2008-12-01 Mon
11/29の続きです。
「私の文化新聞への投稿やブログが、市長から名誉毀損で訴えられたら、私は喜んで受けて立ちますよ。むしろ、そうなってくれたほうが、市民の関心も高まりますから、私も望むところです」
この言い草を、私がZさんに罵倒された挙げ句の<開き直り>と言うのであれば、私の真意を確認しなかったとしても、第三者の表現としては必ずしも不適切ではありません。
当の私は、<開き直り>ではなく、<覚悟の表明>だと思って言っただけのことです。
すると、Zさんは意外な方向から、私を攻めてきました。
「市長のほうから裁判を起こさせて、騒ぎを大きくしてやろうという、アンタのその汚いやり方が、人間のクズだって言うんだよ!」
と言うのです。
確かに、世の中には、あえて、自分のほうから確信犯的に、著名な人を中傷し、先方から名誉毀損による裁判を起こさせて、そのことで、「自分への注目を集めてやろう」と企んだ人は過去にも大勢いました。
私も、来年が市長選の年でなければ、自分から告発していたかもしれません。
しかし、「次の市長選へも出馬するだろうと思われている現職市長」を
「NCCが東飯能駅ビルを売りに出してから以降の対応に関する市長の無策は、民間企業の社長であれば特別背任とか、特定企業への利益供与という罪に相当するのではないか?」
ということで告発することは、それが<選挙妨害>と見なされてしまう可能性も有るのです。
さらには、私の<現職市長告発>は、現在、市長選への立候補を噂されている人たち(噂では3人ほどいるそうですが)に、「あの人が陰で小久保を動かしてやらせていることだ」という疑いを向けさせることにもなりかねません。
もし、そんなことにでもなってしまったら、私はその人たちに多大な迷惑をかけてしまうことになります。
だから、私は現時点では、自分から現職市長を告発するのはひかえているのです。
そのことをZさんに説明したら、すかさず、
「だったら選挙が終わったら、アンタは本当に沢辺市長を告発するんだな!」
とさらに畳み込んできたのです。
Zさんは、人を口論でやり込めるのが、<好き>で<得意>なようです。
しかし、私だって、議論、討論、口論には自信が有りますし、実は、人一倍それが<好き>なほうです。
私が、いま、沢辺市長をあえて告発しない理由として、その場で、8つほど挙げてZさんに説明してやりました。
その<8つの理由>とはどのような理由でしょうか?
みなさんの中にも、現職の首長や議員を告発するようなことになった際の参考になるのではないかと思うので、その<8つの理由>もここに書くことにしますが、やや長文になるので明日にします。
「私の文化新聞への投稿やブログが、市長から名誉毀損で訴えられたら、私は喜んで受けて立ちますよ。むしろ、そうなってくれたほうが、市民の関心も高まりますから、私も望むところです」
この言い草を、私がZさんに罵倒された挙げ句の<開き直り>と言うのであれば、私の真意を確認しなかったとしても、第三者の表現としては必ずしも不適切ではありません。
当の私は、<開き直り>ではなく、<覚悟の表明>だと思って言っただけのことです。
すると、Zさんは意外な方向から、私を攻めてきました。
「市長のほうから裁判を起こさせて、騒ぎを大きくしてやろうという、アンタのその汚いやり方が、人間のクズだって言うんだよ!」
と言うのです。
確かに、世の中には、あえて、自分のほうから確信犯的に、著名な人を中傷し、先方から名誉毀損による裁判を起こさせて、そのことで、「自分への注目を集めてやろう」と企んだ人は過去にも大勢いました。
私も、来年が市長選の年でなければ、自分から告発していたかもしれません。
しかし、「次の市長選へも出馬するだろうと思われている現職市長」を
「NCCが東飯能駅ビルを売りに出してから以降の対応に関する市長の無策は、民間企業の社長であれば特別背任とか、特定企業への利益供与という罪に相当するのではないか?」
ということで告発することは、それが<選挙妨害>と見なされてしまう可能性も有るのです。
さらには、私の<現職市長告発>は、現在、市長選への立候補を噂されている人たち(噂では3人ほどいるそうですが)に、「あの人が陰で小久保を動かしてやらせていることだ」という疑いを向けさせることにもなりかねません。
もし、そんなことにでもなってしまったら、私はその人たちに多大な迷惑をかけてしまうことになります。
だから、私は現時点では、自分から現職市長を告発するのはひかえているのです。
そのことをZさんに説明したら、すかさず、
「だったら選挙が終わったら、アンタは本当に沢辺市長を告発するんだな!」
とさらに畳み込んできたのです。
Zさんは、人を口論でやり込めるのが、<好き>で<得意>なようです。
しかし、私だって、議論、討論、口論には自信が有りますし、実は、人一倍それが<好き>なほうです。
私が、いま、沢辺市長をあえて告発しない理由として、その場で、8つほど挙げてZさんに説明してやりました。
その<8つの理由>とはどのような理由でしょうか?
みなさんの中にも、現職の首長や議員を告発するようなことになった際の参考になるのではないかと思うので、その<8つの理由>もここに書くことにしますが、やや長文になるので明日にします。
2008-12-02 Tue
なぜ、私は、いますぐ、沢辺市長を告発しないのでしょうか?
