2006-05-01 Mon
私がBlogを始めたのは「Blogに書く」ということがどういうことなのかを体験してみたかったからです。Blog「飯能どうする研究所」を続けて昨日で満4ヶ月が経ちました。
そこで分かったことは「Blogに書く」ということは「Blogで考える」ことだ、ということでした。それは「Blogに書こう」とすると「Blogで表現できる(Blogでは表現できない)ことは何か?」ということを考えることです。
実は、当「飯能どうする研究所」というBlogは、私にとって4つめのBlogでした。その前に始めたBlogはどれも「頓挫」して、いまでは当Blogだけが継続しているだけです。
そこで、「継続できるBlog・継続できないBlog」について私なりの経験を書いてみました。
Blogの成功論とか失敗論とかいうものではありません。
私が最初に始めたBlogが「続かなかった理由」として、私自身は「Blog特有の日記形式にあった」と思っています。
当Blogの初日(1/1)の冒頭にも書いたように、私はBlogだからといって「個人的な日記」を書くつもりはまったくありません。その理由を1/1では下記のように書いています。
ブログであるために「日記形式」になっていますが、有名人でも人気者でもない平凡人の「個人的な日記」なんかを読んでも少しも面白くないと思います。
Blogはどれも「日記形式」になっているため、「日記以外のこと」でも日記形式で書かなければなりません。それで苦労したのが当Blogよりも前に始めていた『日本国を蘇生させる新規事業』です。
このBlogの内容は、読んだ方には分かると思いますが、本来であれば「一冊の単行本を書く」ように「章立ての構成」を定めてから書くべきものでした。
ところが実際に書き始めてみて
「日記形式だと〈章立て〉の書き方ができない」ということに気づいたのです。
そこで、次ぎに始めた『起業心理学創設日記』では、無理にでも「日記形式」を続けようと、あえてタイトルにも「日記」という言葉を使用することにしました。しかし、形式的には継続しているようになっていますが、実際にはここでもBlogは頓挫しています。
実は、「飯能どうする研究所」というBlogも最初は、2005年8月に楽天のBlogで始めてみたのですが、「Blogの書き方」自体が理解できなくて、始めてすぐに頓挫していたのです。
2006年1月1日から、また「飯能どうする研究所」というBlogを再開できたのは、いま利用しているBlogn(ぶろぐん)というBlogサービスに出会ったからです。そして、ここで「Blogを続けるためには利用するBlogをよく選べ」という、平凡だが貴重な教訓を得たのです。
Blog「飯能どうする研究所」を始めてまだ日が浅いのですが、現時点で痛感しているのは下記の5点です。
(1)長文を書くよりは分割して一回の掲載は短くしたほうがいい。
(なのに当Blogは一回が長文過ぎますね・・・・)
(2)「章立て」は「カテゴリー分け」程度にしておく
(当Blogが今も楽しく続けられているのはこのカテゴリー分けです)
(3)書き込み内容に合った写真は載せたほうが望ましい
(それでも写真にならない分野のことを書くこともあります)
(4)コメントやトラックバックはこちらから求めないほうがいい
(頻繁に侵入するスパム書込は見つけたら即座に削除しています)
(5)書き込んだ内容の自己評価とその日のアクセス数に相関は無い
(それでも一日一日の書込は面白くないと・・・・)
もし、これからBlogを始めてみたいと考える方に、いまの私からアドバイスらしきものができるとしたら「Blogのマニュアル本」には下記の2種類があり、それを同時に備えている本は無い、ということです。
A・「使用する無料Blogサービスの選び方や申込方法、自分のBlogの開設方法、Blogの基本構造」などを知るための技術的な面での解説本
B・「Blogに書き込むテーマの決め方、内容の深め方、続けるための心構え、挫折しない方法」などを教える文章作法的な面での指南本
したがって、Aの解説本を買って、とりあえず自分のBlogをスタートさせられたら、それだけで満足せずに、できるだけ早くBの指南本を買うことをお薦めします。
現時点で、Bの指南本として私がお薦めできるのは岡部敬史著『ブログ進化論』講談社+α新書です。(これって別にアフィリエイトではありません)
きょうのタイトルに書いた「Blogから始める実験」については、後日書くことにします。
そこで分かったことは「Blogに書く」ということは「Blogで考える」ことだ、ということでした。それは「Blogに書こう」とすると「Blogで表現できる(Blogでは表現できない)ことは何か?」ということを考えることです。
実は、当「飯能どうする研究所」というBlogは、私にとって4つめのBlogでした。その前に始めたBlogはどれも「頓挫」して、いまでは当Blogだけが継続しているだけです。
そこで、「継続できるBlog・継続できないBlog」について私なりの経験を書いてみました。
Blogの成功論とか失敗論とかいうものではありません。
私が最初に始めたBlogが「続かなかった理由」として、私自身は「Blog特有の日記形式にあった」と思っています。
当Blogの初日(1/1)の冒頭にも書いたように、私はBlogだからといって「個人的な日記」を書くつもりはまったくありません。その理由を1/1では下記のように書いています。
ブログであるために「日記形式」になっていますが、有名人でも人気者でもない平凡人の「個人的な日記」なんかを読んでも少しも面白くないと思います。
Blogはどれも「日記形式」になっているため、「日記以外のこと」でも日記形式で書かなければなりません。それで苦労したのが当Blogよりも前に始めていた『日本国を蘇生させる新規事業』です。
このBlogの内容は、読んだ方には分かると思いますが、本来であれば「一冊の単行本を書く」ように「章立ての構成」を定めてから書くべきものでした。
ところが実際に書き始めてみて
「日記形式だと〈章立て〉の書き方ができない」ということに気づいたのです。
そこで、次ぎに始めた『起業心理学創設日記』では、無理にでも「日記形式」を続けようと、あえてタイトルにも「日記」という言葉を使用することにしました。しかし、形式的には継続しているようになっていますが、実際にはここでもBlogは頓挫しています。
実は、「飯能どうする研究所」というBlogも最初は、2005年8月に楽天のBlogで始めてみたのですが、「Blogの書き方」自体が理解できなくて、始めてすぐに頓挫していたのです。
2006年1月1日から、また「飯能どうする研究所」というBlogを再開できたのは、いま利用しているBlogn(ぶろぐん)というBlogサービスに出会ったからです。そして、ここで「Blogを続けるためには利用するBlogをよく選べ」という、平凡だが貴重な教訓を得たのです。
