていますが、建物にお金を掛けなくてもできる「改善策」はたくさんあります。
そこで、この〈今の図書館で出来るコト〉という項目タイトルで、現在の図書館から改革して欲しいコト、改善できるコト、挑戦して取り組みたいコトなどを書いていきたいと思っています。
いまの図書館には、入館者が利用できるパソコンが1台もありません。パソコンが使えない図書館なんて今時、信じられないほどお粗末なことです。
だからと言って飯能市が10台も20台も購入することもありません。図書館内のインターネット回線に繋がるジャックを10口でも20口でも増やせばいいだけのことです。当然、同じ数だけの電源コンセントも必要です。設置場所は、学習室の各デスクと借り出しカウンター前の大テーブルが適切でしょう。
インターネット回線に接続できれば、自分でノートパソコンを持ち込めば自由に使えます。ノートパソコンを持参できない人のために、ある程度の数のパソコンを設置しておく必要がありますが、何も新品のパソコンを購入することはありません。不要になったパソコンを寄付を市民から募れば必要な台数は確保できるでしょう。Windowsのヴァージョンが98以降であれば充分役に立ちます。
それに幾らの経費がかかると言うのでしょうか? 10万円もあれば可能なことなのです。館長が「やろう」と言えば、すぐにできることです。反対する人は誰もいないでしょう。それなのに、なぜ、このことが手つかずで、いままで放置されていたのか不思議でしょうがありません。
現在の図書館の学習室の各デスクにインターネット回線へのジャックとコンセント電源を設置することさえもできなければ、おそらく、数年先に開設する新図書館も、「せいぜい数台程度のパソコンが設置されるだけ」で、「自前のノートパソコンは持ち込みできない」というお粗末なモノになってしまうかもしれません。
いま、なぜ「現図書館で出来ること」を課題にするのでしょうか?
それは「いまの図書館でも実現出来ることなのに検討されずに放置されることは、新図書館になったとしてても実現されない」可能性があるからなのです。
2006-04-08 Sat
ご存知のように、昨日(4/7)は「鉄腕アトムの誕生日」でした。この〈鉄腕アトム像を活かす〉という項目タイトルの第01回(3/11)でお知らせしたように、私はアトム像の前でデジカメを持って待機していました。(ちょっと花冷えでした)
準備も4回目となると手慣れたものです。<記念写真を呼びかけるパネル>と、それを立てかけるための折り畳みパイプ椅子を手に持ち、掲載を了承してくれた方に手渡す<アトム像サイトのURLを書いたカード>、お茶を入れた魔法瓶をデイバックに詰め込んで自宅を出ました。アトム像まで自宅からは徒歩4分です。
アトム像は「飯能さくらまつり」会場の一端にあるので、大勢居る花見客が頼りです。何割かの人がアトム像の前を通ります。近くにあるコンビニへの往復に通る人がけっこういたりします。
アトム像の前の邪魔にならない位置にパネルを立てかけて、人が来るのを待ちました(というよりはアトム像の前を通るのを待ちました)。11:00〜14:00までの間に結局23組が写真撮影と鉄腕アトム像サイトへの掲載を了承してくれました。(既に掲載してあります)
「きょうはアトムの誕生日だからアトム像との記念写真を撮りに来ました」という人は今年もいませんでした。でも、来年は、2003年4月7日生まれの子供も満4才になります。そろそろ、そういうファミリーがやってくるのではないかと密かに期待しています。
現時点では、そういう家族連れがアトム像との記念写真を撮りに来られても、特にイベントが企画されているわけではありませんし、記念品が貰えるわけでもありません。しかし、来年は何かやってみたいですね。
「デートで○○寺公園のボートに乗ったカップルは別れる」という噂がまことしやかに今でも伝えられていますが、それとは逆に「飯能のアトム像で記念写真を撮ったカップルは上手くいく」という噂を意図的に流布させるというのはどうでしょうか?(もちろんジョークですヨ)
でも、西武鉄道が発行するパスネットの図柄を鉄腕アトム像にするのはどうでしょうか? 「鉄腕アトム」の絵なら著作権者の了解が必要ですが、「鉄腕アトム像」の写真を図柄にするのは問題無いと思います(たぶん)。
そのパスネットに「アトム像との記念写真を撮って専用サイトに送信してみませんか?」という呼びかけを印刷しておけば、ささやかな金額ですが西武鉄道の運賃増収になるのではないでしょうか?