その理由は下記の8つです。
1.沢辺さんは次の市長選には立候補しない(できない)のではないかと、
私自身が予想している。 (願望ではなく予想です)
私の予想では「どうせ後わずかの任期だからあえて告発することもない」
と思っているからです。
私の願望は「沢辺市長が、自分の人生の選択で、その判断を誤って3選を
目指して立候補してくれる」ことです。
なぜなら、現職市長が立候補すれば、対立候補は必ず<丸広問題>で
沢辺さんの<失策>を批判するからです。そのほうが選挙に対する関心が
確実に高まるからです。
2.たとえ、沢辺さんが、私の予想に反して、3選目指して立候補した
としても(対立候補が誰であっても)当選しないだろうと予想している。
(これも、願望ではなく予想です)
このケースのように、沢辺さんが立候補する可能性が皆無でない限り、
<選挙妨害>として私が告訴されてしまうので、自分から告発
することは、いまのところひかえているのです。
3.沢辺さんが立候補した場合、対立候補に、私が沢辺さんを告発する
<根拠>を、<現職候補者の追い落とし策>の一つとして、
教えてあげようと思っている。
(これは現時点では、まだ願望であって、計画ではありません)
もちろん、その対立候補者が、小久保を「嫌っている」とか、
「信用していない」ような場合も(多いに)有り得るので、その場合は、
別の人を介して採用させていこうと企んでいます。
4.万が一、沢辺さんが3選した場合は、その時こそ、堂堂と(揚々と)
告発しようと思っている。
当然、市長としての<公務>に関しての告発ですから、現職市長の強み
として、裁判費用は<公費>で賄えます。そこが、<私費>で裁判を
戦い続けなければならない私の辛いところです。
5.今回の<丸広問題>と<新図書館問題>の関連性については、時間の
経過に伴って、ますます、沢辺さんの<失策>を理解する人が、市民の
中で増えてくると確信している。
私が、当Blog「飯能どうする研究所」に、せっせと書き込んでいるのも、
そのための手段の一つなのです。後に続く新しいブログが出現するのを
待ち望んでいます。
6.市長選の前に予定されている市議選でも、<丸広問題>と
<新図書館問題>との関連性を、選挙の話題の一つにしてほしい。
だから、市議選で、私が沢辺さんを<告発する根拠>を取り上げようと
決心してくれる立候補予定者が現れるのをいまから楽しみにしています。
ところが、私が軽率にも、いま沢辺さんを告発してしまったら、市議選で
<丸広問題>を追求する候補者が少なくなってしまうのです。
(皆無にはならないでしょうが・・・・・・判りません)
7.告発するまでは、閉鎖した大型商業施設を自治体が<図書館>や
<保育園><市民交流拠点>等に転用した事例をもっとたくさん集めたい。
裁判になった場合、それが、告発の根拠の一つであり、私サイドの<証人>
や<参考人>を増やしていくための大事な情報源にもなります。
8.上記の事例に基づいて、<自治体の欺瞞><首長の怠慢>
<議会の存在価値の低下>などを特集する一般紙やテレビ報道番組の
出現を待っている。
私の知人の中にも、有力な雑誌への投稿や、単行本の出版を計画している
人もいるのです。 (もちろん、私のことではないですよ)
以上の<8つの理由>を、「現時点で私が沢辺市長を告発しない理由」として、Zさんに筋道立てて判りやすく述べたつもりなのですが、それをZさんが理解したか、いまも記憶してしているのかどうか・・・・・・私には判りません。
2008-12-03 Wed
人間というものは、どうしても
自分の能力や実績、貢献度などは<過大評価>してしまいます。
そのくせ、
他人の能力や実績、貢献度などは<過小評価>してしまうものです。
私はとくに、その傾向が強いようです。
そのうえさらに、私は典型的なB型です。
30年も前から、名刺には<生年月日>と<血液型>を明記しています。
その名刺が、初対面の人でも話題のキッカケ作りにはなるからです。
ちなみに、私と同じように「名刺に血液型」を明記している人には、いままで3人ほど会いましたが、驚いたことに、その3人ともB型でした。(やっぱり・・・・)
しかし、血液型を根拠のない迷信として否定している人は、
「血液型による性格や行動傾向の違い」を信じている人を軽蔑しています。
ところが、やっかいなことに、それを知っていながら、その人に対しても
血液型の話をしてしまうのがB型人間なのです。
B型人間のオメデタイところは
「自分が好きな人は、その人も自分を好いてくれている」とか
「自分が付き合いたいと思っている人は、その人も自分と付き合いたいと思っている」とか
「Aさんも、Bさんも、Cさんも、自分のことを評価してくれている」ということを、
単純に思い込んでしまうことでしょう。
「自分が好きなものは他の人も好きだろう・・」と思ってしまうのがB型なのです。
B型人間のあまりにも多い欠点の中に、
「自分は周囲の人から好かれている」という思い込みがあります。
(この人は血液型を否定しているけど私はこの人が好きだ!)
↓
(だから、この人も私のことが好きなんだ!)
↓
(だから、この人に血液型の話しをしてもいいんだ!)