Blog「飯能どうする研究所」を始めてまだ日が浅いのですが、現時点で痛感しているのは下記の5点です。
(1)長文を書くよりは分割して一回の掲載は短くしたほうがいい。
(なのに当Blogは一回が長文過ぎますね・・・・)
(2)「章立て」は「カテゴリー分け」程度にしておく
(当Blogが今も楽しく続けられているのはこのカテゴリー分けです)
(3)書き込み内容に合った写真は載せたほうが望ましい
(それでも写真にならない分野のことを書くこともあります)
(4)コメントやトラックバックはこちらから求めないほうがいい
(頻繁に侵入するスパム書込は見つけたら即座に削除しています)
(5)書き込んだ内容の自己評価とその日のアクセス数に相関は無い
(それでも一日一日の書込は面白くないと・・・・)
もし、これからBlogを始めてみたいと考える方に、いまの私からアドバイスらしきものができるとしたら「Blogのマニュアル本」には下記の2種類があり、それを同時に備えている本は無い、ということです。
A・「使用する無料Blogサービスの選び方や申込方法、自分のBlogの開設方法、Blogの基本構造」などを知るための技術的な面での解説本
B・「Blogに書き込むテーマの決め方、内容の深め方、続けるための心構え、挫折しない方法」などを教える文章作法的な面での指南本
したがって、Aの解説本を買って、とりあえず自分のBlogをスタートさせられたら、それだけで満足せずに、できるだけ早くBの指南本を買うことをお薦めします。
現時点で、Bの指南本として私がお薦めできるのは岡部敬史著『ブログ進化論』講談社+α新書です。(これって別にアフィリエイトではありません)
きょうのタイトルに書いた「Blogから始める実験」については、後日書くことにします。
2006-05-02 Tue
きょう(5/2)の文化新聞・第二面に「絹甚の活用案決まる」という記事が載っていました。
昨年7月に発足した「絹甚保存活用検討委員会」(20人)が計5回の会議を重ねた最終報告をまとめたそうです。
急いで飯能市役所サイトを見ましたが<トピック>にも<新着情報>にも掲示されていませんでした。
念のために<サイト内検索>を 絹甚保存活用検討委員会 で検索してみましたが、下記のようなものしか表示されませんでした。
検索結果一覧
これで市民に何を分かれというのでしょうか?
(その前に、あまりの工夫の無さに読む気が失せてしまいませんか?)
記事によると、平成18年度・修理委員会を立ち上げ、平成19年度・修理工事に着工、平成20年度・公開、と書かれています。
この〈「絹甚」の活用方法・01〉(1/28)で「癌で手術した母親(84)の存命中に二度目の個展を絹甚で開催したい」ということを書きました。
奇しくも、「絹陣の活用案決まる」という記事が出たきょう(5/2)、母親は練馬区の大学病院に再々入院させてきました。末期癌ですので、元気になって退院できることはもう無いでしょう。絹甚が展示会場として公開されるのが2年も先というのはあまりにも遅すぎて、残念です。
活用案として、きょうの文化新聞の記事には、
?「絹甚」が体現する飯能のまちの歴史を学び、?地域情報を蓄積し発信する拠点、?周辺地域を活性化させるための拠点、?地域コミュニティーの場、?小規模な文化イベントが開催できる場、
というようなことが「多論併記の形をとった」と書かれていました。
この記事を読んだだけですが、私の正直な感想は「え?!・・・」「その程度のことなら、特に予算と時間を費やして検討委員会なんて設けなくても定番のようなものじゃないの?」でした。
あえてハッキリ言えば、他の多くの自治体で「街中に在る文化財的な木造建築の活用案」として既に出されたことのある事例をただ羅列してみただけのもの程度ではないでしょうか?
少なくとも、他の自治体ではまだどこも実現したことの無い(あるいは極めて少数例の)活用案でなければ面白くないのではないでしょうか?
ここからは一般論ですが、どこかの施設の活用策を検討するとき、どのようなプランを提案しても、必ず反対する人は居るものです。
しかし、「誰からも反対されない案」というものは、しょせん「月並みで平凡な内容」になってしまうものです。
飯能市に限らず、「○○検討委員会」なるもので討議すれば、最終的には「無用な摩擦は避けよう」ということで「出された意見を全部併記する」ということになってしまうものです。
そして、「平凡なプラン」だから、誰も本気で推進する者も無く、マンネリになって形骸化していくものなのです。
「成功した街おこし企画」に共通している根本的な成功要因は下記の3つなのです。
(1)運営したい者がそのプランを決めている
(2)運営したい者が本当にやりたいコトを貫いている
(3)「自分の利益のためにやっている」と中傷されても怯まない
次の〈「絹甚」の活用方法・03〉では、私なりの「活用案」を提案させて頂きます。おそらく「猛反発」をくらうかもしれませんが、
「たった一つのコト」に集中したプランです。
昨年7月に発足した「絹甚保存活用検討委員会」(20人)が計5回の会議を重ねた最終報告をまとめたそうです。
急いで飯能市役所サイトを見ましたが<トピック>にも<新着情報>にも掲示されていませんでした。
念のために<サイト内検索>を 絹甚保存活用検討委員会 で検索してみましたが、下記のようなものしか表示されませんでした。
検索結果一覧
これで市民に何を分かれというのでしょうか?
(その前に、あまりの工夫の無さに読む気が失せてしまいませんか?)
記事によると、平成18年度・修理委員会を立ち上げ、平成19年度・修理工事に着工、平成20年度・公開、と書かれています。
この〈「絹甚」の活用方法・01〉(1/28)で「癌で手術した母親(84)の存命中に二度目の個展を絹甚で開催したい」ということを書きました。
奇しくも、「絹陣の活用案決まる」という記事が出たきょう(5/2)、母親は練馬区の大学病院に再々入院させてきました。末期癌ですので、元気になって退院できることはもう無いでしょう。絹甚が展示会場として公開されるのが2年も先というのはあまりにも遅すぎて、残念です。
活用案として、きょうの文化新聞の記事には、
?「絹甚」が体現する飯能のまちの歴史を学び、?地域情報を蓄積し発信する拠点、?周辺地域を活性化させるための拠点、?地域コミュニティーの場、?小規模な文化イベントが開催できる場、
というようなことが「多論併記の形をとった」と書かれていました。
この記事を読んだだけですが、私の正直な感想は「え?!・・・」「その程度のことなら、特に予算と時間を費やして検討委員会なんて設けなくても定番のようなものじゃないの?」でした。
あえてハッキリ言えば、他の多くの自治体で「街中に在る文化財的な木造建築の活用案」として既に出されたことのある事例をただ羅列してみただけのもの程度ではないでしょうか?