2006-04-09 Sun
一昨日(4/8)は、初めて「エコツーリズムを愉しむ五行歌の歌会」を開催してみました。主催は私も参加している飯能五行歌会。飯能市の後援を頂いたのですが、残念ながら「広報はんのう」には載っていませんでした。嬉しいことに文化新聞が4/6に載せてくれました。
いつもの歌会と違って、飯能河原や天覧山を吟行(散策しながら歌を作る)なので数日前からお天気だけが心配でした。当日は曇天で、昼前からとうとう降り出しました。このまま終日降り続くような空模様だったので「傘をさしての吟行になる」とがっかりしたのですが、不思議とすぐに止んでなんと晴れてくれました。(飯能に居た人はみんな知っていますよね)
集合場所の飯能駅に集まった参加者は計14名(市内6人、市外8人)。もちろん駅からは歩きです。道筋の住宅の庭に生えている植栽を見ながら割岩橋へ。橋から眺めた飯能河原もいいものです。河原に下りて、ボート場の堰を渡って能仁寺までは満開の桜続きです。
アトム像の前ではもちろん記念撮影。市民会館から観音寺の境内を通って中央公民館へ。この中央公民館と市立図書館の間の階段から眺める飯能河原は建物が額縁の役目をしていて「一幅の絵」のようになるので、私の好きな場所です。
会場の「武末」は、飯能河原に面しているので河原に来たことのある人は誰もが気づくお店ですが、中が予約制の料理屋になっていることは意外と知られていません。私もすぐ近くに住んでいながらそのことを知ったのは僅か2年前なのです。
(花の奥に隠れて見えませんが、トラックが止まっている所が 武末 )
料理はコースですが予算はお客の要望に柔軟に応じてくれます。今回は一人2000円でお願いしましたが、美味しい料理が粋な器に盛られて次から次への7品も出てきました。味もさることながら、会場の雰囲気、庭先の景色(飯能河原)と合わせて2000円という料金にみなさん驚かれました。幹事としては嬉しいことです。市内に住まれている方は、さっそく帰り際にはお店の方に「予約方法」などを尋ねていました。
時間の都合で会場に直接来られた3人の方を交えて計17人で「五行歌の歌会」が始まりました。下記のその中の作品の一例です。
都心より所沢
所沢より飯能
格差を
実感する
豊かな自然 所沢から参加された方の五行歌です
歩くだけでは
物足りない
住みつきたい
飯能の
山懐 この方も所沢からの参加です
西の川から
江戸まで運んだ
ヒノキの香り
残れ残れと
この街の手で この方も所沢からの参加です
花びらの
舞い降りる先
桜色
踏む心
ためらって この方は生まれも育ちも飯能です
清流と里山を巡るエコツー散歩
どこでもできる
いつでもできる
それが飯能
それこそが飯能 私の作品です
出席者17人の五行歌は「飯能五行歌会サイト」に掲載してあります。
準備段階では、「参加者の申込状況」がイマイチだったので、飯能五行歌会代表の菊江さんと「今回限りだね」と話していたのですが、参加者からは「来年も是非」と要請されました。
会場まで散策して「清流や里山を眺める部屋」での会合や「土地の物での食事」もエコツーリズムになるのではないかと思うのですが、どうでしょうか? 今回の会場になった「武末」以外にも、入間川や高麗川沿いで眺めの良い料理屋さんは飯能にはたくさんあると思います。
いつもの歌会と違って、飯能河原や天覧山を吟行(散策しながら歌を作る)なので数日前からお天気だけが心配でした。当日は曇天で、昼前からとうとう降り出しました。このまま終日降り続くような空模様だったので「傘をさしての吟行になる」とがっかりしたのですが、不思議とすぐに止んでなんと晴れてくれました。(飯能に居た人はみんな知っていますよね)
集合場所の飯能駅に集まった参加者は計14名(市内6人、市外8人)。もちろん駅からは歩きです。道筋の住宅の庭に生えている植栽を見ながら割岩橋へ。橋から眺めた飯能河原もいいものです。河原に下りて、ボート場の堰を渡って能仁寺までは満開の桜続きです。
アトム像の前ではもちろん記念撮影。市民会館から観音寺の境内を通って中央公民館へ。この中央公民館と市立図書館の間の階段から眺める飯能河原は建物が額縁の役目をしていて「一幅の絵」のようになるので、私の好きな場所です。