という、実に幼稚な三段論法で行動してしまうのです。
なぜ、そのように思い込んでしまうのか、と言えば、
B型人間は「他人が自分を本当はどのようにみているのか?」ということに
かなり疎いのです。「疎い」というよりは「鈍い」のかもしれません。
そして、B型以外の人には信じられないと思いますが、
「周囲の人から好かれている自分」
「周囲の人から高く評価されている自分」
という貴重な自己イメージを守るためには、かなりの無理をするのがB型なのです。
私は、子供の頃から、社会人になっても、そして飯能に転入して来てからも、
この<自己本位な虚構のイメージ>を守るために、
「自分を抑えてきた」つもりなのです。
しかし、私の「自分は好かれている」という、これまでのオメデタイ自己イメージも、最近あった私への罵倒や侮蔑(このことについては別に書きます)で崩壊したようです。
そこで「どうせ嫌われているなら、もう、これからは、他人の評判なんか気にせずに好きなことをやろう!」と、最近、思い始めています。
このように、今までと正反対の行動傾向に走ってしまうのも、B型人間の特徴のようです。(たぶん)
ところが、いくら「これからは自分の信念のままに行動していきたい」と思ったからといって、そのことで、いままで小久保と関わってきてくれた人が
「小久保なんかと一緒にされては迷惑だ!」
ということにならないようにしなければなりません。
そのためにも、
私がいままで参加していた活動や所属していたグループから抜けることにしました。
(こんな極端な行動に走るのもB型人間の特徴のようです)
まず、最初に実行したのは、2001年5月から続けてきた<飯能五行歌会>を退会したことです。
(思い立ったら、すぐ行動してしまうところが私の軽率なところだと、子供の頃は両親や担任の先生から、いまは奥さんから言われています)
確かに、五行歌の面白さ、飯能五行歌会の毎月の楽しさから考えて、8年間も続けてきているのにも関わらず、飯能市在住の会員がほとんど増えないことが私には不思議でならなかったのです。
日本でも地域によっては、小中高校の授業で生徒に五行歌を作らせたり、その作品を幟端にプリントして商店街に飾り立てたりしているところ(近くでは高崎市の中心商店街)も有るのに、私が飯能五行歌会の会員でいる間は、この飯能でそのようなイベントが実現することは無いでしょう。
しかし、それも、その「飯能五行歌会の会員が増えない」原因が判ったのです。
「小久保さんがやっているから私も五行歌をやってみようか」
と思う人が一人もいないとは思いたくありませんが、
「小久保がいるから一緒に五行歌はやりたくない」
という人が多かったからなのです。
私の退会は、先日(11/27)、飯能五行歌会代表の菊江さんに電話で伝えました。
私が抜けることで、「市内在住で五行歌を始める人が徐々に増えてくる」ようになれば、こんな嬉しいことはありません。
もちろん、私自身は「五行歌」そのものを止めるつもりはありませんので、インターネットでの作品投稿や、余所の地域で開催されている五行歌会の歌会に出席することは、いままで以上にやっていこうと思っています。
そこで、200人ほどの人が作品を投稿している「誰でも五行歌・挨拶通り」という掲示板に、その「退会の弁」を五行歌にして投稿してみました。
すぐに、面識の有る五行歌会員からのコメントが次々に書き込まれました。それに対するコメントにも、「私が飯能五行歌会を抜けた心境」が現れています。
その<私が投稿した五行歌とそれに対するコメント>に興味の有る方はそこにアクセスしてみて下さい。もちろん、いまでも、まだ誰でも自由にコメントを書き込めます。
五行歌創始者の草壁焔太(五行歌の会代表)先生もコメントを書き込んでいてくれています。
ちなみに、この掲示板は、最初は私が開設したのですが、多忙のために3年ほど前からは、私の奥さんが「きなこ」というペンネームで引き継いで、いままで以上に活発な五行歌作品投稿掲示板になっています。
2008-12-04 Thu
今回もかなりの長文(3854字)ですが、内容的に分割したくないので一挙に掲載しました。
<飯能五行歌会>に続いて、いま私が抜けようと思案しているのは、
2000年10月から毎月開催してきた<有望若手応援寄席>です。
この<有望若手応援寄席>も、実は、始めた当初は
「最初から来場者が多くてすぐ黒字」になり、
「やがては落語家さんの出演料も2倍、3倍」にするのも可能で、
「真打昇進のときは市内の呉服屋さんで高級な羽織袴を買って贈る」
くらいのことは簡単にできると思っていたのです。
ところが、「毎回黒字になる」ようになったのは、来場者が100人を越えるようになった僅か1年前からなのです。おかげで、最大50万円まで私一人で抱え込んでいた累積赤字も解消することができたのです。いまは毎回黒字です。
と言っても、半年先まで有効の回数券の販売代金は<売り上げ>ではくなく、<預かり金>もしくは<前受金>として処理しなければならないので、正確な金額の把握ではありません。
さらには、8年間に渡って大量に印刷し配布してきたチラシやポスターの紙代、プリンターのトナー代金などの消耗品は、領収書を残してありますが、いっさい経費には入れてこなかったので、「黒字」といっても、かなり粉飾したような数字なのです。
<有望若手応援寄席>に何度も来てくれている方は信じられないでしょうが、
実は落語家さんに渡している出演料は8年前から同じ金額なのです。
今年になってやっと「ほんの少額」増やしただけなのです。
でも、<菊之丞・三三・柳朝・兼好の勢揃い>特別興行(2009年4月4日)以降の第101回からは、さらに出演料を増やしてあげることが出来そうです。
しかし、問題は<来場者の増え方>です。
本来であれば、常連出演者4人の実力、都内から追っかけが何人も来るという人気、落語界での彼らに対する大きな期待度から考えれば、毎回一丁目倶楽部が<満員御礼>になってもおかしくはないのです。
しかし、予想していたほど来場者が増えない原因は、やはり五行歌会と同じように<小久保の存在>に原因が有るのでないかと考えることも有ったのです。
「小久保がやっている落語会だから行きたくない!」
「それでも試しに行ってみたがアイツの長い挨拶にはウンザリした!」
と思われる方もいたかもしれません。(たぶん、いたでしょう・・・・・)
