頭部貫通銃創
と記された
戦死公報
いまイラクで同じ
死があった |
2003/12/14
|
|
産経新聞社の
イラク便り
印税は寄贈予定と
外務大臣が書いているが
以下に使われるのか |
2004/02/02
|
|
派遣自衛隊員の
笑顔は何?
出征する父は
あの時
真剣だった |
2004/02/01
|
|
それが最後の
別れだったが
あの真剣さは
私の人生を
支えた |
2004/02/03
|
|
高知県は
3区とも保守
新聞よ
他の政党の
票数の重みも |
2003/11/10
|
|
前市長は自民県連
社民推薦
現知事は
草の根
推薦 |
2003/11/12
|
|
病から
生還し
母となる
血液癌の
人麗しく |
2003/11/14
|
|
平和はいのちから
昨年は坊主でかつら
お琴の舞台に立ちました
今年は母娘で
かぐや姫演奏 |
2003/11/14
|
|
みんなの炎
みんなで囲む
灯を絶やさない
みんなの力は
みんなの心から |
2003/11/05
|
|
変われるはず
みんなが自分の
利益だけに
走らなければ
みんなの力の結集 |
2003/11/05
|
|
豊かさは
平和のバロメーター
みんなの力で
1×2=3
いつの日か |
2003/11/05
|
|
みんなが
その気に
ならないと
世界の平和は
絶対にこない |
2003/11/08
|
|
波間に立つ
黒い影
サーフィンの
しぶきとの
コントラスト |
2003/11/02
|
|
人間はいつも
神に裁かれて
いるのでしょうか
時に?弁護士と?検事に
翻弄させられるときもありますね |
2003/11/02
|
|
昨夜観たダンスで
「マザー」の最後に
母性をこぼして行くと
表現していた
心音をバックに |
2003/11/03
|
|
五行歌で
生きる喜び
感じて
もらいたい
今は子供がさびしすぎるから |
2003/11/04
|
|
四万十川では
カワニナが
肉眼で見えました
人の心と自然は
心かけねば消えますね |
2003/11/01
|
|
織物作家
前田徳四郎
障害にもめでない
平和はここから
みんなで守ろう |
2003/11/01
|
|
なにごとも
新しいことに
頑張って
明日を
待ちましょう |
2003/11/01
|
|
全国に発信
します
高知県から
山と木と人
和合 |
2003/11/01
|
|
投票は
決心がつきました
あの人
あの
政党です
|
2003/10/31
|
|
ささやかな私の歌に
目の輝く老人が二人
本誌でほめられる歌で
ないかもしれない
こんな歌を詠み続けたい
|
2003/10/31
|
|
ツワブキの花が
すっくと伸びた
強く
雑草も
地を這うように根を張った
|
2003/10/31
|
|
平和は環境から
戦争は人の命と
地球を滅ばす
こんなに美しい自然
守りたい
|
2003/10/31
|
|
女性解放運動いまでこそ
大切
介護保険は息子には使わせない
妻が見るべき
介護者守れる政治はいる
|
2003/10/23
|
|
89歳老夫婦
隣の独居65歳の
福祉弁当を
分けて欲しいと
泣いていた
|
2003/10/23
|
|
|
|
いろいろの体験の中で
小さな信頼は残したいから
そして
掲示板が美しいものであって
欲しいから
|
2003/10/30
|
|
生きる力とは
自ら考え
自ら行動する
踏ん張れる力
そして感謝
|
2003/10/30
|
|
|
|
目覚める女は多い
そこで女が足を引っ張る
それをを待っている男もいる
それに勝つ人のみ
女は生き残る
|
2003/10/13
|
|
「お世話になっています」
と電話に出てくれる
保健施設
世の中みんながそんなになれば
|
2003/10/15
|
|
戦死というものは
寿命ではない
人は神が下さった
すべては
生きるべきです
|
2003/10/16
|
|
脊椎後縦靭帯骨化症
大工を捨ててで
織物師
自分のありったけを
頑張っていました
|
2003/10/22
|
|
|
|
母島と弘瀬
たった二つの
部落が
かつて愛媛県と高知県だっただけで
歩いて4キロ吹きさらし
|
2003/10/08
|
|
山本一力氏の書き下ろし
父子杉の朗読会
森 それは
命の源
川を満たし人を潤す と
|
2003/10/08
|
|
心の泉は
永遠に
滅びません
みんなが
持ち続けなければ
|
2003/10/10
|
|
高知県は
3年任期を残して
市長が辞めて
現職知事と
一騎打ちです
|
2003/10/11
|
|
生き物
みんな
その存在
いい環境の中で
ありのままの姿でいさせてあげたい
|
2003/10/05
|
|
大人が
悪いことを
する
子供はだれを見て
成長するの
|
2003/10/05
|
|
雲を見て
雨に潤い
贅沢させたもらって
世界のみんなに
これぐらいの贅沢はあっていい
|
2003/10/06
|
|
なぜ人気
騒ぐ女たちがおかしい
高知に見えても女ばかり
私も皇后は見に行ったのですが
皇族を変えた女として尊敬しているので
|
2003/10/07
|
|
元錬兵場の虫音は
出征兵士の別れの涙
家族の声
父にも終焉の地
主計大尉として
|
2003/10/04
|
|
ネイチブ アメリカ
そんなことから
平和は
始まるの
かな
|
2003/10/04
|
|
働いている
男に言われません(いうものではありません)
月番もさせて
もらえない独身男世帯(本人はするというのに)
働いている女は?