会場の「武末」は、飯能河原に面しているので河原に来たことのある人は誰もが気づくお店ですが、中が予約制の料理屋になっていることは意外と知られていません。私もすぐ近くに住んでいながらそのことを知ったのは僅か2年前なのです。
(花の奥に隠れて見えませんが、トラックが止まっている所が 武末 )
料理はコースですが予算はお客の要望に柔軟に応じてくれます。今回は一人2000円でお願いしましたが、美味しい料理が粋な器に盛られて次から次への7品も出てきました。味もさることながら、会場の雰囲気、庭先の景色(飯能河原)と合わせて2000円という料金にみなさん驚かれました。幹事としては嬉しいことです。市内に住まれている方は、さっそく帰り際にはお店の方に「予約方法」などを尋ねていました。
時間の都合で会場に直接来られた3人の方を交えて計17人で「五行歌の歌会」が始まりました。下記のその中の作品の一例です。
都心より所沢
所沢より飯能
格差を
実感する
豊かな自然 所沢から参加された方の五行歌です
歩くだけでは
物足りない
住みつきたい
飯能の
山懐 この方も所沢からの参加です
西の川から
江戸まで運んだ
ヒノキの香り
残れ残れと
この街の手で この方も所沢からの参加です
花びらの
舞い降りる先
桜色
踏む心
ためらって この方は生まれも育ちも飯能です
清流と里山を巡るエコツー散歩
どこでもできる
いつでもできる
それが飯能
それこそが飯能 私の作品です
出席者17人の五行歌は「飯能五行歌会サイト」に掲載してあります。
準備段階では、「参加者の申込状況」がイマイチだったので、飯能五行歌会代表の菊江さんと「今回限りだね」と話していたのですが、参加者からは「来年も是非」と要請されました。
会場まで散策して「清流や里山を眺める部屋」での会合や「土地の物での食事」もエコツーリズムになるのではないかと思うのですが、どうでしょうか? 今回の会場になった「武末」以外にも、入間川や高麗川沿いで眺めの良い料理屋さんは飯能にはたくさんあると思います。
2006-04-10 Mon
この〈入間川流域プロジェクト〉という項目タイトルでは、飯能市内を流れる入間川を舞台にした様々なイベントの紹介や新たな企画の提案などを書いていきます。
その第01回で書きたいことは、「川沿いの桜を全て数えてみよう!」ということです。昨日(4/9)の夕方、痩せるためのウォーキングで飯能河原から加治橋までを往復しましたが、その時に閃いたことです。
ウォーキングの往路は「右岸」を歩きました。嬉しいことに川沿いに植えられている桜はまだまだ見頃でした。
新しく町名が着けられた征矢町では、右岸に新しい桜が並べて植えられていますが、その桜の樹一本一本に小さなプレートが着けられているのに気づきました。「加治さくらの会」と書かれています。
そのプレートには、上流から下流に向かって通し番号も書かれています。浄化センターの前が植えられた桜の最後尾のようで「No.70」と書かれていて、「No.71」は見当たりませんでした。つまり「加治さくらの会」は、総計70本の桜を新たに植えたことがわかります。
この時、私の頭の中に「入間川沿いには両岸にいったい何本の桜の樹が有るのだろうか?」とか「いつか希望者を募って一斉に数えてみたら面白いだろうな」というようなことが浮かびました。もちろん、こんなことはいままでも多くの人が考えたことだと思います。
近い所の例では、青梅市の御岳山の御嶽神社からケーブルの麓の瀧本駅まで歩いて下りる道沿いの大木にだけ通し番号の札が架かっています。何のために「通し番号」を着けているのか知りませんが、歩いていて距離の目安にはなりました。
「加治さくらの会」のプレートを見てからは、ウォーキングをしながら下記のようなことが浮かんできたのです。
?飯能市周辺の人々に飯能の森林への興味を高めて貰うには、まず市内にいったい何本の木があるのか、その数を数えることではないだろうか? 百万本か? 千万本か?・・・・・
?無数にある杉や檜を数える前に、その予行演習として、数は杉や檜よりはかなり少ないとわかっている「桜」を数えてみたらどうだろうか?