実は、先日、世話人の二人からハッキリ言われてしまいました。
11/24の第96回(菊之丞独演会第22回)でのことでした。
、
市内では共産党系のグループと認識されている人たちが主催する
<平和演芸のつどい>(素人2人の落語を聴く会・12/6・同じ一丁目倶楽部)のチラシを私が独断で、他からも頼まれていた落語会のチラシと一緒に配布し、さらには、その主催者のSさんが舞台前でPRする時間を与えたことを、後になって問題視されたのです。
もちろん、私は、そのSさんが共産党系の人だということは知っていましたし、
その<素人落語会>を彼らがPRの場として位置づけていることも、もちろん最初から判っていました。
それでも、「地域のイベント主催者間で相互にPRを協力し合う」ことは、
地域でイベントを主催する者にとっては何よりも重要なことなのです。
そのことを「地域活動を活発にする上ではとても大切なことだ」と本心から思ってきた私としては、Sさんからでも、他の誰からであっても
「お宅の落語会の会場でウチのイベントのチラシを配らせてくれませんか?」
と頼まれれば断りません。
「断れない」のではなく、「断るべきではない」と私は決めているのです。
なぜなら、私だって、共産党系の人たちが主催したり、実行委員会に加わって開催された飯能市民会館での各種イベント(演奏会・演劇・講演会・映画会など)の時には、<有望若手応援寄席>のチラシを配布させてもらってきたのです。そこにSさんはいつもいたのです。
ところが、私の独断で<有望若手応援寄席>の会場で、そのSさんにPRさせたことによって、
「有望若手応援寄席の世話人全体が、Sさんたちのグループに近い存在だと来場者に思われるのが嫌だ」という人もいるというのです。
私は、「もうこれからは、他人の評判なんか気にせずに,自分がやるべきコトを信念に基づいて、自分のやりたい方法でやり続けよう!」と決めたのです。
ましてや、これから私は、市長や市議全員、市役所幹部、商工会議所幹部などへ、本質的な批判を本音で臆せず怯まず貫こうと思っているのです。
そうなれば、SさんにPRの機会を与えた程度のことで、
「自分は小久保さんのような人とは一緒にされたくない」
というように考える人であれば、おそらく確実にいままで以上に
「小久保の存在は<有望若手応援寄席>を続けるうえには迷惑だ」
と思うことでしょう。
事実、その世話人さんからは
「もうアンタとは一緒にやってられないから、ここで縁を切りたい!」
と何度も言われたのです。
どうやら、私のとるべき道は、<有望若手応援寄席>の世話人からは抜ける、という選択肢しか無いようなのです。
「自分が始めた落語会じゃないか・・・・」
「せっかく大赤字を脱し黒字が出るようになったのに・・・」
という未練はやはり残ります。
先日、当ブログに書いたように、人間というものは、どうしても
自分の能力や実績、貢献度などは<過大評価>してしまい、逆に、
他人の能力や実績、貢献度などは<過小評価>してしまうものです。
私はとくに、その傾向が強いようです。
だから、ここで私ら夫婦が世話人から抜けたら、
「誰が将来性の有る落語家さんを選んで出演交渉するのか?」
「誰がチラシやポスターを作って大量に印刷するのか?」
「誰が、そのチラシを周辺各地の落語会に出かけて配布するのか?」
「誰が面倒くさい会計と事務処理をするのか?」
「誰が、HPを運営して予約メールを管理するのか?」
「残った世話人だけで、それを毎月確実に続けられるのか?」
という、かなり自慢(傲慢?)めいた心配が残るのです。
選択肢としては、「小久保とはもう一緒にやってはいけない!」というのなら、
その人のほうが抜けて、私が世話人を続けるというのも有るでしょう。
しかし、この選択は、その世話人が望まなければ、その後はいわゆる泥沼の
<愚かな内輪揉め>になってしまいます。
いままで、私は、自分の知っている人たちが起こしてきた数々の<内紛劇>や
<内輪揉め><分裂騒動><非難中傷合戦>などを「なんて愚かな人たちなんだ」と冷ややかに眺めてきた人間なのです。(実は、宗教組織、働いていた業界、専門家組織、そして、この飯能でもたくさん見聞してきたのです)
その私が<内輪揉め>を起こしてしまうことは、私にとっては極めて恥ずかしく情けない事態です。
もちろん、
「世話人や関係者が一堂に集まって話し合い、その後は一切を水に流して従来通りに落語会を続ける」という選択肢も有るでしょう。
しかし、私は自分の信念に基づく行動を、今後も落語会のことで制約されたくはないのです。
<内輪揉め>を一挙に解消する最も簡単な方法は、「どちらかが去る」ことです。
そこで私は、飯能五行歌会退会とは比較にならないくらい未練が残るのですが、<有望若手応援寄席>の世話人から抜けることにしました。
私が、<有望若手応援寄席>を今日まで96回も欠かさず続けて来られたのは「地域のみなさんのため」とか「落語の普及」ということではなく、ただ単に落語という演芸ジャンルが好きだったからです。<地域寄席>という活動が面白かったからです。だから地域寄席研究所というブログはこれからも続けていきます。
会場で聴いているだけのお客さんでいるよりは、地域寄席の主催者になって好きな噺家さんと親しくなれたことが単純に嬉しかったから続いただけなのです。
ささやかでも地域の人たちのためになっているのだとしたら、それは単に結果的にそうなっただけのことなのです。
「小久保がいなくなるなら有望若手応援寄席の世話人になってもいい」
という方には、ぜひ、この機会に私に替わって世話人に加わって下さることをお願いします。
これからは黒字が続くことは確実です。だから初期の世話人のように
<赤字負担のリスク>を心配することは全くありません。
なぜなら、<有望若手応援寄席>に出演してくれている4人の噺家は、それだけの集客力が有り、誰が世話人になっても、落語会が大盛況を続けるのは確実だからです。
もしかしたら、今回のコトをきっかけに、
私を含めていままでの世話人全員がいったん退き、まったく新しい人たちが世話人になって<有望若手応援寄席>を続けていく、という選択肢も検討に値するのかもしれません。
そうすると、今の世話人にとって替わる新しい世話人グループとして最も相応しいのは、常設会場にしている一丁目倶楽部の所有者である<一丁目自治会>の役員さん達ではないでしょうか?