少なくとも、他の自治体ではまだどこも実現したことの無い(あるいは極めて少数例の)活用案でなければ面白くないのではないでしょうか?
ここからは一般論ですが、どこかの施設の活用策を検討するとき、どのようなプランを提案しても、必ず反対する人は居るものです。
しかし、「誰からも反対されない案」というものは、しょせん「月並みで平凡な内容」になってしまうものです。
飯能市に限らず、「○○検討委員会」なるもので討議すれば、最終的には「無用な摩擦は避けよう」ということで「出された意見を全部併記する」ということになってしまうものです。
そして、「平凡なプラン」だから、誰も本気で推進する者も無く、マンネリになって形骸化していくものなのです。
「成功した街おこし企画」に共通している根本的な成功要因は下記の3つなのです。
(1)運営したい者がそのプランを決めている
(2)運営したい者が本当にやりたいコトを貫いている
(3)「自分の利益のためにやっている」と中傷されても怯まない
次の〈「絹甚」の活用方法・03〉では、私なりの「活用案」を提案させて頂きます。おそらく「猛反発」をくらうかもしれませんが、
「たった一つのコト」に集中したプランです。
2006-05-03 Wed
いま一番新しい『広報はんのう』(5/1号)21頁に「“60才の集い”事業廃止のお知らせ」が載っています。
そこでは中止の理由として、?参加率が低下してきたこと、?個人情報の保護などを考慮し、?見直しを行った結果、と書いてあります。
しかし、このように「公の文書」に書かれている「理由」は、だいたいが「本当の理由」ではないことが極めて多いものです。私としては「もっともらしく思えるであろう理由」を並べただけとしか思えません。
だから、この???の「口実にされた理由」にも「突っ込み」を入れたくなってしまいました。
まず?の「参加率が低下してきた」に対して「突っ込み」を入れてみました。
たぶん数字的には「参加率が低下してきた」のは事実なのでしょう。しかし、「参加率が低下してきたから廃止する」のなら、市役所が主催する殆どの定例行事を「廃止」しなければならないのではないでしょうか?
「成人式の参加率」は低下してないのでしょうか?
「低下したら廃止する」のでしょうか?
そうではないでしょう。その前に「なぜ低下したのか?」その理由を考えるべきででしょう。そして、それへの的確な対策を打つべきでしょう。そして何よりも、そもそも「何のために成人式を開催するのか?」を、その原点に立ち戻って考えてから、結論を出すのではないでしょうか?
そして、成人式を廃止しますか? 「60才の集い」を廃止しますか?
次ぎに?の「個人情報の保護」にも「突っ込み」を入れてみましょう。
これは、「対象者の名簿作成」や「お知らせの発送」作業を手伝う「運営スタッフの市民」に「対象者の住所・年齢(特に60才になるということ)」が知られてしまうことをもって「個人情報の保護に反する」と文句を付けた人がいるのでしょう。
こういうことは、同窓会、同期会、同級会などでさえ、その準備する段階で、必ず「言い出す人」がどこにも居ます。中には、当日の会場で名札を着けさせられるのも「個人情報の保護に反する」と噛みつく人さえいます。
だからこそ、「入学式」とか「健康診断」とか「成人式」とか「60才の集い」「高齢者の集い」などのように「年齢を基準にした節目のイベント」に市役所が関わる必要があるのです。
つまり、「個人情報の保護」というのは、「だから市役所の事業としては廃止する」という理由に使われるのではなく、「だからこそ市役所の事業としては廃止できない」という逆の理由に使われるべきことなのです。
私の拙い「イベント主催経験」から言わせてもらうと、この「個人情報の保護」を理由に「人を集めるイベント」に反対する人は、自分自身がそのイベントに出たくないけど、それを言えないから、「開催させない口実」として言っているに過ぎないことが多いのです。
最後に?の「見直しを行った結果」に「突っ込み」を入れてみましょう。
ここには「誰が、何を見直したのか?」が書かれていません。いままで「60才の集い」を経験してきた人なのでしょうか? それとも、去年「60才の集い」を運営した人なのでしょうか? それとも、担当の市役所職員なのでしょうか?
むしろ、誰かの意見を訊くなら、来年や再来年の「60才の集い」を予定する年齢の人たちではないでしょうか?
これから数年以内に60才になる人たちに「60才の集いは必要ですか?」というアンケートを出して、「開催して欲しい」と願う人がいるなら、開催したほうがいいのではないでしょうか? 私は「開催して欲しい」と熱望しています。
「60才の集い」を開催するための予算計上は不要です。〈続けたい60才のつどい・02〉(3/1)で書いたように、事業費は1円でいいのです。
「個人情報の保護に反する」という抗議を避けるためにも、対象者への案内状発送は市役所から行わなければならないからです。もちろん、そのための経費や手間は「参加希望者」が負担します。
そこでは中止の理由として、?参加率が低下してきたこと、?個人情報の保護などを考慮し、?見直しを行った結果、と書いてあります。
しかし、このように「公の文書」に書かれている「理由」は、だいたいが「本当の理由」ではないことが極めて多いものです。私としては「もっともらしく思えるであろう理由」を並べただけとしか思えません。
だから、この???の「口実にされた理由」にも「突っ込み」を入れたくなってしまいました。
まず?の「参加率が低下してきた」に対して「突っ込み」を入れてみました。
たぶん数字的には「参加率が低下してきた」のは事実なのでしょう。しかし、「参加率が低下してきたから廃止する」のなら、市役所が主催する殆どの定例行事を「廃止」しなければならないのではないでしょうか?
「成人式の参加率」は低下してないのでしょうか?
「低下したら廃止する」のでしょうか?
そうではないでしょう。その前に「なぜ低下したのか?」その理由を考えるべきででしょう。そして、それへの的確な対策を打つべきでしょう。そして何よりも、そもそも「何のために成人式を開催するのか?」を、その原点に立ち戻って考えてから、結論を出すのではないでしょうか?
そして、成人式を廃止しますか? 「60才の集い」を廃止しますか?