?数える時期は、他の木と間違えないためにも花が咲いている時が望ましいし、楽しいのではないだろうか?
?「桜の総数」をクイズにして回答を公募してみるのも面白いのでは?
例えば、「名栗の源流から飯能市と入間市の境までの入間川両岸に何本の桜の樹が有るでしょうか?」「左岸と右岸ではどちらが多いでしょうか?」「桜の種類別では何が一番多いでしょうか?」等・・・・
?クイズの商品には、「好きな場所」の「好きな樹」へ自分の名前や短歌、俳句、絵などを画いたプレートを取り付けられるようにしてもいいのでは? 材質と形状を統一したら、それも一つの景観になるのではないだろうか?
?川沿いの全ての桜に「通し番号」のプレートを取り付けて「総数」が判明したら、次は商品にした「桜の樹に自分のプレートをぶら下げる権利」を1枚2000円か3000円くらいで希望者に頒布してはどうだろうか? その収益金は当然、桜並木の保存整備に使われます。
?その場合、誰が「何の権利があって販売で出来るのか?」ということで権利関係が揉めそうだが、飯能市が「販売主体」になればスムーズにいくのではないだろうか?
?桜の「お花見」には、樹の下に座り込んで宴会をするスタイルと、並木を散策するスタイルがあるが、入間川沿いでは「通し番号を距離の目安にしてウォーキングしながら」というスタイルを提唱するのも面白いのでは?
野生動物などを保護するための第一歩は「現状の数」を確認することから始まります。同じように、大切なものを保全するための第一歩は「そこに大切なものが有る」ことを宣言することから始まります。
飯能市内の桜を「守る」「増やす」「育てる」ための第一歩は、「現状の数」を確認し、「いつも気にかける」ことではないかと思っています。
「桜の樹」で成功したら、次は市内の「ミツバツツジ」の総数を数えたいですね。民家の庭に植えられているものはともかく、里山に自生しているミツバツツジの数がかなり減ってきているように思えるのですが・・・・
その第01回で書きたいことは、「川沿いの桜を全て数えてみよう!」ということです。昨日(4/9)の夕方、痩せるためのウォーキングで飯能河原から加治橋までを往復しましたが、その時に閃いたことです。
ウォーキングの往路は「右岸」を歩きました。嬉しいことに川沿いに植えられている桜はまだまだ見頃でした。
新しく町名が着けられた征矢町では、右岸に新しい桜が並べて植えられていますが、その桜の樹一本一本に小さなプレートが着けられているのに気づきました。「加治さくらの会」と書かれています。
そのプレートには、上流から下流に向かって通し番号も書かれています。浄化センターの前が植えられた桜の最後尾のようで「No.70」と書かれていて、「No.71」は見当たりませんでした。つまり「加治さくらの会」は、総計70本の桜を新たに植えたことがわかります。
この時、私の頭の中に「入間川沿いには両岸にいったい何本の桜の樹が有るのだろうか?」とか「いつか希望者を募って一斉に数えてみたら面白いだろうな」というようなことが浮かびました。もちろん、こんなことはいままでも多くの人が考えたことだと思います。
近い所の例では、青梅市の御岳山の御嶽神社からケーブルの麓の瀧本駅まで歩いて下りる道沿いの大木にだけ通し番号の札が架かっています。何のために「通し番号」を着けているのか知りませんが、歩いていて距離の目安にはなりました。
「加治さくらの会」のプレートを見てからは、ウォーキングをしながら下記のようなことが浮かんできたのです。
?飯能市周辺の人々に飯能の森林への興味を高めて貰うには、まず市内にいったい何本の木があるのか、その数を数えることではないだろうか? 百万本か? 千万本か?・・・・・
?無数にある杉や檜を数える前に、その予行演習として、数は杉や檜よりはかなり少ないとわかっている「桜」を数えてみたらどうだろうか?
?数える時期は、他の木と間違えないためにも花が咲いている時が望ましいし、楽しいのではないだろうか?
?「桜の総数」をクイズにして回答を公募してみるのも面白いのでは?
例えば、「名栗の源流から飯能市と入間市の境までの入間川両岸に何本の桜の樹が有るでしょうか?」「左岸と右岸ではどちらが多いでしょうか?」「桜の種類別では何が一番多いでしょうか?」等・・・・
?クイズの商品には、「好きな場所」の「好きな樹」へ自分の名前や短歌、俳句、絵などを画いたプレートを取り付けられるようにしてもいいのでは? 材質と形状を統一したら、それも一つの景観になるのではないだろうか?