落語会を<自治会の収益事業>として発展させていくのは、とても画期的なことだと思います。
なぜなら、あの一丁目倶楽部という会館は、地域寄席の会場としては、極めて理想的で、毎月1回といわず、毎週1回くらいのペースで多様な落語会をやるようになれば、必ず、飯能を代表する<新しい名所>として近隣に知られるようになる、と私は確信しているからです。
そうなれば、少なくとも関東中からお客が集まってくるようになることさえも、もはや夢ではないのです。(いまも、群馬や、茨城、千葉、横浜などから何度も来ているファンが何人もいるのです)
落語会の後の打ち上げで、将来性の有る噺家さんとじっくり呑むのは、どんな熱烈なファンでも実現できない、世話人だけの<特権>ですので、ぜひ、それを体験してみて下さい。彼らが超人気者になったときはそのことを周囲の人たちに自慢できるのです。
<飯能五行歌会>に続いて、いま私が抜けようと思案しているのは、
2000年10月から毎月開催してきた<有望若手応援寄席>です。
この<有望若手応援寄席>も、実は、始めた当初は
「最初から来場者が多くてすぐ黒字」になり、
「やがては落語家さんの出演料も2倍、3倍」にするのも可能で、
「真打昇進のときは市内の呉服屋さんで高級な羽織袴を買って贈る」
くらいのことは簡単にできると思っていたのです。
ところが、「毎回黒字になる」ようになったのは、来場者が100人を越えるようになった僅か1年前からなのです。おかげで、最大50万円まで私一人で抱え込んでいた累積赤字も解消することができたのです。いまは毎回黒字です。
と言っても、半年先まで有効の回数券の販売代金は<売り上げ>ではくなく、<預かり金>もしくは<前受金>として処理しなければならないので、正確な金額の把握ではありません。
さらには、8年間に渡って大量に印刷し配布してきたチラシやポスターの紙代、プリンターのトナー代金などの消耗品は、領収書を残してありますが、いっさい経費には入れてこなかったので、「黒字」といっても、かなり粉飾したような数字なのです。
<有望若手応援寄席>に何度も来てくれている方は信じられないでしょうが、
実は落語家さんに渡している出演料は8年前から同じ金額なのです。
今年になってやっと「ほんの少額」増やしただけなのです。
でも、<菊之丞・三三・柳朝・兼好の勢揃い>特別興行(2009年4月4日)以降の第101回からは、さらに出演料を増やしてあげることが出来そうです。
しかし、問題は<来場者の増え方>です。
本来であれば、常連出演者4人の実力、都内から追っかけが何人も来るという人気、落語界での彼らに対する大きな期待度から考えれば、毎回一丁目倶楽部が<満員御礼>になってもおかしくはないのです。
しかし、予想していたほど来場者が増えない原因は、やはり五行歌会と同じように<小久保の存在>に原因が有るのでないかと考えることも有ったのです。
「小久保がやっている落語会だから行きたくない!」
「それでも試しに行ってみたがアイツの長い挨拶にはウンザリした!」
と思われる方もいたかもしれません。(たぶん、いたでしょう・・・・・)
実は、先日、世話人の二人からハッキリ言われてしまいました。
11/24の第96回(菊之丞独演会第22回)でのことでした。
、
市内では共産党系のグループと認識されている人たちが主催する
<平和演芸のつどい>(素人2人の落語を聴く会・12/6・同じ一丁目倶楽部)のチラシを私が独断で、他からも頼まれていた落語会のチラシと一緒に配布し、さらには、その主催者のSさんが舞台前でPRする時間を与えたことを、後になって問題視されたのです。
もちろん、私は、そのSさんが共産党系の人だということは知っていましたし、
その<素人落語会>を彼らがPRの場として位置づけていることも、もちろん最初から判っていました。
それでも、「地域のイベント主催者間で相互にPRを協力し合う」ことは、
地域でイベントを主催する者にとっては何よりも重要なことなのです。
そのことを「地域活動を活発にする上ではとても大切なことだ」と本心から思ってきた私としては、Sさんからでも、他の誰からであっても
「お宅の落語会の会場でウチのイベントのチラシを配らせてくれませんか?」
と頼まれれば断りません。
「断れない」のではなく、「断るべきではない」と私は決めているのです。
なぜなら、私だって、共産党系の人たちが主催したり、実行委員会に加わって開催された飯能市民会館での各種イベント(演奏会・演劇・講演会・映画会など)の時には、<有望若手応援寄席>のチラシを配布させてもらってきたのです。そこにSさんはいつもいたのです。
ところが、私の独断で<有望若手応援寄席>の会場で、そのSさんにPRさせたことによって、