次ぎに?の「個人情報の保護」にも「突っ込み」を入れてみましょう。
これは、「対象者の名簿作成」や「お知らせの発送」作業を手伝う「運営スタッフの市民」に「対象者の住所・年齢(特に60才になるということ)」が知られてしまうことをもって「個人情報の保護に反する」と文句を付けた人がいるのでしょう。
こういうことは、同窓会、同期会、同級会などでさえ、その準備する段階で、必ず「言い出す人」がどこにも居ます。中には、当日の会場で名札を着けさせられるのも「個人情報の保護に反する」と噛みつく人さえいます。
だからこそ、「入学式」とか「健康診断」とか「成人式」とか「60才の集い」「高齢者の集い」などのように「年齢を基準にした節目のイベント」に市役所が関わる必要があるのです。
つまり、「個人情報の保護」というのは、「だから市役所の事業としては廃止する」という理由に使われるのではなく、「だからこそ市役所の事業としては廃止できない」という逆の理由に使われるべきことなのです。
私の拙い「イベント主催経験」から言わせてもらうと、この「個人情報の保護」を理由に「人を集めるイベント」に反対する人は、自分自身がそのイベントに出たくないけど、それを言えないから、「開催させない口実」として言っているに過ぎないことが多いのです。
最後に?の「見直しを行った結果」に「突っ込み」を入れてみましょう。
ここには「誰が、何を見直したのか?」が書かれていません。いままで「60才の集い」を経験してきた人なのでしょうか? それとも、去年「60才の集い」を運営した人なのでしょうか? それとも、担当の市役所職員なのでしょうか?
むしろ、誰かの意見を訊くなら、来年や再来年の「60才の集い」を予定する年齢の人たちではないでしょうか?
これから数年以内に60才になる人たちに「60才の集いは必要ですか?」というアンケートを出して、「開催して欲しい」と願う人がいるなら、開催したほうがいいのではないでしょうか? 私は「開催して欲しい」と熱望しています。
「60才の集い」を開催するための予算計上は不要です。〈続けたい60才のつどい・02〉(3/1)で書いたように、事業費は1円でいいのです。
「個人情報の保護に反する」という抗議を避けるためにも、対象者への案内状発送は市役所から行わなければならないからです。もちろん、そのための経費や手間は「参加希望者」が負担します。
2006-05-05 Fri
明日(5/6)は、
「飯能名栗エコツーリズム・春のお散歩マーケット」です。昨年の「秋のお散歩マーケット」が楽しかったので、今回も夫婦で行く予定です。どうやらお天気も良さそうです。
お土産に
摘みたて野菜と
温もりを
山里の
お散歩マーケット (飯能市・倉田モコ)
上記は、「エコツーリズムの五行歌コンテスト2006」で「観光賞」を受賞した五行歌です。同じ市内でこのような楽しみ方ができるのも「飯能ならでは」のことですね。
山里の集落に点在する個人の家を巡って、その家の人たちと言葉を交わし、その人たちの手作りの土地のモノを食べ、畑や庭先で採れたモノを買って帰ることができる「お散歩マーケット」は、街中でのフリーマーケットでは味わえない情緒があります。
山里の
廃校にある
銀杏の大木は
語る
人よ集えと (千葉市・かおる)
同じ「エコツーリズムの五行歌コンテスト2006」で「里地里山賞」を受賞した五行歌です。自然の中に「集える」場所が無数に有り、老若男女が共に「集える」イベントが多数企画されている飯能のエコツーリズム事業はまだまだ続きます。
どんな音楽も
いらない
ただ
清流の
せせらぎがあれば (横浜市・村上智香)
これは「清流賞」を受賞した作品です。これから「せせらぎが心地好い季節」ですね。
この「エコツーリズムの五行歌コンテスト」は[2007]を実施する予定です。残念ながら私は主催者の一人なので応募することはできません。
主催者の一人としては、応募作品の中の優秀作を「一首一枚」のカードにしたり、「一覧表」にして、次回の「お散歩マーケット」や、その他のエコツーリズム事業」の参加者の方々に配布できればいいなぁと考えています。
「飯能名栗エコツーリズム・春のお散歩マーケット」です。昨年の「秋のお散歩マーケット」が楽しかったので、今回も夫婦で行く予定です。どうやらお天気も良さそうです。
お土産に
摘みたて野菜と
温もりを
山里の
お散歩マーケット (飯能市・倉田モコ)
上記は、「エコツーリズムの五行歌コンテスト2006」で「観光賞」を受賞した五行歌です。同じ市内でこのような楽しみ方ができるのも「飯能ならでは」のことですね。
山里の集落に点在する個人の家を巡って、その家の人たちと言葉を交わし、その人たちの手作りの土地のモノを食べ、畑や庭先で採れたモノを買って帰ることができる「お散歩マーケット」は、街中でのフリーマーケットでは味わえない情緒があります。
山里の
廃校にある
銀杏の大木は
語る
人よ集えと (千葉市・かおる)
同じ「エコツーリズムの五行歌コンテスト2006」で「里地里山賞」を受賞した五行歌です。自然の中に「集える」場所が無数に有り、老若男女が共に「集える」イベントが多数企画されている飯能のエコツーリズム事業はまだまだ続きます。
どんな音楽も
いらない
ただ
清流の
せせらぎがあれば (横浜市・村上智香)
これは「清流賞」を受賞した作品です。これから「せせらぎが心地好い季節」ですね。
この「エコツーリズムの五行歌コンテスト」は[2007]を実施する予定です。残念ながら私は主催者の一人なので応募することはできません。
主催者の一人としては、応募作品の中の優秀作を「一首一枚」のカードにしたり、「一覧表」にして、次回の「お散歩マーケット」や、その他のエコツーリズム事業」の参加者の方々に配布できればいいなぁと考えています。
2006-05-07 Sun
この項目の第01回(2/1)のときは〈インターネット住民投票〉というタイトルでした。地域サイト『飯能いつどこ情報源』<左列・これからの飯能を面白くすること>欄に投票機能を設置したときに「インターネット住民投票」という名称を使用していたからです。
その第01回で書いたように、「住民投票の意義」とか「住民投票の是非」や「住民投票のやり方」「住民投票実施の課題」にも触れていきたかったからです。しかし、意外と当初の期待ほどには投票がありません。
なぜなんだろう?(と私なりに反省しました)
他の市町村合併の是非 ・ 鉄腕アトム像認知度などの投票と比較して気づいたことは「住民アンケート」と「住民投票」という表現の違いでした。
もしかしたら「住民投票」という言葉が、警戒感とか反発を生じさせるのかも知れません。
前述した「市町村合併の是非」も「アトム像の認知度」も「アンケート」と明記してあります。
そこで遅まきながら、当Blogの項目も〈ネット住民アンケート〉という名称にきょうから変えることにしました。
そこで、追加したアンケートが
「丸広東飯能店跡地活用について」です。
まず2項目からスタートしましたが、最終的には7,8項目になる予定です。
このような「緊急を要するアンケート」のようなものこそ飯能市役所にインターネットで実施して欲しいと思っています。みなさんはどう思われるでしょうか?