?川沿いの全ての桜に「通し番号」のプレートを取り付けて「総数」が判明したら、次は商品にした「桜の樹に自分のプレートをぶら下げる権利」を1枚2000円か3000円くらいで希望者に頒布してはどうだろうか? その収益金は当然、桜並木の保存整備に使われます。
?その場合、誰が「何の権利があって販売で出来るのか?」ということで権利関係が揉めそうだが、飯能市が「販売主体」になればスムーズにいくのではないだろうか?
?桜の「お花見」には、樹の下に座り込んで宴会をするスタイルと、並木を散策するスタイルがあるが、入間川沿いでは「通し番号を距離の目安にしてウォーキングしながら」というスタイルを提唱するのも面白いのでは?
野生動物などを保護するための第一歩は「現状の数」を確認することから始まります。同じように、大切なものを保全するための第一歩は「そこに大切なものが有る」ことを宣言することから始まります。
飯能市内の桜を「守る」「増やす」「育てる」ための第一歩は、「現状の数」を確認し、「いつも気にかける」ことではないかと思っています。
「桜の樹」で成功したら、次は市内の「ミツバツツジ」の総数を数えたいですね。民家の庭に植えられているものはともかく、里山に自生しているミツバツツジの数がかなり減ってきているように思えるのですが・・・・
2006-04-12 Wed
この〈理想的な市長とは?〉という項目タイトルの第01回(4/4)では「年齢」について「いずれ知事や国会議員を狙えるような若い人」ということを書きました。今回は「インターネットの活用レベル」について書いてみました。
私が「理想的な市長」として描くのは「自分でインターネットを駆使している人」です。それは具体的に下記のことができる人です。
1・自分で市役所サイトのコンテンツを指導・指示できる人であること
市役所サイトの活用だけで「住民とのツーウエイ・コミュニケーション」が円滑に進むというわけではありませんが、それでも、市役所サイトの「出来映え」や「活用状況」は、行政レベルに比例しています。
いまの飯能市役所サイトが、他の市役所サイトと比較してかなりお粗末なのは、市長や市の最高幹部が自分でインターネットを活用していないからでしょう。自分のために幾つものサイトにアクセスしている者でなければ「サイトのレベル」は判断できません。自分でレベルの判断ができないことについては「適切な指示」はできないものです。
例えば、民間企業のサイトでも、「顧客数が8万人」の通販、レジャー施設運営、出版などの分野で、伸びている企業、業界を革新している企業は、自社サイトの内容と運営については社長が直接指示しています。平凡で退屈で無意味なサイトを平気で続けている企業の社長は、例外無く、インターネットを駆使できない人なのです。
2・自分で市職員全員とメールの送受信ができる人であること
飯能市役所程度の職員数の会社であれば、社員は直接社長にメールできます。社長も、「本名で送信されるメール」なら時間を割いてでも読むだけの価値があることを知っています。
情報伝達は「上司と部下の線を通して」という時代はもう終わっています。市長が全職員一人一人に「細かな仕事の指示を出す」ことは無いでしょうが、末端の職員でも市長に直接伝えたいことはたくさん有るものです。
3・自分で全議員とメーリングリストで意見交換できる人であること
現在の市議会はもう形骸化しています。審議もセレモニーでしかありません。本当の意見交換や質疑応答ならメーリングリストのほうが便利で、効率的で、内容が深まっていくものです。
お互いに本名で、相手が特定されているメーリングリストであれば「偽メール」や「感情の行き違いによる仲違い」の心配もありません。議会はどうせ「儀式」なのですから「採決」だけで本当は充分の筈なのです。
4・登録された市民によるメーリングリストに参加できる人であること
従来型の市長のように、公民館などでの「対話集会」や「市政報告会」も必要ですが、市民の本音を聞くには、「集会」よりも「本名を明かした市民ともメール」のほうが何倍も成果があがります。
5・自分のビジョン、政策を掲載したサイトを運営している人であること
市の広報や市役所サイトとは別に、市長としての行政上のビジョン、個人的な見識や見解、個人的なプロフィールや趣味、日記ブログなどを満載した個人サイトを運営していれば、市民も市長のことを理解しやすくなれるものです。