|
2003/10/05
|
|
作品製作のために
雲を観察する
変化が面白いが
戦地で見ている
子供にはどんなに見えるのでしょうか
|
2003/10/05
|
|
平和に育つべく
生まれて
戦争があったり
恐怖があったり
せめて愛だけは
|
2003/09/30
|
|
カロリーの
取りすぎ心配するなら
飢えの子供に
みんな平等
守れたらいいのに
|
2003/10/01
|
|
ある方に出会って
心が美しくなるのに
気がつきます
そこが平和の原点
ありがとう
|
2003/10/02
|
|
幸せな
夜明けが
あった
遠くない
恵まれている
|
2003/10/03
|
|
彼らは
濃密な
命のつながりを
描いただけ
戦争平和の意味なのかな
|
2003/09/23
|
|
満州戦争の
とき
父は
8ミリを
撮影している
|
2003/09/24
|
|
戦争が
一番大きな
環境破壊
子供心まで
センスオブワンダー
|
2003/09/26
|
|
まずは
みんなの心から
作るもの
地球のみんなが
弱きものを大切に
|
2003/09/29
|
|
やっと見つけた
音楽教師
農村に
カラタチの花
響き渡る
|
2003/09/22
|
|
600坪の屋敷跡
小麦を作って
食べました
手伝い農婦が
母の浴衣着て
|
2003/09/22
|
|
母を助けた
農婦の死
101歳
お葬式に
行きました
|
2003/09/22
|
|
長男が
墓石も祭りも
してくれました
財産譲って
これで良し
|
2003/09/22
|
|
要介護5
という弱さ
限りない愛を
そんな平和に
嬉し涙
|
2003/09/19
|
|
夢か
現か
日々草
ニューギニアで
父の横たわる地
|
2003/09/20
|
|
だるまで
いいから
お父様に
帰って欲しかったと
子供もの前で泣いた母
|
2003/09/22
|
|
なれない
仕事に行く
母を
つらいだろうと
見送った
|
2003/09/22
|
|
アメリカ人
ホームステイに
難色理由
戦争でした
受け入れてよかった
|
2003/09/10
|
|
旅で知る
ポールラッシュ
知らなかった
ここでも知る
新しい知識
|
2003/09/12
|
|
平和
幸せ
希望
命あっての
ものだね
|
2003/09/15
|
|
5年ぶりの
春日野墓地
あまりの復興に
祖父母の墓地
探すも苦労
|
2003/09/18
|
|
私の弱さ
それは正義感が強すぎる
だから決して
トップには立ちません
それでも役立つときもある
|
2003/08/24
|
|
キリストは
永遠の生を
授けた平和を祈って
灰の中から
もう芽生えて
|
2003/08/30
|
|
清里の
診療所に
心よせ
通り過ぎつつ
友思う
|
2003/09/08
|
|
海軍航空隊
十七歳の少年は
この地で
厳しい訓練に
耐えた
|
2003/09/09
|
|
国連爆破
生の映像は
痛々しい
命守れなくて
何ができるの
|
2003/08/20
|
|
国連を
アメリカの
回し者と
思っているらしい
そんな心がかわいそう
|
2003/08/22
|
|
12歳の少女がやってきた
みかづき小学校の
夏季課題は自分たちの町だという
平和な町と言い切ったその少女
2本指のピースが輝いた
|
2003/08/22
|
|
転落防止柵工事が始まった
喜ばれる工事は
警備員まで笑顔
高知市に感謝
老人子供が安全の町
|
2003/08/23
|
|
原爆
こんな言葉さえも
消えてほしい
五八年たっても
おびえている人がいる
|
2003/08/05
|
|
昭和一六年の晩秋
夜中の起こされ
正装させられた
弟二歳
お父様にご挨拶を
一二月八日には真珠湾
|
2003/08/07
|
|
終戦の日の一二時
「夫は犬死になのか」
妻は叫んだ
幼い私は
母の手を痛いほど握るしかなかった
|
2003/08/07
|
|
草原に
小さな泉
そこは
枯れ草
水もない
|
2003/08/10
|
|
土佐料理
囲んで食べる
異国人
みんなの笑顔
平和のシンボル
|
2003/08/11
|
|
環境汚染
京都議定書
自然の保護は
守ろうとしない
原爆の落とし主
|
2003/08/12
|
|
小さなことでも
優しい子供たちには
何かが残った
「きらり」でよさこい
目は輝いていた
|
2003/08/13
|
|
絶えがたきを
絶え
忍びがたきを
忍び
敗戦国
|
2003/08/14
|
|
70歳が語り始め
60歳がつなげ
50歳書き
30歳聴く
世界250人見る
|
2003/08/17
|
|
予科練の
生きのこりの方
絵を発表
私
その地へ行く
|
2003/08/17
|
|
ピースのバラに
平和を託し
バーナーに
祈るほどうまくはできない
|
2003/08/16
|
|
あのころの
兵士の気持ち
私はなんにも知らない
今模索している
|
2003/08/15
|
|