無作為抽出者にアンケートを郵送し、回答用紙をまた郵送で返送してもらうとか、調査員が訪問して質問するような従来のアンケート方式と比較すれば、インターネットによるアンケートなら必要な経費も時間も格段に少なくて済みます。
『飯能いつどこ情報源』の<インターネット住民アンケート>では、市役所サイトに「住民アンケート」コーナーが設置されるようになるまで続けようと思っています。
その第01回で書いたように、「住民投票の意義」とか「住民投票の是非」や「住民投票のやり方」「住民投票実施の課題」にも触れていきたかったからです。しかし、意外と当初の期待ほどには投票がありません。
なぜなんだろう?(と私なりに反省しました)
他の市町村合併の是非 ・ 鉄腕アトム像認知度などの投票と比較して気づいたことは「住民アンケート」と「住民投票」という表現の違いでした。
もしかしたら「住民投票」という言葉が、警戒感とか反発を生じさせるのかも知れません。
前述した「市町村合併の是非」も「アトム像の認知度」も「アンケート」と明記してあります。
そこで遅まきながら、当Blogの項目も〈ネット住民アンケート〉という名称にきょうから変えることにしました。
そこで、追加したアンケートが
「丸広東飯能店跡地活用について」です。
まず2項目からスタートしましたが、最終的には7,8項目になる予定です。
このような「緊急を要するアンケート」のようなものこそ飯能市役所にインターネットで実施して欲しいと思っています。みなさんはどう思われるでしょうか?
無作為抽出者にアンケートを郵送し、回答用紙をまた郵送で返送してもらうとか、調査員が訪問して質問するような従来のアンケート方式と比較すれば、インターネットによるアンケートなら必要な経費も時間も格段に少なくて済みます。
『飯能いつどこ情報源』の<インターネット住民アンケート>では、市役所サイトに「住民アンケート」コーナーが設置されるようになるまで続けようと思っています。
2006-05-10 Wed
丸広東飯能店の跡地活用については、考えられる限りの可能性を検討しておきたいと思います。
この項目タイトルの第01回(1/16)で、「飯能市が買い取る(借り上げる)場合の活用方法3例」と「飯能市が丸広に買い手か借り手を斡旋する場合の可能性4例」を列挙してみました。
現時点で最も理想的なプランは飯能市による買い上げでしょう。
そこに市役所の全部署を移転させるプランです。つまり現在の東飯能駅の駅ビル全体が飯能市役所になるのです。
(これからは駅ビル庁舎と呼びましょう)
そのための財源は「現在の市役所の売却代金」です。
駐車場も含めた地続きの敷地を必要な面積だけ売却すればいいのです。もちろん、その敷地の購入企業には「高層マンションの建設販売」の条件付にします。
これだけのことで、飯能市には思いも寄らなかった下記の5つのメリットが生じるのです。
(1)移転費用だけで市役所庁舎を耐震構造に転換できる
(2)したがって現在計画中の別館は不要になって建設費を節約できる
(3)1000戸を越す住宅団地が出現し人口増・税収増・活力増になる
(4)建設予定の図書館を同居させれば、その建設費も不要になる
(5)駅ビル庁舎の1,2階を商業施設に貸せば賃貸収入を得られる
(駅の改札と同じフロアの3階には終電まで開いている図書館を!)
上記の(1)~(5)が実現すれば、飯能市には新たな計り知れない可能性が広がってくるでしょう。
しかも、それが「新たな借金ゼロ」で、「市民の税金負担ゼロ」で実現できるのです。
つまり、「丸広東飯能店を飯能市が購入する」という「一石」を投じるだけで上記の(1)~(5)という「五鳥」を得ることができるのです。
こんな素晴らしい「夢のような可能性」も、肝心の丸広東飯能店が他の企業に買われたり借りられたりしたら、それで消えてしまいます。だからこそ、一刻も早く、飯能市から丸広に「購入の打診」をするべきなのです。
このまま飯能市が何もしなければ下記のような「危機的な事態」が生じてしまいます。
(1)駅は空きビルのまま放置され「飯能は衰退」のイメージが固定される
(2)「耐震構造」を理由に別館庁舎建設に多額の税金が使われる
(3)それでいて市役所自体は「地震に弱い構造」のままで放置される
(4)市の人口はこのまま漸減していくだけ。
(5)老朽化した図書館の新築が財源不足で何年も先延ばしされる
上記のような悲劇的なことも、市長が「丸広東飯能店を飯能市が購入する」と決断するだけで回避できるのです。
「せっかくのチャンスを失わずに素早く機会を活かす」ことも、自治体としては重要な「危機管理」ではないでしょうか?