この〈理想的な市長とは?〉第01回で、私が「できるだけ若い人が良い」と言ったのは、30代で政治家を志しているような人は、上記1~5程度のことは殆ど全員できるからです。
私が「理想的な市長」として描くのは「自分でインターネットを駆使している人」です。それは具体的に下記のことができる人です。
1・自分で市役所サイトのコンテンツを指導・指示できる人であること
市役所サイトの活用だけで「住民とのツーウエイ・コミュニケーション」が円滑に進むというわけではありませんが、それでも、市役所サイトの「出来映え」や「活用状況」は、行政レベルに比例しています。
いまの飯能市役所サイトが、他の市役所サイトと比較してかなりお粗末なのは、市長や市の最高幹部が自分でインターネットを活用していないからでしょう。自分のために幾つものサイトにアクセスしている者でなければ「サイトのレベル」は判断できません。自分でレベルの判断ができないことについては「適切な指示」はできないものです。
例えば、民間企業のサイトでも、「顧客数が8万人」の通販、レジャー施設運営、出版などの分野で、伸びている企業、業界を革新している企業は、自社サイトの内容と運営については社長が直接指示しています。平凡で退屈で無意味なサイトを平気で続けている企業の社長は、例外無く、インターネットを駆使できない人なのです。
2・自分で市職員全員とメールの送受信ができる人であること
飯能市役所程度の職員数の会社であれば、社員は直接社長にメールできます。社長も、「本名で送信されるメール」なら時間を割いてでも読むだけの価値があることを知っています。
情報伝達は「上司と部下の線を通して」という時代はもう終わっています。市長が全職員一人一人に「細かな仕事の指示を出す」ことは無いでしょうが、末端の職員でも市長に直接伝えたいことはたくさん有るものです。
3・自分で全議員とメーリングリストで意見交換できる人であること
現在の市議会はもう形骸化しています。審議もセレモニーでしかありません。本当の意見交換や質疑応答ならメーリングリストのほうが便利で、効率的で、内容が深まっていくものです。
お互いに本名で、相手が特定されているメーリングリストであれば「偽メール」や「感情の行き違いによる仲違い」の心配もありません。議会はどうせ「儀式」なのですから「採決」だけで本当は充分の筈なのです。
4・登録された市民によるメーリングリストに参加できる人であること
従来型の市長のように、公民館などでの「対話集会」や「市政報告会」も必要ですが、市民の本音を聞くには、「集会」よりも「本名を明かした市民ともメール」のほうが何倍も成果があがります。
5・自分のビジョン、政策を掲載したサイトを運営している人であること
市の広報や市役所サイトとは別に、市長としての行政上のビジョン、個人的な見識や見解、個人的なプロフィールや趣味、日記ブログなどを満載した個人サイトを運営していれば、市民も市長のことを理解しやすくなれるものです。
この〈理想的な市長とは?〉第01回で、私が「できるだけ若い人が良い」と言ったのは、30代で政治家を志しているような人は、上記1~5程度のことは殆ど全員できるからです。
2006-04-13 Thu
この〈地域での評価基準〉第03回(4/2)で、私が飯能市に惹かれた評価基準の一つは「飯能が始発駅だから必ず座れるからだった」ということを書きました。
不動産業者は「朝も絶対に座れます」と力説していましたが、「本当に座れるだろうか?」「不動産業者のいい加減なセールストークではないだろうか?」と疑った私は、物件を契約する前に、それを実際に確かめてみたのです。
平日の夜に市内の旅館に泊まりました。名前は忘れましたが、いまの奥むさし旅館の近くにあった古い木造の旅館だったことは覚えています。もしかして石田(屋)旅館という名前だったかもしれません。
その旅館から翌朝、実際に自分が飯能に越してきたら毎日乗ることになるであろう07:00〜07:30の時間帯に飯能駅のホームに並んで、「本当に座れるかどうか」を確認してみたのです。
飯能に転居して毎日池袋に通うようになって、初めて私は「立ったままの20分よりも座れる60分のほうが通勤は楽だ」ということに気が付きました。帰りもレッドアロー号があるので確実に座れます。