「有望若手応援寄席の世話人全体が、Sさんたちのグループに近い存在だと来場者に思われるのが嫌だ」という人もいるというのです。
私は、「もうこれからは、他人の評判なんか気にせずに,自分がやるべきコトを信念に基づいて、自分のやりたい方法でやり続けよう!」と決めたのです。
ましてや、これから私は、市長や市議全員、市役所幹部、商工会議所幹部などへ、本質的な批判を本音で臆せず怯まず貫こうと思っているのです。
そうなれば、SさんにPRの機会を与えた程度のことで、
「自分は小久保さんのような人とは一緒にされたくない」
というように考える人であれば、おそらく確実にいままで以上に
「小久保の存在は<有望若手応援寄席>を続けるうえには迷惑だ」
と思うことでしょう。
事実、その世話人さんからは
「もうアンタとは一緒にやってられないから、ここで縁を切りたい!」
と何度も言われたのです。
どうやら、私のとるべき道は、<有望若手応援寄席>の世話人からは抜ける、という選択肢しか無いようなのです。
「自分が始めた落語会じゃないか・・・・」
「せっかく大赤字を脱し黒字が出るようになったのに・・・」
という未練はやはり残ります。
先日、当ブログに書いたように、人間というものは、どうしても
自分の能力や実績、貢献度などは<過大評価>してしまい、逆に、
他人の能力や実績、貢献度などは<過小評価>してしまうものです。
私はとくに、その傾向が強いようです。
だから、ここで私ら夫婦が世話人から抜けたら、
「誰が将来性の有る落語家さんを選んで出演交渉するのか?」
「誰がチラシやポスターを作って大量に印刷するのか?」
「誰が、そのチラシを周辺各地の落語会に出かけて配布するのか?」
「誰が面倒くさい会計と事務処理をするのか?」
「誰が、HPを運営して予約メールを管理するのか?」
「残った世話人だけで、それを毎月確実に続けられるのか?」
という、かなり自慢(傲慢?)めいた心配が残るのです。
選択肢としては、「小久保とはもう一緒にやってはいけない!」というのなら、
その人のほうが抜けて、私が世話人を続けるというのも有るでしょう。
しかし、この選択は、その世話人が望まなければ、その後はいわゆる泥沼の
<愚かな内輪揉め>になってしまいます。
いままで、私は、自分の知っている人たちが起こしてきた数々の<内紛劇>や
<内輪揉め><分裂騒動><非難中傷合戦>などを「なんて愚かな人たちなんだ」と冷ややかに眺めてきた人間なのです。(実は、宗教組織、働いていた業界、専門家組織、そして、この飯能でもたくさん見聞してきたのです)
その私が<内輪揉め>を起こしてしまうことは、私にとっては極めて恥ずかしく情けない事態です。
もちろん、
「世話人や関係者が一堂に集まって話し合い、その後は一切を水に流して従来通りに落語会を続ける」という選択肢も有るでしょう。
しかし、私は自分の信念に基づく行動を、今後も落語会のことで制約されたくはないのです。
<内輪揉め>を一挙に解消する最も簡単な方法は、「どちらかが去る」ことです。
そこで私は、飯能五行歌会退会とは比較にならないくらい未練が残るのですが、<有望若手応援寄席>の世話人から抜けることにしました。
私が、<有望若手応援寄席>を今日まで96回も欠かさず続けて来られたのは「地域のみなさんのため」とか「落語の普及」ということではなく、ただ単に落語という演芸ジャンルが好きだったからです。<地域寄席>という活動が面白かったからです。だから地域寄席研究所というブログはこれからも続けていきます。
会場で聴いているだけのお客さんでいるよりは、地域寄席の主催者になって好きな噺家さんと親しくなれたことが単純に嬉しかったから続いただけなのです。
ささやかでも地域の人たちのためになっているのだとしたら、それは単に結果的にそうなっただけのことなのです。
「小久保がいなくなるなら有望若手応援寄席の世話人になってもいい」
という方には、ぜひ、この機会に私に替わって世話人に加わって下さることをお願いします。
これからは黒字が続くことは確実です。だから初期の世話人のように
<赤字負担のリスク>を心配することは全くありません。
なぜなら、<有望若手応援寄席>に出演してくれている4人の噺家は、それだけの集客力が有り、誰が世話人になっても、落語会が大盛況を続けるのは確実だからです。
もしかしたら、今回のコトをきっかけに、
私を含めていままでの世話人全員がいったん退き、まったく新しい人たちが世話人になって<有望若手応援寄席>を続けていく、という選択肢も検討に値するのかもしれません。
そうすると、今の世話人にとって替わる新しい世話人グループとして最も相応しいのは、常設会場にしている一丁目倶楽部の所有者である<一丁目自治会>の役員さん達ではないでしょうか?