その際に、最も留意しなければならないことは、「実現できる or 出来ない」を論じる前に、その前にまず「実現したいこと」「挑戦してみたいこと」を明確にすることです。そのうえで「本当に実現したいこと」を絞り込んだら、それから「実現させるにはどうすればいいのか?」を考えることが重要なのです。
2006-05-11 Thu
この〈「飯能どうする研究所」とは?〉の第02回(5/1)で書いたように、「飯能どうする研究所」というBlogの目的は、「私自身がBlogで幾つかの実験をしてみること」です。それは、同時に、この「飯能どうする研究所」を読んでいる人にとっても「他人が始めたばかりのBlogを読む」という体験でもあります。
実は、私がBlogを始めるにあたって悩んだことは「毎日読んでいるBlogが無い」ことでした。ホリエモンの社長日記も逮捕される前まで何度か読みましたが「次の書き込みを楽しみにする」というほど夢中にはなれませんでした。
Blogを始めるにあたっては「参考にしたいBlogが無い」というのはちょっとマイナスのハンディだと思います。やはり「こんなBlogにしたい」「このBlogを凌ぎたい」という身近な参考例が有ったほうが、始めやすいし、続けやすいと思います。
その意味での、当Blog「飯能どうする研究所」を読んでいる方は、いつも「このBlogのここが面白い」「ここが面白くない」「ここが判りやすい」「ここが判りにくい」ということを考えながら読んでいると思います。その体験がそのまま自分がBlogを始めるときの役に立つはずです。
当Blog「飯能どうする研究所」で、私がいま一番悩んでいるのは「カテゴリー分類」です。「カテゴリー分類」とは、当Blogの<左列>の最上段にある<当Blogの項目タイトル>のことです。
殆どのBlogサービスでは<CATEGORIS>と表示されています。しかし、私は最初その意味が分かりませんでしたので、当Blog「飯能どうする研究所」では、その<CATEGORIS>を、自分で<当Blogの項目タイトル>に表現を変えています。
その<当Blogの項目タイトル>の下に、現在は、上から
飯能どうする研究所とは?(3件)
飯能での季節行事(2件)
「地域サイト」を考える(2件)
「いつどこ」を考える(4件)
その他のタイトル(5件)
というように計32の項目タイトルがあります。(○件)は、その項目タイトルでの「小久保の書き込み」の件数です。
殆どのBlogサービスに<CATEGORIS>機能は有ります。しかし、その<CATEGORIS>分類された各項目毎に、「書き込みの件数」が表示されないBlogもかなりあります。
もし、これから新たにBlogを始める方には、当Blogのように
<CATEGORIS>分類された各項目毎に「書き込みの件数」が表示されるものをお薦めします。
実は、私がBlogを始めるにあたって悩んだことは「毎日読んでいるBlogが無い」ことでした。ホリエモンの社長日記も逮捕される前まで何度か読みましたが「次の書き込みを楽しみにする」というほど夢中にはなれませんでした。
Blogを始めるにあたっては「参考にしたいBlogが無い」というのはちょっとマイナスのハンディだと思います。やはり「こんなBlogにしたい」「このBlogを凌ぎたい」という身近な参考例が有ったほうが、始めやすいし、続けやすいと思います。
その意味での、当Blog「飯能どうする研究所」を読んでいる方は、いつも「このBlogのここが面白い」「ここが面白くない」「ここが判りやすい」「ここが判りにくい」ということを考えながら読んでいると思います。その体験がそのまま自分がBlogを始めるときの役に立つはずです。
当Blog「飯能どうする研究所」で、私がいま一番悩んでいるのは「カテゴリー分類」です。「カテゴリー分類」とは、当Blogの<左列>の最上段にある<当Blogの項目タイトル>のことです。
殆どのBlogサービスでは<CATEGORIS>と表示されています。しかし、私は最初その意味が分かりませんでしたので、当Blog「飯能どうする研究所」では、その<CATEGORIS>を、自分で<当Blogの項目タイトル>に表現を変えています。
その<当Blogの項目タイトル>の下に、現在は、上から
飯能どうする研究所とは?(3件)
飯能での季節行事(2件)
「地域サイト」を考える(2件)
「いつどこ」を考える(4件)
その他のタイトル(5件)
というように計32の項目タイトルがあります。(○件)は、その項目タイトルでの「小久保の書き込み」の件数です。
殆どのBlogサービスに<CATEGORIS>機能は有ります。しかし、その<CATEGORIS>分類された各項目毎に、「書き込みの件数」が表示されないBlogもかなりあります。
もし、これから新たにBlogを始める方には、当Blogのように
<CATEGORIS>分類された各項目毎に「書き込みの件数」が表示されるものをお薦めします。
2006-05-13 Sat
私が一人で運営している地域情報サイト『飯能いつどこ情報源』のTOP頁は「掲載情報の配列」の順番を<左列><中列><右列>の縦長3列に並べています。
いままでは
<左列・これからの飯能を面白くすること>
<中列・飯能周辺のイベント情報>
<右列・便利なサイト・リンク集>
となっていました。
しかし、「掲載情報の配列」の順番は、サイトの名称である「いつ?どこ?情報源」という言葉の順番に合わせたほうがいいのではないかと思って下記のように変更しました。
「いつ?どこ?」というように、「いつ?」は「どこ?」の前にあるので、<中列>にしていた「飯能周辺のイベント情報」を<左列>に移動させました。
とうぜん、その次の<中列>は「どこ?」になりますから、ここに場所や位置を示す「便利なサイト・リンク集」を置くことにしました。
そうすると「いつどこ情報源」という言葉の順番の最後である「情報源」を<右列>に置くことにしました。
その情報源は「何のための情報源か?」というと、それは「これからの飯能を面白くすることの情報源である」という位置づけです。
最終的に
左列・いつ?(日付順)
中列・どこ?(それはここに)
右列・情報源(種々の情報)
というようにしてみました。
変更した当初は、慣れなくて見難くなって、途惑われるかもしれませんが許して下さい。
2006-05-15 Mon
飯能市役所の移転に関しては〈丸広東飯能店の跡地〉という項目タイトルで既に計4回書いていますが、それは、あくまでも「空きビルになってしまう跡地の活用策」という視点で書いていました。
飯能市役所を東飯能駅の駅ビル(丸広東飯能店跡)に移転することによって生じるメリットと、それをしないことによって生じるデメリットは〈丸広東飯能店の跡地・04(5/10)〉ですでに書きました。
そこで、この〈「駅ビル新庁舎」への道〉という項目タイトルでは、飯能市役所を東飯能駅ビルに移転する(駅ビル新庁舎を実現する)ことが、「飯能市全体の活性化と財政改革や行政改革を一気に推進させる絶好のチャンス」だ、という視点で書いていきます。
そしてさらに、「駅ビル新庁舎」を実現するために、
「何を、どのような順番で、取り組んでいけばいいのか」
も考えていきたいと思っています。
まず、飯能市役所が最初にやるべきことは下記の3つです。
(1)丸広に希望している売却価格(もしくは賃貸料)を確認する
(2)市民に「駅ビル新庁舎の是非」のアンケートを実施する
(3)現在の市役所全敷地の購入を希望する企業を公募する
これらはいずれも市長が職員に指示するだけで可能です。やる気さえあれば経費も難しいノウハウも必要ありません。同時進行も可能です。もちろん市議会の承認は不要です。
ここで上記(1)(2)(3)について若干の説明を補足します。
(1)丸広に希望している売却価格(もしくは賃貸料)を確認する
私は「購入」よりも「賃貸」のほうが得策だと思っています。
なぜなら、「次の市町村合併」で日高市や入間市と合併した場合、それぞれの市役所庁舎が余剰になるからです。
丸広にしても、「閉店する」ことで「毎月出ていた赤字」が止まり、さらに何もしないで毎月高額の家賃収入が確保されるのですから損はありません。
次の市町村合併が実現したら(早くて4年、遅ければ10年の後)、借りたスペースは大家である丸広に返すことになりますが、次の借り手も市役所跡地が大規模団地になっていればすぐに確保できるでしょう。
(2)市民に「駅ビル新庁舎の是非」のアンケートを実施する
アンケートの選択肢はできるだけ簡潔なほうがいいでしょう。例としては下記のようなものになるでしょうか?