乗ってから降りるまで座っていける通勤は本当に楽でした。なによりも本がたっぷり読めることが嬉しかったですね。ビジネス書なら毎月10冊は電車の中だけで読めたのです。酔って眠り込んでしまっても終点ですから「うっかり乗り過ごしてしまう」というも心配もありません。
この「始発駅」という「強み」はいまでも私にとっては「飯能に住んでいて良かった」と思えている理由の一つです。逆に言うと、飯能駅が始発駅でなくなってしまったら「飯能に住んでいて良かった」とは思えなくなってしまうかもしれません。
しかし、「始発駅」が「住んでいる地域の評価基準」の重点項目になるのは、毎日池袋方面に通勤する人だけでしょう。同じ家族でも、通勤電車に乗らない人にとっては「始発駅」であることはあまり魅力ではないのでしょう。
いま飯能市内に住んでいる人の多くは、「飯能に住んでいて良かったと思うこと」としては「森林」「清流」「風景」などの自然環境を挙げる人が大半だと思います。しかし、物件を探しに川口市から飯能市に通っている頃の私は、自然にはあまり関心がありませんでした。
飯能市内で最初に案内された物件に惚れて、そこを買おうと思い始めた頃、持ち家を買った体験のある同僚にそのことを話してみました。ところが彼から「最初に見た物件は絶対に買うな!」「物件を100件見るまでは、中にどんなに欲しいと思う物件があってもどれも買わないほうがいい!」とアドバイスされたのです。
その理由は明解でした。
?「住宅を見慣れていない人は見た目の綺麗さだけで判断してしまう」
?「人に貸す家ならともかく自分で住む家は住宅の質も大事だが周囲の環境のほうがもっと大事だ」
?「なぜなら住宅の不満は金をかければ解消できるが周囲の環境は個人では変えられないからだ」と言うのです。
さらに、その同僚は「物件を100件見れば誰でも不動産の善し悪しを見抜ける眼力が養われる」、だから「買うなら100件以上見てから、その中から選べ」とも言われました。
その説に妙に納得した私は、それからは、休日の度に当時住んでいた川口市から飯能市に通い詰めたのです。平日に不動産業者にアポを入れておけば、土日でまとめて5〜6件の物件を見て回ることができました。新築物件も中古物件もありました。建て売り物件も土地だけの物件もありました。
そうやって、数社の不動産業者に飯能市内の物件を案内されているうちに、私は「始発駅である」こと以外にも、飯能には素晴らしいところがあることに気づいたのです。それは、街の中をあるいていても見える「山」であり、街中を流れている「川」であり、家の中に居ても聞こえてくる「お寺の鐘」でした。
物件を100件も見るのはとても無理でした。「飯能駅から徒歩15分以内」と限定していたので、売りに出されている物件が少なかったのです。それでも、最終的に総計50件ほど見て、私は買う物件を決めました。実は、それは私が飯能市内で最初に案内された物件だったのです。
しかし、同僚のアドバイスを受け入れて50件の物件を見比べてから購入したことは私にとっては大いなるメリットがありました。それは「買った物件をいつまでも後悔することがなかった」ことです。
もし、最初に見た物件をすぐに買ってしまったとしたらどうでしょうか? おそらく、「早まったかなぁ・・・」「もっと探せば、ここより良い物件が有ったかもしれなかったかなぁ・・・」という思いが生じてきたかもしれません。
その家に転居して来てからも、念のため新聞の折り込みチラシをチェックしていましたが、1年経っても、3年経っても、「我が家の物件以上の物は出ない」「やっぱりこの物件にして良かった」と思えることばかりだったのです。
その家には、いまのマンションに越してくるまで15年ほど住んでいましたが、飯能に住めば住むほど、飯能市内の「里山」と「清流」と「神社仏閣」の環境の良さをかみしめています。というよりは、「飯能の良さ」は、ここに暮らしてみて初めて「当初の期待以上だった」ということが分かったのです。
不動産業者は「朝も絶対に座れます」と力説していましたが、「本当に座れるだろうか?」「不動産業者のいい加減なセールストークではないだろうか?」と疑った私は、物件を契約する前に、それを実際に確かめてみたのです。
平日の夜に市内の旅館に泊まりました。名前は忘れましたが、いまの奥むさし旅館の近くにあった古い木造の旅館だったことは覚えています。もしかして石田(屋)旅館という名前だったかもしれません。