落語会を<自治会の収益事業>として発展させていくのは、とても画期的なことだと思います。
なぜなら、あの一丁目倶楽部という会館は、地域寄席の会場としては、極めて理想的で、毎月1回といわず、毎週1回くらいのペースで多様な落語会をやるようになれば、必ず、飯能を代表する<新しい名所>として近隣に知られるようになる、と私は確信しているからです。
そうなれば、少なくとも関東中からお客が集まってくるようになることさえも、もはや夢ではないのです。(いまも、群馬や、茨城、千葉、横浜などから何度も来ているファンが何人もいるのです)
落語会の後の打ち上げで、将来性の有る噺家さんとじっくり呑むのは、どんな熱烈なファンでも実現できない、世話人だけの<特権>ですので、ぜひ、それを体験してみて下さい。彼らが超人気者になったときはそのことを周囲の人たちに自慢できるのです。
2008-12-18 Thu
私は地域寄席研究所というブログにも月に5~7日くらいは書き込んでいます。
そのブログに、先日(12/02)<私の妄想>というカテゴリーその1で
「都内で話芸演芸専門の常設小屋を経営したい」と書いてみました。
ところが、最近、有望若手応援寄席で毎月使用している一丁目倶楽部こそ
「常設の演芸場として使おうと思えば簡単に可能なのじゃないか・・・」
と思うようになったのです。
この一丁目倶楽部という自治会館は、1階部分だけでも、和室大小2部屋、会議室1部屋、大きな厨房、ロビー、和室の管理人室があり、それだけでも町内会の集会場として充分な大きさだと思います。
そうであれば、大広間のある二階だけを、演芸専門の常設小屋に転換しても、通常の自治会活動には支障ないのではないでしょうか。
今の二階部分は、何の改装工事もせずに、現状のままで、演芸場に転換できるのです。
名称は<飯能駅裏演芸場>なンてのは、どうでしょうか?
「大正昭和の時代に大盛況だった街の演芸場が埼玉県に復活!」とか、
「落語、講談、漫才、邦楽、奇術など舞台演芸の常設小屋が飯能に!」とか
「町内の集会場を転用、自治会の大きな収入源に!」
「市外県外からも常連客が徐々に増加、飯能の新名所に!」
というような新聞の見出しが、もう私の頭の中に浮かんでくるようです。
現在、飯能市内ではギャラリーやイベント専門の文化施設として、大通り商店街にある<絹甚>が計画されていますが、この会場の難点は「狭い」ことです。
私は、この<絹甚>でも落語会を主催したいと思っているので、改修後の絹甚の中には何度も入って、
「高座をどこに設営するか?」
「楽屋をどこにするか?」
「床には座布団が何枚敷けるか?」とか
「土間に何人分の椅子を置けるか?」
などを想像して数えてみたことがあります。
上限は70人だと思います。
もちろん、飯能市や教育委員会、商工会議所、青年会議所、商店街組合等の公的組織が主催するような「採算を考えないで企画できる落語会」ならば、まことに情緒的には最高!の会場です。しかし、赤字を出しては続けられなくなる、私たちのような一般市民の主催では、あまり魅力的な会場とは言えません。
その点、一丁目倶楽部は、<有望若手応援寄席>での体験から、
最大200人までは大丈夫です。
仮に入場料2000円の落語会なら売り上げは最大値で40万円は可能なのです。
そうなれば、有望若手応援寄席のように「出演者1人だけの本当の独演会」だけでなく、人気の落語家の二人会や三人会でも赤字にならずに済みそうです。
何しろ、一丁目倶楽部は、飯能駅から近い(ホームから見える)し、消防署の隣の神社だから、知らない人に口頭や電話でも場所を教えやすいのです。
いま、「常設の演芸場が飯能に誕生した」ということになれば、メディアで好意的に、しかも、継続的に取り上げられるのは確実ですから、そのことだけでも飯能は注目されるようになるでしょう。
もちろん、経営の主体は一丁目自治会です。
収入源は「自主興行」による収益です。
都内の寄席のように1年365日の営業は無理でしょうが、それでも月に4、5回なら興行の運営もそれほど難しくはないでしょう。私も喜んで運営のお手伝いをさせてもらいます。
それで席亭(寄席や演芸場の経営者)の気分が味わえるのであれば、こんな幸せなことは有りません。
自主興行で使わない時は、現在のように「貸し会場」にもできるのです。
演芸場専用仕様にすることによって、貸出料をいまよりも高く設定できます。
<飯能駅裏演芸場>(仮称)を実現するには、目立つ看板の制作費と、PRチラシなどの宣伝費だけで可能なのです。
内装にはまったくお金を掛けずに、常設の演芸場に転換できるのですから、一丁目自治会の理事会で一度検討してみてはどうでしょうか?
演芸場で儲かったお金で二階の収容人数を増やす設備を導入して・・・
そうすればさらに儲かって、そのお金でお祭りの山車を新調して・・・・
それで不用になった旧い山車を市内の他の自治会に譲れば更に儲かる・・・・・
そうなれば飯能まつりに参加する山車も増えることになるし・・・
ここでも私の<妄想>は果てしなく広がってしまいます・・・・
2008-12-27 Sat
先日13日、初めての「日中韓サミット」が福岡県太宰府市の九州国立博物館で開催されました。
日本の麻生首相、中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領の三首脳は、このサミットを定例化し、来年は中国、再来年は韓国で開催することで合意したと報じられました。持ち回り開催ですから、
一巡する4回目の2011年の開催地は日本ということになります。
そこで、市長、市役所、市議会、商工会議所、市民のみなさん全体への提案ですが、その「第4回日中韓サミット」の開催地として、飯能市と日高市の合同で立候補するというのはどうでしょうか?