<前文>丸広東飯能店が閉店した駅ビルに飯能市役所が移転して、その「駅ビル新庁舎」に新しい図書館や保育園、幼稚園、託児所などを併設することは現実的に可能になってきました。この「駅ビル新庁舎構想」と「移転した後の市役所敷地の活用」についてあなたの希望や意見を聞かせて下さい。
【設問1】「駅ビル新庁舎」の実現に賛成ですか? 反対ですか?
a.賛成。但し、駅ビルは飯能市が購入したほうがいい。
b.賛成。但し、駅ビルは購入せずに賃借のほうがいい。
c.反対。市役所はいまのままのほうがいい。
d.現時点ではどちらとも判断できない。
e.その他( )
【設問2】市役所敷地の活用策としてあなたが希望することは?
a.「高層マンションにする」条件で民間企業に売却する。
b.飯能市が高級市営住宅にして賃貸収入と人口を増やす。
c.飯能市が保有して公園にする。
d.その他( )
市役所が丸広東飯能店跡地に移転することを、現時点でどの程度の市民が望むでしょうか?
この程度のアンケートなら私が『飯能いつどこ情報源』で実施しているような
<インターネット住民アンケート>機能を使えば市役所サイトで直ぐにでも始められることです。
試しに
「移転の是非を問う」アンケートを開設してみました。興味のある方は投票してみて下さい。飯能市役所サイトでこの種のアンケートを設置するまで続けようと思っています。
(3)現在の市役所の全敷地の購入を希望する企業を公募する
市役所が駅ビル新庁舎に移転することになれば、当然いまの敷地は不要になります。飯能市を活性化するには、その跡地には「大規模高層マンション」が最適ではないでしょうか。
その場合の大きな課題は、
a.土地を買うマンション開発業者があるか?
b.その業者をどうやって探し出すか?
c.希望する業者に幾らで売却できるか?
ということでしょう。
飯能市役所を東飯能駅の駅ビル(丸広東飯能店跡)に移転することによって生じるメリットと、それをしないことによって生じるデメリットは〈丸広東飯能店の跡地・04(5/10)〉ですでに書きました。
そこで、この〈「駅ビル新庁舎」への道〉という項目タイトルでは、飯能市役所を東飯能駅ビルに移転する(駅ビル新庁舎を実現する)ことが、「飯能市全体の活性化と財政改革や行政改革を一気に推進させる絶好のチャンス」だ、という視点で書いていきます。
そしてさらに、「駅ビル新庁舎」を実現するために、
「何を、どのような順番で、取り組んでいけばいいのか」
も考えていきたいと思っています。
まず、飯能市役所が最初にやるべきことは下記の3つです。
(1)丸広に希望している売却価格(もしくは賃貸料)を確認する
(2)市民に「駅ビル新庁舎の是非」のアンケートを実施する
(3)現在の市役所全敷地の購入を希望する企業を公募する
これらはいずれも市長が職員に指示するだけで可能です。やる気さえあれば経費も難しいノウハウも必要ありません。同時進行も可能です。もちろん市議会の承認は不要です。
ここで上記(1)(2)(3)について若干の説明を補足します。
(1)丸広に希望している売却価格(もしくは賃貸料)を確認する
私は「購入」よりも「賃貸」のほうが得策だと思っています。
なぜなら、「次の市町村合併」で日高市や入間市と合併した場合、それぞれの市役所庁舎が余剰になるからです。
丸広にしても、「閉店する」ことで「毎月出ていた赤字」が止まり、さらに何もしないで毎月高額の家賃収入が確保されるのですから損はありません。
次の市町村合併が実現したら(早くて4年、遅ければ10年の後)、借りたスペースは大家である丸広に返すことになりますが、次の借り手も市役所跡地が大規模団地になっていればすぐに確保できるでしょう。
(2)市民に「駅ビル新庁舎の是非」のアンケートを実施する
アンケートの選択肢はできるだけ簡潔なほうがいいでしょう。例としては下記のようなものになるでしょうか?
<前文>丸広東飯能店が閉店した駅ビルに飯能市役所が移転して、その「駅ビル新庁舎」に新しい図書館や保育園、幼稚園、託児所などを併設することは現実的に可能になってきました。この「駅ビル新庁舎構想」と「移転した後の市役所敷地の活用」についてあなたの希望や意見を聞かせて下さい。
【設問1】「駅ビル新庁舎」の実現に賛成ですか? 反対ですか?
a.賛成。但し、駅ビルは飯能市が購入したほうがいい。
b.賛成。但し、駅ビルは購入せずに賃借のほうがいい。
c.反対。市役所はいまのままのほうがいい。
d.現時点ではどちらとも判断できない。
e.その他( )
【設問2】市役所敷地の活用策としてあなたが希望することは?
a.「高層マンションにする」条件で民間企業に売却する。
b.飯能市が高級市営住宅にして賃貸収入と人口を増やす。
c.飯能市が保有して公園にする。
d.その他( )
市役所が丸広東飯能店跡地に移転することを、現時点でどの程度の市民が望むでしょうか?
この程度のアンケートなら私が『飯能いつどこ情報源』で実施しているような
<インターネット住民アンケート>機能を使えば市役所サイトで直ぐにでも始められることです。
試しに
「移転の是非を問う」アンケートを開設してみました。興味のある方は投票してみて下さい。飯能市役所サイトでこの種のアンケートを設置するまで続けようと思っています。
(3)現在の市役所の全敷地の購入を希望する企業を公募する
市役所が駅ビル新庁舎に移転することになれば、当然いまの敷地は不要になります。飯能市を活性化するには、その跡地には「大規模高層マンション」が最適ではないでしょうか。
その場合の大きな課題は、
a.土地を買うマンション開発業者があるか?
b.その業者をどうやって探し出すか?
c.希望する業者に幾らで売却できるか?