その旅館から翌朝、実際に自分が飯能に越してきたら毎日乗ることになるであろう07:00〜07:30の時間帯に飯能駅のホームに並んで、「本当に座れるかどうか」を確認してみたのです。
飯能に転居して毎日池袋に通うようになって、初めて私は「立ったままの20分よりも座れる60分のほうが通勤は楽だ」ということに気が付きました。帰りもレッドアロー号があるので確実に座れます。
乗ってから降りるまで座っていける通勤は本当に楽でした。なによりも本がたっぷり読めることが嬉しかったですね。ビジネス書なら毎月10冊は電車の中だけで読めたのです。酔って眠り込んでしまっても終点ですから「うっかり乗り過ごしてしまう」というも心配もありません。
この「始発駅」という「強み」はいまでも私にとっては「飯能に住んでいて良かった」と思えている理由の一つです。逆に言うと、飯能駅が始発駅でなくなってしまったら「飯能に住んでいて良かった」とは思えなくなってしまうかもしれません。
しかし、「始発駅」が「住んでいる地域の評価基準」の重点項目になるのは、毎日池袋方面に通勤する人だけでしょう。同じ家族でも、通勤電車に乗らない人にとっては「始発駅」であることはあまり魅力ではないのでしょう。
いま飯能市内に住んでいる人の多くは、「飯能に住んでいて良かったと思うこと」としては「森林」「清流」「風景」などの自然環境を挙げる人が大半だと思います。しかし、物件を探しに川口市から飯能市に通っている頃の私は、自然にはあまり関心がありませんでした。
飯能市内で最初に案内された物件に惚れて、そこを買おうと思い始めた頃、持ち家を買った体験のある同僚にそのことを話してみました。ところが彼から「最初に見た物件は絶対に買うな!」「物件を100件見るまでは、中にどんなに欲しいと思う物件があってもどれも買わないほうがいい!」とアドバイスされたのです。
その理由は明解でした。
?「住宅を見慣れていない人は見た目の綺麗さだけで判断してしまう」
?「人に貸す家ならともかく自分で住む家は住宅の質も大事だが周囲の環境のほうがもっと大事だ」
?「なぜなら住宅の不満は金をかければ解消できるが周囲の環境は個人では変えられないからだ」と言うのです。
さらに、その同僚は「物件を100件見れば誰でも不動産の善し悪しを見抜ける眼力が養われる」、だから「買うなら100件以上見てから、その中から選べ」とも言われました。
その説に妙に納得した私は、それからは、休日の度に当時住んでいた川口市から飯能市に通い詰めたのです。平日に不動産業者にアポを入れておけば、土日でまとめて5〜6件の物件を見て回ることができました。新築物件も中古物件もありました。建て売り物件も土地だけの物件もありました。
そうやって、数社の不動産業者に飯能市内の物件を案内されているうちに、私は「始発駅である」こと以外にも、飯能には素晴らしいところがあることに気づいたのです。それは、街の中をあるいていても見える「山」であり、街中を流れている「川」であり、家の中に居ても聞こえてくる「お寺の鐘」でした。
物件を100件も見るのはとても無理でした。「飯能駅から徒歩15分以内」と限定していたので、売りに出されている物件が少なかったのです。それでも、最終的に総計50件ほど見て、私は買う物件を決めました。実は、それは私が飯能市内で最初に案内された物件だったのです。
しかし、同僚のアドバイスを受け入れて50件の物件を見比べてから購入したことは私にとっては大いなるメリットがありました。それは「買った物件をいつまでも後悔することがなかった」ことです。
もし、最初に見た物件をすぐに買ってしまったとしたらどうでしょうか? おそらく、「早まったかなぁ・・・」「もっと探せば、ここより良い物件が有ったかもしれなかったかなぁ・・・」という思いが生じてきたかもしれません。
その家に転居して来てからも、念のため新聞の折り込みチラシをチェックしていましたが、1年経っても、3年経っても、「我が家の物件以上の物は出ない」「やっぱりこの物件にして良かった」と思えることばかりだったのです。
その家には、いまのマンションに越してくるまで15年ほど住んでいましたが、飯能に住めば住むほど、飯能市内の「里山」と「清流」と「神社仏閣」の環境の良さをかみしめています。というよりは、「飯能の良さ」は、ここに暮らしてみて初めて「当初の期待以上だった」ということが分かったのです。