開催日は飯能まつりの日。
首脳会議の場所は高麗神社。
宿泊するのであれば飯能プリンスホテルがあります。
中国、韓国の首脳が搭乗する特別機の離発着に横田基地が使用されることになれば、さらに注目と期待が高まるでしょう。横田基地の使用を在日米軍に断られたとしても入間基地が近いのです。
飯能・日高が開催地に選ばれるために最も効果的な行動は「どの地域よりも早く真っ先に立候補を表明してしまう」ことです。
その上で、日中韓三国に共通する文化に関するシンポジウムや、書道・絵画・彫刻・工芸などの三ヶ国合同作品展を長期間何度も開催して誘致運動の後押しになってもらうのです。さらには映画祭、演劇祭、舞踊祭、伝統楽器の演奏会等を開催するのも面白いでしょう。
地域を活性化する[地元起こし]には、
いままでにない新しい事業に取り組む[事業起こし]が不可欠です。
それには、まず私たち一人一人が自分の可能性を掘り起こす[自分起こし]から始めたいのです。
いまは「日中韓サミット開催地を飯能日高に誘致できるか?できないか?」を論じてもそれは無意味です。
必要なのは「開催地を誘致するには何をどうすればいいか?」という智恵を大勢で出し合い、最も効果的な順番で取り組んでいくことではないでしょうか。
現時点で考えることは、とりあえず次の7点でしょう。
1.サミット飯能日高誘致宣言文の作成
2.第4回サミット向けのネーミングとキャッチフレーズの公募
3.サミット当日のイベントプラン集の作成
4.開催地指名を確実にするための戦略戦術の策定
5.開催地決定から当日までの興味をつなぐイベント企画
6.飯能日高在住在勤の中国人・韓国人への協力要請
7.公式準備委員会結成までの日程の検討。
そこで試しに、とりあえず【飯能三起塾】という名称で第1回目の勉強会を開催してみることにしました。興味の有る方の参加をお待ちしています。
第1回 「日中韓サミット飯能誘致を実現させる方法を考えよう!」
テーマ1 地域活性化・本当の失敗要因・本当の成功要因
(地域活性化が「掛け声」だけで少しも進展しない理由)
テーマ2 「事業起こし」も「地元起こし」も手段の一つでしかない。
本当の目的は「自分起こし」であり「人生の充実」
テーマ3 日中韓サミット飯能誘致を実現する方法とプロセス
実現させるための「10の実験・100の方法」
「自分の好きなコト」「自分の商売にプラスになる」ことを優先する
講師:飯能どうする研究所 小久保 達
日時:2009年1月17日(土)18:00~21:00
会場: 喫茶マハロ (飯能市双柳・市役所の近く)電話973・5086
Google地図
定員: 10人 (日中韓サミット飯能誘致に賛同する人に限定させて頂きます)
受講料:1000円(資料代含む・飲食費は別途) 講義中の飲食は自由です。
申込:小久保 達 ks@kokubo-satoshi.com か 090-7715-4293
前日(1/16)までの事前予約をお願いします。
受講生1人でも開講します。
2008-12-31 Wed
当ブログのタイトルロゴには「どうする」という大きな文字の下に
「こうする」という小さな文字を併記してあります。
「どうする?」と「こうする!」を併記したのは
「飯能のこれからをどうするのか?」という問題提起だけではなく
その問題を解決するための方法を「こうするのはどうか?」というように
具体的に提示していくブログであることを表したいからなのです。
しかし、ブログの宿命である「日付順に書いていく」というスタイルは
次々に発生する問題点の指摘や、提起には適しているのですが、
「構想」や「提案」「アイデア」などを体系的に書いていくのには、
あまり適していません。
それは、ブログを読む人にとっても、「体系的」「羅列的」「網羅的」に読んでいくことにも適していないようなのです。
そこで、Blog「飯能どうする研究所」とは別に、
<飯能こうする構想集>という小冊子を作っていくことにしました。
その小冊子に「飯能が目指すべき方向」を<10の理想>というスタイルに区分して整理しながら、判りやすい「一覧表」や、理解しやすい「図表」などにまとめていくことにしました。
<理想>を実現するためには
「必要な課題にはすべて挑戦していく」ことが不可欠です。
それを
Aという理想を実現するための必要な<10の挑戦>というスタイルで
まとめていきます。
ブログでは「このようなスタイルでしか書けない」のです。
(2006年12月に書き込んだ8件)
つまり<10の理想>を実現するために必要な<100の挑戦>を
<飯能こうする構想集>として提示していきます。
そして、
<挑戦>を成功させるためには、
「やってみなければ判らないことは全て実験してみる」ことが重要なのです。
それを、
Aという挑戦を成功させるために必要な<10の実験>というスタイルで
まとめていきます。
つまり
これからの飯能が目指すべき<10の理想>と
それらの理想を実現するために必要な<100の挑戦>と
それらの挑戦を成功させるために重要な<1000の実験>を
一目でわかるスタイルでまとめていくことにします。
A4サイズのシート1枚に「1つの実験」をわかりやすくまとめておけば、<1000の実験>ということは、1000枚のシートになるわけです。
頁数でいえば「500頁」になります。そうなると「小」冊子ではなくなるかもしれません。