ということでしょう。
2006-05-18 Thu
きょう(5/18)中央公民館で開催された「市長ほっとミーティング」に行ってきました。私は毎年参加していますが、参加者は今までで最高。150人は超えていたのではないでしょうか。
当Blogの〈丸広東飯能店の跡地・03〉(4/28)の末尾で、「どなたか〈市長ほっとミーティング〉で質問してみませんか?」と書いたので、きょうは私自身も質問してみました。「質問」と「要望」でした。
市長への質問は
「市役所が移転したらどうかと言われていますが」と切り出して
「耐震構造の建物にすぐに移転できる、別館建設と新図書館建設が不要になる、市役所跡地にマンションが出来たら活性化する」
と簡潔に可能性を列挙したうえで
「市長自身のお考えをお聞かせ下さい」でした。
それに対する市長の回答は要約すると下記の2点でした。
その下の行の( )内は、それに対する私の(内なる声の)「突っ込み」です。
1・駅ビルは市役所としては使いづらい建物になっている
(いまの市役所よりは使いやすくて快適だと思いますが・・・・)
2・丸広はすぐに借りて欲しいが市役所だと何年も先のことになる
(普通の企業なら転居先を見つければ半年以内に移転できますよ・・・・)
市長は他にも言ったかもしれませんがメモを取れなかったのでもう覚えていません。後日(かなり月日が経ってから)市役所サイトに掲載されますので、それを確認してみて下さい。
要するに沢辺市長は「市役所が丸広東飯能店跡に移転する」ことは、
まったく「その気が無い」ことだけははっきり判りました。
続いて「市長への要望」として
「市役所移転の是非を問う住民アンケートを実施して欲しい」と延べましたがこれにはまったく答えてくれませんでした。
「無視した」のか、回答するのが「抜けた」のか判りません。後日文書で回答があるのかもしれません。もし、回答が届けられたら当Blogで報告します。
とりあえず『飯能いつどこ情報源』に設置した「住民アンケート」は続けていきますので、興味の有る人はぜひ投票してみて下さい。
〈丸広東飯能店の跡地・04〉(5/10)にも書きましたが、
「市役所が丸広東飯能店跡を全館一括賃借して移転する」だけで下記のような膨大なメリットが生じるのです。
1.耐震構造ではない現庁舎から耐震構造のビルに即座に移れる。
(移転しなければ職員は耐震性の弱いビルに放置されたまま・・・)
2.計画中の庁舎別館と新図書館の建設が不要になる。
(総計で10億円から15億円程度の支出を無くせるのに・・・)
3.日本初の「駅ビル新庁舎」だから飯能市は全国から注目される
(大型店が撤去した空きビルに市役所が移転するのも珍しい例)
4.現市役所敷地を売却することで飯能市に多額の現金収入になる
(それで負債を減らしてもいいし、新事業に活用してもいい・・・)
5.市役所跡に高層マンションが出現し人口が増えて活気が生じる。
(その新住民の新たな消費で市内の商店全体も潤うのに・・・)
上記1~5のメリットを目指して「市役所を移転しよう!」を決断するだけで
沢辺さんは「全国から注目される市長」になることは間違いありません。
それなのに、このような「夢のような可能性」を沢辺市長は「駅ビルは市役所としては使いにくい構造だから」「すぐには移れない」という理由だけで「実現への努力」を最初から放棄してしまうのでしょうか?
それは、あまりにも「欲が無い」というか、「意欲が無い」というか・・・・・色々な意味で「勿体ない」ことだと思います。
<追記>
Googleで 駅ビル庁舎 と検索してみて下さい。幾つ表示されるでしょうか?
当Blogの〈丸広東飯能店の跡地・03〉(4/28)の末尾で、「どなたか〈市長ほっとミーティング〉で質問してみませんか?」と書いたので、きょうは私自身も質問してみました。「質問」と「要望」でした。
市長への質問は
「市役所が移転したらどうかと言われていますが」と切り出して
「耐震構造の建物にすぐに移転できる、別館建設と新図書館建設が不要になる、市役所跡地にマンションが出来たら活性化する」
と簡潔に可能性を列挙したうえで
「市長自身のお考えをお聞かせ下さい」でした。
それに対する市長の回答は要約すると下記の2点でした。
その下の行の( )内は、それに対する私の(内なる声の)「突っ込み」です。
1・駅ビルは市役所としては使いづらい建物になっている
(いまの市役所よりは使いやすくて快適だと思いますが・・・・)
2・丸広はすぐに借りて欲しいが市役所だと何年も先のことになる
(普通の企業なら転居先を見つければ半年以内に移転できますよ・・・・)
市長は他にも言ったかもしれませんがメモを取れなかったのでもう覚えていません。後日(かなり月日が経ってから)市役所サイトに掲載されますので、それを確認してみて下さい。
要するに沢辺市長は「市役所が丸広東飯能店跡に移転する」ことは、
まったく「その気が無い」ことだけははっきり判りました。
続いて「市長への要望」として
「市役所移転の是非を問う住民アンケートを実施して欲しい」と延べましたがこれにはまったく答えてくれませんでした。
「無視した」のか、回答するのが「抜けた」のか判りません。後日文書で回答があるのかもしれません。もし、回答が届けられたら当Blogで報告します。
とりあえず『飯能いつどこ情報源』に設置した「住民アンケート」は続けていきますので、興味の有る人はぜひ投票してみて下さい。
〈丸広東飯能店の跡地・04〉(5/10)にも書きましたが、
「市役所が丸広東飯能店跡を全館一括賃借して移転する」だけで下記のような膨大なメリットが生じるのです。
1.耐震構造ではない現庁舎から耐震構造のビルに即座に移れる。
(移転しなければ職員は耐震性の弱いビルに放置されたまま・・・)
2.計画中の庁舎別館と新図書館の建設が不要になる。
(総計で10億円から15億円程度の支出を無くせるのに・・・)
3.日本初の「駅ビル新庁舎」だから飯能市は全国から注目される
(大型店が撤去した空きビルに市役所が移転するのも珍しい例)
4.現市役所敷地を売却することで飯能市に多額の現金収入になる
(それで負債を減らしてもいいし、新事業に活用してもいい・・・)
5.市役所跡に高層マンションが出現し人口が増えて活気が生じる。
(その新住民の新たな消費で市内の商店全体も潤うのに・・・)
上記1~5のメリットを目指して「市役所を移転しよう!」を決断するだけで
沢辺さんは「全国から注目される市長」になることは間違いありません。
それなのに、このような「夢のような可能性」を沢辺市長は「駅ビルは市役所としては使いにくい構造だから」「すぐには移れない」という理由だけで「実現への努力」を最初から放棄してしまうのでしょうか?
それは、あまりにも「欲が無い」というか、「意欲が無い」というか・・・・・色々な意味で「勿体ない」ことだと思います。
<追記>
Googleで 駅ビル庁舎 と検索してみて下さい。幾つ表示されるでしょうか?